第2話 奴隷少女と最初の「契約」
金貨。
この世界において、それは絶対的な力を持つ金属片だ。
平民が一年働いてようやく一枚手に入るかどうかというそれを、俺――リヒトは、転生からわずか十日ほどで三枚、手元に積み上げていた。
「……チョロイもんだな」
王都の下町にある安宿の一室。黴臭いベッドの上で、俺は金貨を指で弾いた。
キィン、と美しい音が鳴る。
洗礼の儀の後、俺は悪徳商人ボルツから巻き上げた銀貨五枚を元手に、市場で「わらしべ長者」のような真似を繰り返していた。
【絶対交渉術】があれば、全ての商品の「適正価格」と、商人の「仕入れ値」、そして「今どれくらい売り急いでいるか」が手に取るように分かる。
二束三文で買い叩かれた骨董品の中に魔法の触媒が混じっているのを見抜き、それを魔術師ギルドに高値で売りつける。
地方から来た世間知らずの行商人が、相場より安く買い叩かれそうになっているのを「仲介」し、手数料をせしめる。
そんな小銭稼ぎを繰り返し、俺の資産は爆発的に増えていた。
十歳の子供が一人で生きていくには十分すぎる金だ。だが、俺の目標はこんなはした金じゃない。
(金はある。次は『力』だ)
異世界で成り上がるには、どうしても「武力」が必要になる。
俺は【絶対交渉術】のおかげで、人間相手なら無敵だ。だが、モンスターには言葉が通じない。ゴブリン一匹に遭遇しただけで、俺の人生はジ・エンドだ。
護衛を雇うか?
いや、ダメだ。金で雇っただけの関係は脆い。俺が子供だと侮って裏切る可能性も高い。
俺が必要としているのは、絶対に裏切らない、俺の手足となって動く「暴力装置」だ。
そんな都合のいい存在が、どこにいるか。
……心当たりなら、ある。
この世界の暗部。法と倫理の外側にある場所だ。
* * *
王都の裏路地、通称「暗がり通り」。
表通りの喧騒とは無縁の、じめじめとした空気が漂うその場所には、独特の腐臭が染み付いていた。排泄物と、病気と、そして死の臭いだ。
奴隷市場。
犯罪者、借金奴隷、あるいは他国から攫われてきた亜人たちが、「商品」として売買される場所。
俺はフードを目深にかぶり、その通りを歩いていた。
子供の姿は目立つが、懐に入れた金貨の重みが俺の自信を支えていた。
「おい坊主、迷子なら帰んな。ここはガキの遊び場じゃねぇぞ」
入り口近くの店番が、汚い言葉を投げかけてくる。
俺は無言で、フードの下から銀貨を一枚、チャリと見せた。
店番の目が変わり、下卑た笑みを浮かべる。
「……へへっ、失礼しやした。可愛い『ペット』をお探しで?」
俺は無視して奥へと進む。
並んでいる「商品」は、どれもひどい状態だった。
生きる気力を失い、ただ死を待つだけの虚ろな目をした人間たち。鎖に繋がれ、見世物のように檻に入れられた獣人たち。
前世の記憶が少し痛むが、感傷に浸っている暇はない。
俺が探しているのは、安くて、それでいて将来性のある「掘り出し物」だ。
【絶対交渉術】を発動させっぱなしで、俺は檻の中の奴隷たちを品定めしていく。
【対象:人族の男(30代)】
【欲望:E(無気力)】
【特記事項:元傭兵。右足に古傷あり。使い物にならない】
【対象:犬獣人の少女(10代)】
【欲望:C(食欲、帰巣本能)】
【特記事項:病気持ち。余命わずか】
……クズばかりだ。
まともな奴隷は、表の大きな商会が先に買い付けていくのだろう。ここに流れてくるのは、売れ残りの「廃棄品」に近い。
諦めて帰ろうかと思った、その時だった。
市場の最奥、一番日当たりの悪い場所に置かれた小さな檻。
その中に、うずくまる小さな影があった。
泥と埃にまみれた長い金髪。ボロ布のような衣服から覗く、痩せこけた手足。
だが、その耳は人間よりも長く、先端が尖っていた。
(エルフ……?)
希少種だ。本来なら、こんな吹き溜まりにいるはずがない。貴族や富豪が高値で買い取り、愛玩用にするのが関の山だ。
俺は檻に近づき、スキルを発動した。
【対象:エルフの少女(推定100歳前後、外見年齢12歳)】
【名前:不明(登録なし)】
【欲望レベル:SS(生存欲求、復讐心)】
【現在の思考:『殺して。殺して。殺して。……いや、生きたい。まだ死ねない。いつか必ず、あいつらを……』】
【特記事項:魔力保有量・極大。ただし、特殊な「呪い」により魔力使用不可。衰弱死寸前】
(……当たりだ)
俺の直感が警鐘を鳴らした。
SSランクの欲望。死にかけの状態でありながら、まだ心は死んでいない。
しかも「魔力保有量・極大」。もし呪いが解ければ、とんでもない魔術師になる可能性がある。
問題は「呪い」と、その衰弱ぶりだ。普通に見れば、明日にも死にそうな不良在庫にしか見えない。
「お目が高いねぇ、坊ちゃん」
背後から、粘りつくような声がした。
振り返ると、ハゲ頭に金歯を見せつけた、見るからに胡散臭い商人が立っていた。
ドノリー商会。このエリアを取り仕切る、悪名高い奴隷商人だ。
【対象:奴隷商人ドノリー】
【欲望レベル:A(金銭欲、保身)】
【現在の思考:『チッ、また冷やかしか。今月の売り上げがヤバい。借金取りの「赤鬼」が来る前に、少しでも現金を作らねぇと……』】
【弱点:裏社会への多額の借金、不良在庫の維持費】
(なるほど、追い詰められてるな)
俺は内心で舌を出した。交渉のテーブルは整った。
「いくらだ、このエルフ」
俺は興味なさそうに、つまらなそうに尋ねた。
ドノリーは俺の子供の姿を見て一瞬侮るような目をしたが、俺の服装(古着だが、生地はいいものを着ている)を見て、すぐに商売人の顔に戻った。
「へへっ、さすがは坊ちゃん、お目が高い! こいつは掘り出し物ですよ。なんと、あ高名な『ハイエルフ』の生き残りでしてね! 元はどこぞの森の王女様だったとか!」
【嘘確率:100%】
のっけから大嘘だ。ハイエルフがこんな所にいるわけがない。
「王女様が、こんな泥まみれで? それに、ピクリとも動かないじゃないか。死んでるんじゃないの?」
「い、いやいや! ちょっと環境が変わって元気がないだけです! エルフは丈夫ですから、少し休ませればすぐにピチピチの美女に戻りますよ! 本来なら金貨五十枚は下らない品ですが……坊ちゃんには特別に、金貨十枚! いやー、大赤字だ!」
【嘘確率:100%】
【実際の仕入れ値:銀貨三枚(盗賊からの投げ売り)】
(銀貨三枚を金貨十枚で売ろうってか。いい度胸だ)
俺はため息をつき、その場を立ち去ろうとした。
「あー、やめたやめた。死にかけの雑種エルフに金貨十枚? 他の店なら健康な獣人が三人は買えるよ」
「ちょ、ちょっとお待ちを! 雑種だなんてとんでもない! 見てくださいこの耳! 正真正銘の純血エルフですよ!」
ドノリーが慌てて引き止める。
俺は立ち止まり、冷たい目で彼を見上げた。
「オッサン。俺をガキだと思ってナメてないか?」
「へ?」
「そのエルフ、『魔力欠乏症』だろ」
ドノリーの顔が凍りついた。
魔力欠乏症。この世界のエルフ特有の奇病で、体内の魔力循環がうまくいかずに衰弱死する病気だ。
もちろん、本当は「呪い」だが、症状は似ている。俺はハッタリをかました。
「そ、そんなわけ……」
「目が濁ってる。肌に黒い斑点が出始めてる。末期症状じゃないか。これ、放っておけばあと三日で死ぬぞ」
俺はスキルの情報を元に、それらしい嘘を並べ立てる。
「そ、それは……」
ドノリーが言葉に詰まる。【現在の思考】が『なぜバレた!?』と叫んでいる。
「死体を処理するのにも金がかかるよな、この街は。教会に『浄化代』を払わなきゃいけないし。……オッサン、本当はこのエルフの処分に困ってたんじゃないのか?」
俺は一歩、彼に近づく。
「あんた、借金があるだろ。『赤鬼』って怖い取り立て屋が、もうすぐ来るんじゃないか?」
「ヒィッ!?」
ドノリーが飛び上がった。
「な、なぜそれを……! お前、まさか『組織』の人間か!?」
「さぁね。ただの通りすがりの親切な子供さ」
俺はニッコリと笑う。
「提案だ。そのエルフ、俺が引き取ってやるよ。死体処理の手間が省けるだろ?」
「ひ、引き取る……? タダでか!?」
「まさか。俺は慈悲深いんだ。……銀貨二枚。これでどうだ?」
仕入れ値(銀貨三枚)より安い金額を提示する。
「ば、馬鹿な! 仕入れ値すら割っちまう! せめて金貨一枚……いや、銀貨五十枚!」
「銀貨二枚だ。嫌ならいい。俺は帰るし、あんたは三日後にエルフの死体を抱えて、借金取りに震えることになる」
俺は完全に背を向け、歩き出した。
一歩。二歩。三歩。
「……ま、待ってくれ!!」
悲鳴のような声が、背後から届いた。
俺は口角を吊り上げる。勝った。
「……銀貨三枚。せめて、仕入れ値と同じだけは……頼む、坊ちゃん!」
ドノリーが両手を合わせて懇願してくる。
俺は少し考えるフリをして、肩をすくめた。
「仕方ないな。その『正直さ』に免じて、銀貨三枚で手を打とう」
俺は懐から銀貨を三枚取り出し、ドノリーに放り投げた。
彼はそれを這いつくばって拾い集める。
「契約成立だ。鍵をよこせ」
俺はドノリーから檻の鍵をひったくり、錆びついた錠前を開けた。
ギィィ、と嫌な音を立てて鉄格子が開く。
中のエルフの少女が、ビクリと体を震わせて顔を上げた。
泥だらけの顔。だが、その瞳だけは、死んでいなかった。
深い森のような、緑色の瞳。そこには俺への明確な「警戒」と、わずかな「殺意」すら宿っていた。
(いい目だ。やっぱり、ただの衰弱死待ちじゃなかったな)
「立てるか?」
俺が手を差し伸べると、彼女は威嚇するように唸り声を上げた。
「……触るな、人間」
掠れた、だが凛とした声だった。
「ほう、喋れる元気はあるのか。上等だ」
俺は無理に触れようとはせず、一歩下がった。
「俺はお前を買った。今日から俺がお前の所有者だ。名前は?」
「…………」
彼女は黙秘する。
「まぁいい。名無しなら、俺がつけてやる。……『エルフィ』なんてどうだ。安直だが、呼びやすい」
彼女の眉がピクリと動く。
「……勝手にしろ」
「じゃあ決まりだ。行くぞ、エルフィ。ここにいつまでも居たら、本当に腐っちまう」
俺は出口に向かって歩き出す。
エルフィはしばらく躊躇していたが、やがて覚悟を決めたように、ふらつく足取りで立ち上がり、俺の後をついてきた。
足首につけられた鉄の足枷が、重い音を引きずっていた。
* * *
「……ここ、は?」
エルフィが困惑した声を上げたのは、俺が彼女を連れて入った場所が、安宿の部屋だったからだ。
もっと酷い場所、例えば地下牢や、あるいは変態的な貴族の屋敷を想像していたのだろう。
「俺の今の拠点だ。狭いが、あの檻よりはマシだろ」
俺は部屋の隅にある水瓶とタライを指差した。
「まずは体を洗え。その臭いじゃ、同じ部屋にいるこっちが参っちまう」
俺は市場の帰りに買ってきた、古着(だが清潔なもの)と、石鹸代わりの木の実を渡す。
エルフィはそれらを呆然と受け取り、俺を見た。
「……何を企んでいる?」
「企む? 体を綺麗にしろと言っただけだ」
「人間は、皆同じだ。私を綺麗にして、高く売り飛ばすつもりか? それとも……」
彼女は自分の体を抱きしめ、警戒心を強める。
「自意識過剰だ。言ったろ、俺はガキだぞ? そんな性欲のある話じゃない」
俺は肩をすくめ、部屋の外に出ようとする。
「俺は下で飯を調達してくる。その間に済ませろ。……逃げようとしても無駄だぞ。その足枷じゃ、街の外までは出られない」
言い残して、俺は部屋を出た。
一階の食堂で、硬い黒パンと、少し奮発した野菜スープを二人分注文する。
待っている間、俺は改めてエルフィのステータスを思い返していた。
『生存欲求、復讐心』。
彼女は何かに強い恨みを抱いている。それが生きる原動力になっている。
ならば、それを刺激すればいい。
俺が部屋に戻ると、エルフィは体を洗い終え、渡した服に着替えていた。
泥が落ちた彼女の姿を見て、俺は思わず息を飲んだ。
……美しい。
痩せこけてはいるが、その素材は一級品だった。長く艶やかな金髪、宝石のような緑の瞳。肌も、栄養さえ取れば白磁のような輝きを取り戻すだろう。
ドノリーの野郎、「元王女」というのも、あながち嘘じゃなかったかもしれないな。
「……何を見ている」
エルフィが不快そうに睨んでくる。
「いや、思ったより美人で驚いただけだ。拾い物だったな」
俺は素直に感想を述べ、買ってきた食事をテーブルに置いた。
「食え。毒なんて入ってないぞ」
エルフィはスープの匂いに喉を鳴らしたが、手を出そうとしない。
「……なぜ、私に優しくする?」
「優しく? 誤解するなよ。これは投資だ」
俺は自分の分のパンをかじりながら言った。
「俺は戦闘力が皆無だ。スライム一匹殺せない。だから、代わりに戦ってくれる手駒が欲しい。お前にはその才能がある」
「……私は、魔法が使えない。呪われている」
「知ってるよ。でも、その呪いさえ解ければ、お前は強くなる。違うか?」
エルフィの目が大きく見開かれた。
「なぜ……呪いのことを……」
「俺には『視える』んだよ。お前の価値も、お前の過去も、お前の抱えている『復讐心』もな」
俺は【絶対交渉術】で見たキーワードを、わざと口にする。
エルフィの体が強張った。
「……復讐、だと?」
「あぁ。お前、誰かを殺したいほど憎んでるだろ? 故郷を奪った奴らか? それとも、お前を売った奴らか?」
図星だったようだ。彼女の瞳に、暗い炎が宿る。
「……人間は、すべて憎い。私の森を焼き、同胞を殺し、私を慰み者にした……すべての人間が、憎い!」
彼女の激情が爆発する。部屋の空気がビリビリと震えた。
魔力欠乏症のはずなのに、感情の昂ぶりで魔力が漏れ出ている。やはり、彼女のポテンシャルは本物だ。
俺は動じずに、その激情を受け止めた。
「いいぞ。その憎しみ、大事にしろ」
俺の予想外の言葉に、エルフィが毒気を抜かれたような顔をする。
「……え?」
「俺も同じだ。このクソみたいな世界を見返してやりたいと思ってる。だから、契約しようぜ、エルフィ」
俺は彼女の目を真っ直ぐに見つめ、右手を差し出した。
「俺はお前の呪いを解き、力を取り戻させてやる。お前の復讐も手伝ってやってもいい。その代わり――」
俺はニヤリと笑う。
「お前の全てを、俺によこせ。その体も、心も、これから手に入れる力も、全部俺のために使え」
それは、奴隷契約よりも重い、魂の契約の提案だった。
エルフィは俺の手と、俺の顔を交互に見た。
「……お前は、私を恐れないのか? 私が力を取り戻したら、最初に寝首をかくかもしれないぞ?」
「やれるもんならやってみろ。俺は詐欺師だぞ? お前に殺されるようなら、俺の目は節穴だったってことだ」
俺の挑発に、エルフィが初めて、小さく笑った気がした。
歪んだ、だが確かに人間らしい感情のこもった笑みだった。
「……いいだろう。変な人間の子供」
彼女はおずおずと、だが力強く、俺の手を握り返してきた。
「私の名は、エルフィリア・シルフィード。ハイエルフの末裔。……この命、貴様に預ける。だが、もし裏切ったら……その時は、私が貴様を殺す」
「上等だ。歓迎するぜ、我が最初の共犯者」
契約は成立した。
俺たちは手を握り合ったまま、悪党同士の共犯関係を結んだ。
ステータス画面の彼女の【欲望レベル】が、少しだけ変化したのを、俺は見逃さなかった。
【欲望レベル:S(生存欲求、復讐心、マスターへの興味)】
(……チョロイもんだ)
俺は内心でほくそ笑みながら、冷えてしまったスープを彼女に勧めた。
こうして、俺の異世界攻略は、最強の(予定の)手駒を手に入れたことで、本格的に動き出すことになった。




