8 俺に譲れよ
何故、美亜が俺を林間学校の班に誘ってくれたのか?
本日の俺の超難題だった。
俺の方が好きバレを避けて、美亜と距離を置いていた。俺たちは疎遠になった幼馴染同士となっていた。
ところが、今朝に、美亜が「同じ班になろう」と誘ってくれた。
……何故。
もしかして……
何だか都合の良い妄想をしてしまいそうになったが、現実とはやはり、依然としてハードモードである。
「勘違いするなよ、如月。美亜は俺と一緒の班になる予定だったんだ。少し予定が狂っただけだ」
「……あ、はい」
何故かハンド部イケメンこと笹丘に、俺は、昼食の最中に詰め寄られていた。
美亜はちょうど席を外していて、教室に姿が見えない。かと思えば、この笹丘が俺の元にやって来たのだ。しかも、ものっすごい剣幕で。
笹丘といえば、美亜といい感じだと噂されているクラスメイト。美亜の方はよく分からないが、笹丘から美亜への恋のベクトルは大変分かりやすかった。
そりゃあ、美亜は美少女だから好きになるのは当然だ。
しかし、驚いたのがこの男の変わり身である。美亜の前では甘いマスクを振り撒いていた優男が、いきなり豹変して、俺をキツく睨みつけていた。
…笹丘。お前、いつもの甘い笑顔はどこに?
まさか、アレは演技?
俺が混乱していると、笹丘の眼光が更に鋭くなった。もはや親仇を見るような目である。
俺、何かした……?
多分美亜の件でイライラされてるんだろうけど、ちょいと理不尽じゃなかろうか。
「いいか、俺たちのいつメンのグループが6人だったから、2人外す必要があったんだよ。ほら、林間学校の班は4人が上限だったから」
「は、はあ……」
いきなり何の話が始まったのだろう?と思っていたら、あれか。今朝の林間学校の班決めの時の話をしているのか。
笹丘の言う「いつメン」とやらは、笹丘の他に、美亜や唐沢も含まれている。
それが6人だったので、4人班を作ろうと思ったら、2人は違う班に行く必要があった、と。
「何で決めようかと思ったら、唐沢が準備の良いことにくじを用意しててよお。そしたら、その移動するあぶれ者2人が美亜と唐沢になった。くそっ、アイツ、絶対あのくじに何か仕込んでやがったな……!」
「…………は、はあ…」
気が触れてる様子で、誰かに激昂している笹丘。
まあまあまあ若人、落ち着けなさいな。和の心を重んじるのじゃ。ピースフルよ。憎しみは何も生まないのだから。
「だーから、俺が何言いたいのか分かるかよ如月?」
「え?ごめん、分からん」
「…っぢ!察しの悪い奴だなお前ぇ」
「はあ……すまん」
生まれてこの方、察しが悪いと言われたことがあまりないので面食らいつつ、俺は素直に謝った。
察しは良い方だと、自認してたんだがなあ…?
ダンッ!!と俺の机に、笹丘が両手を立てた。俺の弁当箱の蓋がその衝撃と振動で、カランカランと床に落ちた。
弁当の蓋はソースが付いていたので、床にベシャッと汚れがついた。潔癖症の美亜が見たら、怒られそう。
しかし、犠牲になった蓋には目もくれず、笹丘は俺をキッ!と見たままだった。
……え、拾ってくれない感じすか。
まあ、俺も端の方に置いてたからな……。いいや。
気をつけよう。いつこうやって落とされるか分からないから、世知辛である。
俺は蓋を拾って、ポケットティッシュで床の汚れを拭いた。
「おい、何無視してんだよ!」
「………」
いや、お前のせいだろ。どー考えても、お前のせいだわ。目が大丈夫?
「とにかく……俺に譲れよ!」
「何を?」
「ほんっとに察しの悪い奴だなあ!俺とお前で班を交代しようってんだよ!」
「班の交代?俺と、笹丘が?」
予想していなかったいきなりの提案に、俺は目を瞬かせた。
まあ、理由は分かるけどな……美亜が好きだから、美亜と同じ班になりたい。だから、美亜と同じ班の俺と交代したいと。
「そもそも俺と美亜は同じ班になろうって約束してたんだよ!」
「え、そうなのか?」
「ああ、そうだよ。でも美亜は律儀だから、くじの結果を受け入れて、しぶしぶ俺と違う班に行くことにしたんだ。じゃなきゃ、美亜は、お前のことなんか誘わねーよ」
「………」
笹丘の言葉は、まともに聞いているとなかなかに心を抉られる内容だった。くじの結果を受け入れただけで、そもそも美亜は自分と約束していた。だから、自分には俺と班を交代するもっともらしい理由がある、と。
そのうえ笹丘は……美亜が向けてくれた久しぶりの言葉も笑顔も、否定してきたのだ。
『あの……っ、ま、まだ空いてるかな?……、っ、その、一緒に班組みませんか……?!』
美亜のあの吸い込まれるような大きい瞳を思い出す。
久しぶりの彼女との交流に、喜んでいた俺が馬鹿なのだと。
笹丘はそう言っているのだーーーーー。
「なあ、お前んとこの林間学校の班別プリント、まだ提出してないだろ?うちもまだだから。今なら班のメンバーの名前、書き換えられるじゃねーか」
「………」
班別プリント、というのは、林間学校の班ごとのメンバーの名前や班内での目標、当日のスケジュールを書き込むために今朝渡されたプリントのことだ。
書き終わり次第、今日の放課後までに担任に持って行くようになっている。
その提出が完了すれば、林間学校のメンバーを生徒側で勝手に変えることは出来ない。
ただし、それまでは、どこの班のメンバーが入れ替わろうが、担任の預かり知らぬところだーーーー。
入れ替わるとしたら、今しかないのだ。
だから笹丘も余裕がない。
「なあ、如月。もう一度言ってやろうか?美亜は俺と同じ班になろうと約束してたんだ。この場合、何が優先されるかくらい、分かるよなぁ?」
「…………」
その約束が本当なら……確かに。
俺は譲るべきなのかもしれない。
彼女が俺を誘ってくれたのは、一番が駄目になって、俺が次善に思えたからなのかもしれない。
でもな、笹丘。
美亜は、そんな子じゃない。
幼馴染の俺が断言してやる。
あの子は約束は、きちんと守る。
くじ通りの結果になったとしても、約束をしていたお前を誘って、一緒に別の班に行こうとしたはずだ。
俺が、彼女の笑顔を信じたいだけだって、笑うか?
もしかしたら、本当にそうなのかもな。
でも、俺が不毛にも想い続けるほど、あの子は真っ直ぐでいい子なんだよ。
「笹丘、俺はやっぱりーーーーーー」
その時だった。
カタン、と隣で箸を置く音がした。
「あー、ごめんごめん笹丘!俺、もう出しちゃったんだよね、班別プリント」
一緒に昼を囲んでた友人の蓮が、あっけらかんと言い放った。緊迫していた俺と笹丘の空気にはまるで似合わず、寧ろ跳ね除けるような軽さを含んでいた。
うちの班の班別プリントは、蓮がリーダーになって預かってくれていた。
蓮の言葉に、笹丘の眉が上がった。
「は…?嘘を言うなよ斉藤!俺はお前がプリントを出してないって知ってて、今如月にーーーー!」
「………俺は誠実だよ。誠実には誠実をお返ししないといけないじゃん?」
「はぁ?お前、ふざけんのも大概に……」
「ニーチェの有名な言葉でも思い出してみたら?メッキが剥がれるのは、どっちが先だろうな?」
「………っ、ち"っ!お前、覚えとけよ…」
笹丘は苛立った様子で、俺の机の脚を蹴った。カタン、と今度は箸が落ちた。弁当箱の蓋の次は、箸か。
まだ食べ終わってなかったのに……!
世知辛だ、くう。
笹丘は自分のグループの元へ戻って行った。
彼らは戻って来た笹丘を見て、きゃはは、と何がおかしいのか、笑っていた。
美亜や唐沢が居ない時、彼らは何だか違う空気を形成している。……それも良くない方の。
俺は箸を拾って、それから蓮に尋ねた。
「……"深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ"………さっきのって、これか?ニーチェの」
「おー、分かった?」
「最近授業でやったしな」
「だよなー、だから笹丘にも通じたんだろうけど」
「お前、あんまり笹丘のこと挑発するなよ……」
「だって、面白いじゃんー」
「そのマインドがすげーわ」
俺は博愛主義なんだが。
笹丘のあの甘いマスクもまだ信じてるぞ?
さっきのピリついた笹丘は何かの間違いだと、信じているぞ(懇願)。
だって、美亜といい感じだと思ってた男の本性がアレだったらショックじゃんか……。
「………まあ、でも助かった。ありがとうな蓮。本当はまだ出してないんだろ?」
「あれ、バレてた?」
「バレバレだ」
俺は苦笑した。蓮の席の引き出しから少しだけ見えている白いプリントを指さした。
うちの班のプリントだ。
つまり………
「お前は嘘を吐いたが…笹丘も嘘を吐いてた、か」
深淵を覗く時……
つまり、蓮の嘘を暴こうとする時、笹丘の嘘も露見するだろうーーー
この友人はそういう意味で皮肉を笹丘に言ったのだ。
「おー、それも分かるとは。賢いじゃねーか、伊織くんー。よしよしー」
「俺は犬か。撫でようとすな。気持ち悪い」
「ひでー」
けらけらと蓮は笑った。
俺のしかめっ面も意に介さないように、笑っていた。
なあ伊織、と汚れた箸を洗いに行こうとして立ち上がった俺の背に、蓮が声をかけた。
「……最初から、七瀬さんにお似合いの男は存在しなかったんだよ。お前は勘違いしてたみたいだけどさ。で、それを知った上で訊くけど……お前は、どうするの?」
何の話か、とはぐらかす器用さは、俺にはなかった。
この友人に、嘘を吐きたくないという思いもあった。
俺は幼馴染の七瀬美亜に片想いをしている。
その彼女とお似合いだと思っていた男は、実は存在しなかった。
表立ったライバルが居ないと分かった今、俺が美亜との関係をどうしたいのかーーーー
蓮は、そう尋ねているのだ。
でも、俺の答えは決まってる。
「変わらないよ。俺のスタンスは、このままだ。不毛に片想いをさせて、いつか区切りをつける」
ーーー『ええ!っ、な、ないよ!ほ、本当に違うから!』
ーーー『私、伊織くんのこと、そういう目で見たこと、全然ないから…!伊織くんは恋愛対象とかじゃなくて、あの、すごく素敵な友達!恋愛対象じゃないから!』
昔の彼女の言葉が、呪いのように、俺の心を離れない。
美亜は俺のことを疎んではいない。幼馴染としては、好ましく思ってくれている。
同じ班になろう、と彼女の方から誘ってくれるくらいには。
でも、履き違えてはいけない。
俺と彼女の好意の種類は違う。
だけど、一度でも…あの頃のように近い距離に戻ってしまえば、俺はまた期待してしまう。
彼女の優しさと好意を、自分と同じ種類だと期待して、当てはめようとして、そしてーーーー否定される。
もう、傷つきたくないんだ。
「期待はしない。腑抜けだって、言うか?」
「いいや。相手を傷つけない限りは、伊織の自由だ」
同い年のくせに、大人びたこと言いやがって。
俺は苦笑した。自分になのか、この友人になのかは、ちょっと分からなかった。
「………そうか。変わらない、か……」
友人がそんな風に頬杖を吐きながら、寂しそうに言っていたのは、どうしてなのか、分からなかった。




