6 保管に困る女子のジャージ
「如月……?」
俺は、花音が土手に敷いたまま忘れて行ったジャージの上を持ち上げた。
その胸元には、白で「如月」と刺繍がしてあった。
如月花音。
彼女が教えてくれなかった苗字は、何の因果か、俺と同じだった。
苗字がただ一緒だ、という偶然で片付けてもいいのかもしれない。しかし、生まれてこの方、自分以外に他人で「如月さん」に出会ったことがないので、どこか引っかかった。珍しい苗字のはずだ。
「………ううん……?」
何がこんなに引っかかるのかが、自分でもよく分からない。花音が『私が伊織くんの未来の子供だよ、って言ったらどうする?』なんて、ちょくちょく俺にSF的冗談を口にしていたせいだろうか。
確かに、その説が現実味を帯び始めてきていたが…。
いやいや、そんなことある訳がない。
未来って。
花音が未来からやって来た俺の子供?
俺はたった今、何を馬鹿な空想論に浸かろうとしてしまっていたのか。
それがあり得ないと言える前提条件は、2つ。
1つ、俺が未来で結婚できてるはずがない。
悲しいことに、俺は雰囲気枯れてる系の男らしいので、未来では売れ残ってるだろう。
しかも多分、未だ幼馴染の美亜に不毛にも心を寄せているに違いない。はっきりと想わずとも、心のどこかにきっと彼女が居る。そんな状態で他の女性と結婚できるある意味での器用さが俺にあるか?
いいや、ないな。
2つ、未来からタイムトラベルしてきたって、そんなことありますか馬鹿野郎ーっ!
単純明快。明々白々。もはや議論の余地すらない、現実の限界である。
だって、考えてみろ?仮に一万歩譲って俺が結婚してた世界線があるとしようか。頑張ってギリギリまで伸ばして大体40歳で、子供に恵まれましたと。
花音は恐らく高校生だから、15歳あたり。
今、俺は15歳だ。
さて、何年後にあたるかね。花音が生きている未来の世界は、今から、40年後ということになる。
……40年あれば、人類は某アニメのようなタイムマシンを開発できるのか?
否、そんなはずはない。
仮にできていたとしたら、花音みたいに未来から気軽にこちらの過去の世界にトラベルしてきて、俺たちの世界は今頃、未来人によって大混乱させられているだろう。
「未来人が各地に出現!未来の世界は如何に」というドキュメンタリー番組やらニュースやらで埋め尽くされているに違いない。
よって、花音が俺の未来の子供であり、未来からやって来たなんてあり得ない。さて証明終了。
それより、俺には目下対処しなければならない問題があるのだ。
俺は、ほとほと困りはてた。
「どうすんだ、コレ……」
彼女が座っていたために生温かい…とか言ったら何だか俺が変態みたいになるので嫌なんだがそうとしか言いようがない……
彼女が置き忘れて行ったジャージを片手に、俺は立ち尽くした。
連絡先の知らない彼女のジャージを、俺はどうするのが正解だと言うのか。
いや、取りに帰ってくるかもしれない。自分の忘れ物に気付いて、花音が戻ってくる可能性は十分にある。
しばらく待ってみる。
…………。
来ない。
全然来ない。そして、日が暮れてしまった。
いかん。女子高生のジャージ片手に、土手でずっと突っ立ってる不審な男子高校生になってしまった。
「ひとまず……帰るか……」
俺はジャージの土を念入りに払って、柄にもなく丁寧に折り畳み、自分の鞄に入れた。
うえ。何か…嫌だな……俺、何も悪いことしてないのに、すごい悪いことしてる気分になるのはどうしてだ。
花音の彼氏のせいだ。彼氏がコレの匂いを嗅いでるとか言うので、とんでもなく変態性のある代物に思えてしまっているのだ。これは、顔も知らないその彼氏のせいだ、多分。
「ただいま」
「あー、おかえりなさい」
家に帰って、母親に出迎えられる。とりたてて記述することはない平凡な母親だが、非常にパワフルな女だと言うことは述べておこうか。自転車さえあればどこにでも行ける、スーパー巡りが趣味の母親である。
俺が玄関で靴を脱いでいると、母親は立ち去らずに俺に話しかけて来た。
「ねぇえ、最近アンタ、美亜ちゃんとどうなの。高校入ってからますます話聞かなくなったけど……」
うーわ……また、その話か。
思春期の息子の傷を抉ってることに早く気付いてくれないだろうか。
ちと、この母親はお節介なのである。いや、母親は総じてそういう生き物だとは思うが。
俺はやや顔をしかめて、母親の横を通り過ぎて行った。
「うっさい、おふくろ。俺は知らん。美亜を娘にしたい気持ちは分かるが、俺にその度量はない。早く諦めてくれ」
「はあ、もうアンタって子は……」
後ろから母親の溜め息が聞こえてきたが、無視した。
俺は再三、言っている。初期は、懇切丁寧に母親に説明さえしていた。
これこれこういう理由で、俺に美亜は釣り合いません、はい諦めてください、と。
しかし、母親という生き物は、お節介にして、しぶとい。未だに美亜との関係を気にしてくる。
そりゃあ、幼い頃から娘みたいに可愛がっている美亜を自分の娘にしたいのは分かるが、美亜は俺を選ぶことはないのだ。
おふくろが頑張って突然変異で俺をイケメンに産んでくれたら、可能性はあったかもだけどな、はは!
………、俺の不毛な片想いが助長しているのは、このお節介な母親のせいではあるまいか?
階段を上り、自分の部屋に入った。
鞄から問題のジャージを、よいしょと取り出す。
如月、と書かれた、俺のではないジャージ。
さて、洗うべきなのか。
土がついてるし、体育で使ったぽいし、洗うべきなのか?
勝手に洗ってよいのか、いけないのか。
分からん……どうして俺はよく知らない女子のジャージにこんなにも悩ましい思いをさせられているのか。
悩んだ末に、俺は決めた。
………洗うか。
俺は階段を降りて、一階の脱衣所へと向かった。洗濯機の中にインした。我が家の洗濯物と一緒に綺麗になってきなさい。
洗うか、なんて言ったが、個別で洗うのは何か気持ち悪いし、かと言って洗濯機を勝手に回していいかよく分からないし、代わりにこれから母親の手によって秘密裏に洗濯に回されることにさせた。
「ミッションコンプリート」
俺はぐっ、と親指を立てて、何もしていないがまるで一仕事終えた気分で自分の部屋に戻って行った。
1時間後。
洗濯物を抱えた母親が、俺にジャージを投げて来た。
何だ何だと思っていると、先ほど洗濯機にインした花音のジャージである。
「ちょっとアンタ!このジャージ、アンタのじゃないでしょ!しかも女の子のじゃない!まさか盗んできたんじゃないでしょうね!?」
「いや、誰が盗むかっ!?ひでぇな!?何でそうなるんだよ、実の息子に不名誉すぎんだろ!」
「じゃあ、"如月"って女の子ができたわけ?ふーん、美亜ちゃんに報告しとこっ、はーぁ、これだから男はやあねぇ」
かちんと来た。不名誉な疑いの上に、さらに不名誉を塗りたくってきたぞこの母親…!
「おい、俺は美亜一筋だっつーの、ふざんけんじゃねぇおふくろ!俺の一途さ舐めんな!昔も今も美亜しかいねーわ!」
おふくろは、じとっとした目を、僅かに緩ませた。
「………ふーん。まっ、その言葉が聞けたから、今日のところは不問にしといてあげようかしら。まっ、でもそれは自分で干しときなさい」
「何でだよっ!……て、まあ、そうか……」
仕方ないので、ハンガーに掛けて、竿にかけた。
ぷらんぷらーんと花音のジャージが外の空気で揺れていた。
果たしていつ返せるのだろうか、このジャージ……




