5 再び現れる謎の美少女
結局、友人に相談しても「彼氏持ちでナンパしてくれる女子の心情」とやらは、分からなかった。
ナンパかどうかは分からないけれど、わざわざ見知らぬ男を誘ってお茶をしようと思う女子の気持ちがまったく分からない。その上、彼氏持ちときた。
これで俺がイケメンとかだったら、誘われた理由は明快単純なのに。
イケメンとお茶したかった。ああ、よく分かる。それだけで済む。
しかし、俺は女子に陰で「如月くんって雰囲気枯れてるよねー」と言われる悲しき容貌の男である。
分からない。俺の圧倒的経験値不足ゆえか、それとも花音が意味の分からない行動をしているだけなのか。
だが、それよりも俺には頭を占める問題があった。
昼休みの想い人ーーー幼馴染の美亜ーーーの姿を、俺は頭に浮かべた。
周りの友人たちに囃し立てられ、ハンド部イケメンこと笹丘といい感じに思われていた美亜が、まるでちょっと困ったような笑顔を浮かべていたのだ。
俺の先入観ではないはずだ。美亜に想いを寄せている身ではあるが、勝手に視界に映る光景を都合の良いように修正したりはしない。客観的に判断できるのは、俺の数少ない美点なのである。
「…美亜は、笹丘のことが好きなんじゃないのか……?」
ハンド部イケメンの笹丘のことが、美亜は好きなのかと思っていた。高校に入学してから、よく2人で居る光景も見ていたし。彼女と彼の周りの友人たちが、「もう付き合っちゃいなよー」「実は付き合ってるの?」みたいに盛り上がってるのも、散々目にしてきた。
美亜はああいう甘いマスクの男がタイプだったんだなと何度ショックを受けたことか。
しかし、今……その前提が揺らぎつつあった。
「まあ、…でもだからって、俺には関係ない、か」
川のさざなみをぼうっと見つめる。
ここは、いつも穏やかな時間が流れている。土手の草むらは冬に向けて少しずつ枯れ始め、より一層静かな場所となりつつあった。
落ち着きたい時、無心になりたい時、俺はここをよく訪ねる。
「何の話ー?」
「うわあっ!?」
視界にいきなり、ドアップの美少女顔。
黒目がちの真ん丸の大きい瞳が特徴的な、元気印。
俺が土手で軽く転けると、彼女はあはははっ!と笑い飛ばした。
「花音……?」
「やっほーっ、また会えたね!これって、もしかして運命かなー?きゃあー」
「いや、運命ではないと思うぞ」
「もー、つれないなあ、伊織くんはぁ」
花音は不服そうに唇をとんがらせて、俺の前にしゃがみ込んだ。転びかけた拍子に、俺の髪やら制服やらについた枯葉をひょいひょいと取っていった。
「あ、ありがとう……」
「いいえー、どういたしまして」
至近距離にどきまぎしている俺に、花音はニッコリと微笑んだ。それから、俺の隣に腰を下ろした。制服のスカートに土がついてしまうのにいいのかと思うけれど、彼女は持っていた鞄からジャージの上をよいしょと取り出して、レジャーシート代わりにそれを敷いた。どかり、と座った。
ジャージの上は、犠牲になった。
「今日体育あって良かったー。あ、ごめんね伊織くん。私の尻に敷く前に、匂いでも嗅がせてあげればよかったー」
「いらんが…?」
「そーぉ?私の彼氏は、そういうの大好物だよー?」
「お前の彼氏はなかなか変態の部類だと思う……」
「ありゃ?そうなのかな。あんま気にしたことなかったや。私のこと好きなら、オールオッケーだからなぁ私」
「は、はあ……」
当たり前のように彼氏の存在を出されるのは、どういう了見なのだろう。
そして、花音の彼氏がだいぶオープンな変態の可能性が浮上してきた。いや、まあ、気持ちは分からんでもないが、それを堂々と彼女に言えるって凄いな。
俺がそんなことを考えていると、ぐいっと花音の顔が近付いた。俺が地面に置いている手の近くに、両手をついて、ニコニコ笑う。
「ね、改めて運命じゃない?待ち合わせもしてないのにまた会えるなんてー!私と伊織くん、やっぱり縁があると思うのー、ねえ、好きになっちゃった?」
「……悪いが、ならん。俺は好きな子が居るんでな。しかも10年以上の筋金入りだ」
「わーお、またフラレちゃったな、えーん」
泣き真似をしながら、その実、彼女は笑っていた。
彼氏が居るのにタチの悪い揶揄いだと思ったが、俺がそういうノリだと分かって乗らないと確信しているから、花音はそんな言葉を吐くのだろう。
花音はひとしきり笑って、前を向き直した。
はあ、と秋の終わりの空気に、白い息を吐いた。
「…ぱ、伊織くんって、本当にこの場所が昔から好きなんだねー。いっつも何かあるとここに来るじゃん。ママに怒られた時とか」
「………?……はあ?何で花音が知ってるんだ、そんなこと」
俺は眉根を寄せた。確かに花音の言っていることは当たっている。俺は昔から何かあるとここに来て、頭を冷やして自分の考えを整理する。
ママというのはよく分からんが、俺の母親のことを言っているのだろうか。たしかにおふくろに怒られては、幼少期にべそべそここにやって来ていた覚えはあるけど。
ついでに言うと、同い年の女の子の美亜に慰められていた、という男としてはやや恥ずかしい過去も存在しているが。
何故、花音がそれを知っている?
「……え?あ、ああー」
花音は、目線を宙にやった。ぎこちなく笑った。
「………勘?」
「そんな鋭い勘があるかよ……」
「えー、じゃあねぇ、私、実は伊織くんの未来の子供なの!そして、伊織くんは私のパパで、たまにママにプレゼント買いすぎて怒られてここで哀愁漂わせながら泣いてるんです!私はそれを知っていて、ここへ来たの……、ていうのは?」
「またそれかよ。そりゃあ、もっとあり得ないな……」
俺は呆れた顔を浮かべた。
また、あれだ。花音が俺の未来の子供とかいうやつ。
そんなSFあってたまるか。
そして、勝手に俺を変な父親に仕立てあげないで欲しい。相手が美亜だったら、妙に想像がリアルに湧いて、この美少女の冗談が恐ろしくなった。
俺確かに多分……好きになったら、プレゼント攻撃とかしそうなタイプだけど……
怖い。何だこれ、やだな怖い…!
「まー、それはどうでもいいのーっ!それより、あれだよ!伊織くんのお悩み相談だよ!」
「俺の?」
「そー!さっき何か哀愁漂わせて、何か呟いてたじゃないー!なーに、アレ?」
「ああ、あれは……」
何かと思ったら、美亜のことを考えていた時のことを言ってるのか。
まだ出会って2日目のこの美少女にそんな恋愛相談をするのはどうかと思いつつ、この際だから相談してみるのもアリかもしれないと思った。
何故そんなことを抵抗もなく思ったのかはよく分からないけれど、俺は花音に対して不思議と信頼感があった。
何故だろう?
単純に女友達が居ないから、女子目線の話を、聞ける時に聞いてしまえと思ったのかもしれないが。
花音の促しで、俺は事の次第を静かに語り始めた。
「……俺の好きな子には、好きな男が居ると思っていたんだ。入学してから、ずっと2人でいい感じに見えてたから」
「……うん、それで…?」
「でも、もしかしたら違うのかとも思ったりして。彼女、なんか困った顔してたんだ。なあ、花音。付き合う前の『あーん』はアリなのか……?」
俺が疑問に思っていたことを、花音に吐露すると、花音は驚いた顔をした。勢いよく顔の前で、手を振った。
「はあ!?いや、ナシナシナシ!!え、キッモ!そんな人リアルに居るの!?」
「いや、俺が好きな子の好きらしい男がしてたんだが……まあイケメンだから様にはなってたんだけどな、彼女、断ってて。ちなみにこれを踏まえて、これで彼女が、その男を好きな可能性って、どれくらいあるんだろうか……?」
花音はうげ、と顔をしかめた。
「いや、ない!圧倒的にない!ゼロどころか、マイナス突入してるね!うわ、良かったぁー!これでその人の『あーん』受け入れてたら、私今日家帰って発狂してたーっ!」
「……は、はあ……」
花音は肩を抱いてぶるっと震えていた。そ、そんなに嫌悪感丸出しにされてしまうのか……
いや、断っておくが、イケメンだったからすごい様になってはいたぞ?
ちょっと、付き合う前でそれやるのかよ、とは美亜に想いを寄せる身としては思いつつ。
「はい、ナシ!その男はナシです!安心してください!さあ、伊織くん、ガンガン行きましょうー!好きな子に、猛アタック開始じゃ!」
「………いや、それは無理」
今度は俺がしかめる番だった。拳を空へ突き出していた花音は、出鼻をくじかれたかのように、がくっと身体を揺らした。
「およ?何でーっ!?今、すごい伊織くんのこと色んな見損なったよ!お主、それでも男かーっ!」
「………そういう問題じゃないんだよ」
「じゃあ、どーいう問題!」
「彼女に昔言われたんだ。『伊織くんは恋愛対象じゃない』って」
「……へっ?」
花音はぱちくり目を瞬かせた。
ああ、そういや、大事なことを言っていなかった。恋敵が居るとか居ないとかではなく、俺はそもそも美亜にとって恋愛対象ではなくて、これは故に不毛な片想いである、ということを。
「………かっ、」
「か?」
「帰ります!確かめることが出来てしまいました!こりゃあ、てぇへんだ!アデュー伊織くん!」
「え?」
俺が訳のわからぬうちに、花音は鞄を持って土手を駆け上がって行った。おい、と俺が引き留める間もなく。運動神経が抜群のようで、彼女の姿は風のように一瞬で消えていた。
土手に残された、広げられた彼女のジャージ。
「ちょ、忘れ物してんじゃねぇか……」
微妙に扱いに困る品物である。
仕方ないので、土を払って持ち上げると、俺はそのジャージの胸元に刺繍された名前に、目が止まった。
そこには。
花音が教えてくれなかった苗字。
如月、と書いてあった。




