12 ごめんなさい
美亜の華麗なる包丁捌きにより、見事に野菜が爆散したが、カレーにぶち込めば何とかなった。
カレーは凄いなと思った。
同じ調理グループになった笹丘がここぞとばかりに美亜の隣をキープして、食事中ずっと話しかけていた。
美亜は多少返事に戸惑いながらも、普通に会話していた。側から見れば、和やかな会話をしているお似合いのカップルなんだろうか。
それを対面から見ていた俺は何とも言えない気持ちになったが、表情には出すまいと食事に集中した。
ちょっとお米が、味気なかった。
食事を終え、一旦部屋に戻る。
入浴の時間になり、部屋のメンバーで大浴場へと向かった。
学校向けの公共施設なんてどんなもんだいと思ったが、開放的な露天風呂がついていて、想像以上にいい湯だったのをここに記しておこう。
着替えて外に出ると、ロビーに着いた。そういえば喉が渇いたかもしれない。飲み物でも買おうと自販機の前に立つ。
どれにしようかと指を迷ってると、
「伊織くん」
「のわっ」
ガコンと自販機から出てくる音。いきなり声をかけられた驚きで、誤ってボタンを押してしまったようだ。
取り出すと俺が飲まない、いちごミルクだった。
「ご、ごめんね!」
振り向くと、美亜が居た。てっきり花音かと思っていたばかりに、俺は驚いた。
しかも、湯上がり。
しっとりと濡れたストレートの黒髪と上気したピンクの頰が、妙に色っぽい。
普段可愛いと思っている幼馴染が、色香を放っている様子にたまらず、俺はちょっと目をそらす。
あー……これは学校側が悪くないか?
せっかく離れたところに男湯と女湯があるのに、ロビーで鉢合わせるのは禁止してないんだから。
まあ、ロビーは温泉から離れてるから普通来ないか……。
周囲に生徒はおらず、何となく良かったと思った。
それは幼馴染の分際して、美亜のこんな姿を他の男子に見られなかったことへの安堵なのか、美亜と2人で居る場面を見られていない気楽さなのかは、保留したい。
「えっと、飲む?」
いちごミルクの瓶を、美亜に渡す。確か飲めるよな。
「いいの?」
「俺飲めないから」
「確かに……」
幼馴染なので、すんなり納得してくれた。遠慮からではないと説明する手間がなくて、楽ちんだ。
美亜は、俺の食べ物の好き嫌いは何となく覚えてくれているようで、それが単純に嬉しかった。
「じゃあ、いただきます。お金後で払うね?」
「ん、いいよそれくらい」
財布今なくて、と美亜は言うが、俺は断った。
昔からそういうとこ、きちんとしてるんだよな…
「ええ。でも」
「その分美亜と話せるからむしろ破格」
「私はキャバ嬢なのかな……?」
「アイドルじゃね」
「伊織くんって、たまに変なこと言うよね……」
「そうか?」
俺は自分用に、コーヒー牛乳を購入した。
ロビーも空いていたので、座って飲もうということになる。
若い女性とお爺さんが一人ずつ居るだけで、とても静かだ。
その若い女性の前を通り過ぎた後、俺は何か強烈な違和感を感じて、その女性を振り返った。
「気のせいか……?」
知り合いに似ていた気がするんだけど……
髪色も、雰囲気も……違うし、
違うか。
向かいの席に、美亜と2人で腰掛けた。
瓶の蓋を開けて、美亜がちょっと掲げた。
「君の瞳に乾杯……?」
「ぶっ」
美亜がちょっとキリッとした表情で言うので、俺はたまらず噴き出した。
この幼馴染は、意外と心開いた相手には、こうやってボケてくるのだ。さっきのキャバ嬢云々のノリの延長だろう。
ちなみにそれの元ネタである映画の原文は、『Here's looking at you, kid.』なので意訳ではあるが、どうやったらそんな名訳が浮かぶのだろうかと初めて聞いたときは尊敬した。
君を見つめて、をただの行為ではなく、瞳に映る姿まで連想させる、先に踏み込んだ情景の切り取り。
美亜の瞳の中には、たった今、彼女を見つめる俺の姿が映っているのだろう。
………なんて。
────『いってらっしゃい、パパ』
花音の背中を押す声が聞こえる。
2人きりの、静かな時間。
きっと"あのこと"を尋ねるには、ちょうどいい。
「あのさ、美亜……」
でも、今じゃなくてもいいんじゃないか?と、臆病風に吹かれた俺が囁く。
林間学校は、あと2日あるんだ。
変に過去のことを持ち出して、もしギクシャクしたらどうする?
明日から、同じ班で、俺はどんな顔をすればいいんだ。
「………伊織くん?」
「…………」
まだ、早い。
でも次にいつ2人きりになれるか分からない。
また笹丘がやって来るかもしれないし、そうじゃなくたって美亜は人気者だ。
それに、これを逃したら、俺はまた美亜を話に誘う勇気はあるのか?
たまたま美亜が話しかけてくれて、昔のノリに俺は頼ってるだけじゃないか。
今言わなくて、どうするんだ。
もう停滞するのも、ぬるま湯みたいな自傷行為も、やめよう。
俺は変わらなくちゃいけない。
「中学の時」
「うん?」
「俺、聞いてたんだ」
美亜は何のことだろうと不思議そうに黒曜石の瞳で俺を見つめた。
手に握ったままの瓶には、水滴が流れていく。
「美亜が、俺との仲を友達に勘繰られて……一生懸命、否定してたから」
言え、勇気を出せ。
「あの時、美亜は俺のことを恋愛対象じゃないって言ってたけどさ……」
ずっと見ないフリをしていた古傷が痛み出す。
でもそのくらいなんてことない。
それは前に進むための、必要な代償なのだから。
「美亜は…今もずっと、そのままの認識でいる……?俺がこれから頑張ったら、変わる可能性を、期待していいか」
顔から火が出そうだ。
もうそれは告白みたいなものだったけど、彼女には届いただろうか。
彼女にずっと想いを悟られまいとしてきた俺は、この瞬間にそれを手放した。
届いていて欲しいと思う。
変わって欲しいなどとワガママは言わない。
でも、少しくらい俺に心を動かして欲しい。
俺は顔を上げた。
目を静かに見開く。
目を赤くした彼女がそこに居た。
「………ごめん、なさ……私、そんなつもりじゃ」
俺は言葉が出なかった。
「ごめん、なさい」
美亜は勢いよく立ち上がって、瓶を持ってロビーから走り去っていく。
残ったのは、呆然としている俺と、飲みかけのテーブルの上の瓶だけだった。
いつまでそうしていただろうか。
俺の肩をポンと叩いて、隣に誰かが座った。何と声をかけようか迷っている気配が、ひしひしと伝わってきた。
「あー……おっぱいでも、揉む?」
「揉むか、馬鹿」
未来の娘に背中をさすられながら、俺は両手の中に顔を沈めた。




