10 トラウマ療治
1日目は、午前が集団行動。
午後は写生大会だった。
2日目や3日目がハイキング、ロープウェイ、アスレチック、カヌーとアクティブなイベントが目白押しなので、初日はだいぶ盛り上がりに欠ける印象だった。
俺はキャンバスと鉛筆を持って、ぼうっとしていた。地獄の集団行動を終えて、疲れていたのかもしれない。いや、一番の原因は鬼瓦先生に怖いほど怒鳴られたことだと思う。
あれで体力が持って行かれてしまった。
美亜は唐沢や他の女子と行ってしまったので、そもそも誘うという発想が起きなかった。
こういう時大体一緒に居る蓮は、何か女子に誘われたらしく、俺を普通に置いて行った。
薄情なやつだ。
適当にクラスメイトと話しながら、俺はふらふら山の中を回っていた。
近所の河川敷が心の友達なだけあって、自然に身を置くというのは、俺は結構好きだ。
山の空気は美味しく、まだ生命力の残りを感じる冬の雑木林の中。
ちょっと疲れたな…と眠りこけていると、途中で息が苦しくなった。
びっくりして瞼を開けると、枯れ葉がこんもり俺の頭と身体の上に乗っかっていた。お山になっていた。
いや俺は焼き芋か。
俺がバサバサっとそれを払うと、けらけらと愉快な笑い声が聞こえてきた。
こんな小学生みたいなイタズラ、アイツしかいないだろう。
「かーのーん」
「あははっ、面白かったのにー」
案の定、花音の仕業だった。
白いお腹を出した肌寒そうなファッションは、今はダウンに身を包んでいた。
「ていうか、何しにきたんだ……俺はもう鬼瓦先生に叱られるのはごめんだ」
「大丈夫大丈夫ー。こんな山奥、誰も来ないって」
花音はちらちらと周囲を伺いつつ、間延びした声を出した。
俺も一応見たが、誰も生徒や教師が居なかったのでじゃあいいかと妥協することにした。
はからずして、学校外の人間との密会にはちょうど良さそうな場所であった。
「改めて、何の用だよ」
「そりゃあもちろん、伊織くんが今回の林間学校での目的を忘れてないかを確かめに!」
花音はうんうんと腕組みをした。
何だ、そのことか。
花音は、案外自由人に見せかけた世話焼きなんだな……。
俺の恋路を手伝うと言った以上、手は抜きたくないというだけなのかもしれないが。
花音は俺の目の前にしゃがみ込んで、じいっと見つめた。ブラウンの瞳が、俺を黙って追及する。
「伊織くん、そもそもの貴方の目標はなーんだ?」
「………それ、言わせるのかよぉ…」
「おーおー、ふゆけんなよぅ」
「……ふゆ……?」
「あー、間違えた未来の言葉だ。この世界では何て言うんだっけ、ひよる?なよー」
俺の腕をツンツンとつつく花音。ニヤニヤしていた。
違うコイツお節介ではなく、ヤジを飛ばしに来たんだ。
「はい、貴方の目標」
「……美亜に、告白する……?」
「ぶー!不正解。正解は、美亜ちゃんに告白して恋人になる、でしたー」
「ハードル上げんな……」
告白できるだけで俺は多分、十分だ。
だって無理だし。恋愛対象外だし。
「で、今回の林間学校で伊織くんがやらなきゃいけないことは何かな?」
「………トラウマ療治」
「そっ、そもそもの縺れの発端である、過去の美亜ちゃんの発言の意図を本人に訊くーーーーそれが伊織くんがこの林間学校でやるべきこと」
「………ああ」
俺は頷く。
娘にここまでけしかけられたんだから、勇気が出せないなどとごちゃごちゃ言ってる場合ではないのだろう。
美亜は昔、俺の居ないところで友人たちに『伊織くんは恋愛対象じゃない』と必死に説明していた。
そのトラウマを、美亜本人にその発言の意図を尋ねることで払拭する。
あのときどういう意味でそれを口にしたのか。
花音が俺に提案したトラウマ療治とは、それだ。
ただ一方でリスクもあるだろう。
本当に言葉通りでーーーーすれ違いでも何でもなく、あれが美亜の本心なのだとしたら?
むしろ、そっちに転ぶ可能性が高い。
そう考えると、俺は怖くなった。
浅い呼吸をして、冬の凍えた空気で肺を満たす。
冷たい、ひやっとした。ただの外気温のせいなのだろうか。
「美亜の返答次第じゃ、俺の片想いは今度こそ終わるかもな」
そんな弱音が、白い息に混じった。
時計を見ると、16時。キャンバスの上の草木は、いまいち微妙だ。もう集合時間が近いので俺は立ち上がる。「もう行くよ」と花音に声をかけた。
少し後の勇気を出した先の未来を考えて、俺は足元がふらついた。
花音は笑った。
何の気負いもない、軽やかな声が俺の背を追いかける。
「駄目だったら、私が慰めてあげるよ。そして未来のことを考えたらいい。だって未来でパパには、とびきり可愛いママと子供たちが待ってるんだから」
自分で言うのかよ、と思いつつ、俺はたまらず噴いた。小さく笑みが溢れた。
ただ緊張から逃れたかっただけかもしれない。
でも確かに、俺の張りつめていた何かが弛緩していって、今度は深呼吸した。新鮮な冬の空気だ。
俺は幸せなのかもしれない。
安心できる未来があって、縋れる希望が待っていて。
その一端を、知っているのだから。
「花音、俺は頑張るよ。今までの分まで、頑張る」
後ろにいる彼女の顔は見えなかった。
でも笑っている気がした。
うん、と優しい声が返ってくる。
「いってらっしゃい、パパ」
仕事に行く父親を見送る幼い子供みたいに、そんな言葉が俺の臆病な背を押した。




