11 それが真実とは限らないんだよ
幸いにも、美亜以外の女子を家に上げたなどと知ったらうるさそうなおふくろは、家を留守にしていた。
俺は家の無人を確認し、ほっと息を吐いた。
「入っていいぞ」
「ではでは、お邪魔しまーす」
花音はひょいっと、我が家に上がり込んだ。
改めて考えると、美亜以外で初めて女子を自宅に上げたことになるのだが……特にそれらしい感情は無かった。
面倒だからおふくろにはバレたくない、という思いこそあれ、緊張とか後ろめたさとかはなかった。
「ねー、伊織くんこたつの電源入れていいー?」
あと、花音がまるで自分の実家みたいにくつろいでいるから…というのが、一番の理由かも知れなかった。
花音は俺の許可を取りつけるなり、こたつの中にインして、ソファを背に寛いでいた。ぬっくぬくで、ぽへ〜っとしていた。……なんだ、この実家感?
「くつろいでるとこ悪いけど、おふくろ帰って来たらうるさいから、それまでな」
「えー?顔見たいけどなぁ……」
「何で俺のおふくろの顔を花音が見たいんだよ…」
「さー?何でだろうねー?」
花音は、こたつの上で両肘をついた。
また、読めない笑みを俺に向けて浮かべてくる。
分かってよ伊織くんーーーーとでも、言いたげに。
俺はくつろいでいる花音を放っておいて、立ち上がった。和室に置いてあった紺のジャージの入った紙袋を手に取って、リビングに戻った。
「ほらよ、忘れ物」
「わー、ご丁寧にありがと……」
花音は、すっかりこたつ効果でまったりした目と口調でお礼を言ってきた。
……これは、後で追い出す時が大変そうだな。
「ーーーーねえ、伊織くん」
不意に、真面目な声でそんなことを言うものだから、俺はドキリとした。意識外の先制攻撃だった。
「……な、何だ?」
「前に会った時、伊織くん言ってたよね。好きな人に『伊織くんは恋愛対象じゃない』って言われたって」
……ああ、そういえば。
それを聞くなり、花音はいきなり走って俺の前から姿を消していたのを思い出す。確かめることができた、とあの時花音は、そう言っていた。
「あのね……あの後、私確かめてきたの。未来の伊織くんーーー私のパパに」
「………はっ…?」
当たり前みたいに、既に分かってる共通事項みたいに、彼女はさらりと口にした。
また馬鹿みたいなSFの妄想に、俺を巻き込もうとしている。
俺をどうせ揶揄うんだろ。
騙されないぞ俺は……。
花音はいつの間にか居住まいを正して、きゅ…っと床に立てている膝の前で手を組んだ。膝に頭を乗せて、俺を横から眺めた。
花音は、寂しそうに笑う。
「パパはずっと後悔してたって。すれ違いたくなかったって」
「……花音」
「ねえ、伊織くん」
初めて会って、カフェに行った時も、彼女は唐突にそんな真面目な声で俺を呼んでいた。
あの時は、彼女は『未来で何があるか分からないよ』と言った。俺がまさか、と一笑を付すと、彼女は『伊織くんは誰かの父親になってるかもしれないよ』と。
人をおちょくるのが大好きな彼女に似つかわしくないくらいにーーーー真っ直ぐと見つめた視線が、俺を捉えた。
「直接貴方に語られなかった言葉は、まだ真実とは限らないんだよ」
「何を……」
彼女の瞳には、動揺している俺がきっと映っているに違いない。
抽象的な言葉なのに、俺には彼女が何のことを言っているのか、すぐに分かってしまった。
それと、彼女の話がただのSF的妄想なんかではないことも。
俺は、花音に
『陰で美亜がその言葉を言っていたのを聞いてしまった』
なんて、花音に一回も言っていない。
ただ『恋愛対象じゃないと言われた』と言っただけだ。それが直接俺に語られた言葉ではない、なんて、俺は花音に伝えていないのだ。
ーーーー未来の俺に、それを聞いた?
あり得ない………
それじゃあ、まるで花音は……
「伊織くん。貴方が舞台を降りるには、まだ早すぎるよ。あの言葉の真実を、確かめる前に幕引きするのは悲しいことだよ……」
ーーーー『ええ!っ、な、ないよ!ほ、本当に違うから!』
ーーー『私、伊織くんのこと、そういう目で見たこと、全然ないから…!伊織くんは恋愛対象とかじゃなくて、あの、すごく素敵な友達!恋愛対象じゃないから!』
呪いみたいに俺の心を占める、あの日の彼女の言葉に真実がある?
俺が諦めた可能性を、花音は拾おうと誘っているのか。
いいや。
俺は小さく首を横に振った。
「…だとしても……、美亜があの言葉を口にした事実は、少なくとも揺るがない真実なんだよ」
「……陰だとしても、そんな風に言われたのはショックだから、許せないーーーってことかな?」
「……そんな烏滸がましい感情はないけど」
俺は、苦笑した。
許す許さないなんて、そんな立場ではない。そもそもその発想は自分の中に、なかった。
あくまで恋愛関係になることを否定されただけで、美亜は別に、俺を友人の前で貶したわけではない。素敵な友達、とは言ってくれている。
それで満足できない俺が、間違ってる。
要はーーーーちょっと、真実を確かめたいとは思えないほど、ショックが大きすぎたのだ。
花音は、溜め息を吐いた。
やれやれ、といった具合に、明らかに肩を落とした。
「…はあーあ。過去と未来で、意見一致させてよー、もうー……。頑固だなあ、伊織くん……」
「悪かったな、頑固で」
「腑抜け〜、意気地なし〜、お前それでも男か〜」
「ここぞとばかりに悪口並べるのはやめんか?」
あはは、と花音はちょっと笑う。
俺もそれにつられて、何だか笑ってしまった。
不思議だ。花音が笑っていると、自然と笑いを誘われる。周りを巻き込むオーラのようなものを、彼女は天性にして持っている。
空気がいくらか弛緩してーーーー、ついでに花音の姿勢も元に戻った。
きちんと背筋を伸ばして体操座りしていたはずが、またこたつの中で足を伸ばして、だらける。
おまけに、もう俺との話は終わったとばかりに、制服のポケットからスマホを取り出して、操作し出した。
例の、電波が合わないらしい超薄型のスマホである。
「自由人……」
「はてー?誰の遺伝子引き継いじゃったかなー?」
「少なくとも俺じゃないな」
「意外とー?」
「……俺じゃないだろ」
「まあ、それはそうだねー。かと言って、ママの遺伝子でもないんだよね。これは花音ちゃん固有の遺伝子でーす。私のアイデンティティー」
「………会話も自由人……」
呆れを通り越して、いっそ清々しい。大抵の人間なら、羨ましいと思う。この要領の良さを兼ね備えた自由人っぷりは。
「あ、お手洗い借りるね〜。30秒後スマホのアラーム鳴るから、よろしくー。伊織くん、止めといてね〜」
「はい?」
意味のわからんスマホのアラームを、何故設定したお前は?
え、30秒後?
花音がリビングから消えて、彼女の宣言通り、しばらくしてこたつの上に置かれたスマホが音を鳴らした。
クラシック音楽と共に、スマホの画面が光った。
これは……バッハのトッカータとフーガ ニ短調か。
実は自筆譜がなく、バッハの真作か、ヴァイオリン曲の編曲か、ミステリアスな名曲だ。
その謎めいた背景とともに、音楽界で愛されてる曲。
何より、自由で即興的なトッカータと、対照的に緻密なフーガの建築美が素晴らしい。
「まったく、自由人め……」
俺はスマホのアラームを止めようと、スマホの電源を消そうとしてーーーーその画面に映っているホーム画面の写真に、釘付けになった。
それは、親子の写真だった。
5歳くらいの娘と、それを抱っこしている父親の写真だ。
女の子は、恐らく花音だった。あの特徴的な、こぼれんばかりの大きな目が、幼少期の頃からはっきりと現れていた。綺麗な二重の瞼と相まって、その目を見るだけで吸い込まれてしまう。
そして、父親の方が衝撃だった。
自分の未来の顔なんて、想像したことなかった。
だから、もし仮に見せられても、分からないんじゃないかと思ってた。
でも、父親は俺の親父によく似ていた。年齢は今の親父よりだいぶ若いであろう写真の中の男は、俺が幼少の頃に見ていた親父の顔とどこか重なる。
そしてーーー、俺の顔は親父似だ。
俺は、呆然としていた。
そんな俺をよそに、スマホはずっと鳴り響いていた。
メインのテーマメロディを追いかけて、いくつもの音が追いかけていく。
それはまるで、混乱する俺の頭の中を、これまでの花音の言動や彼女が示してきた証拠が追いかけてきて、1つの真実として収束していくさまを物語っていた。
何でスマホのアラームなんか、と思った。
だけど、それは、偶然を装って、俺にこの写真を見せるためだったのだ。
「…………普通、女子高校生が、父親とのツーショットをホーム画面にしますかって、の……」
そんな悪態を、最後についてみる。
わざわざ、変えたんだろうなアイツ。
俺は、花音のスマホの電源を落とした。
「嘘だろ………」
もはや、認めざるを得ない。
如月花音はーーーーー俺の未来の娘だ。
諸事情でちょっと作品のタイトル変更しております。




