9 花音さん、補習してたってよ
また河川敷に来ていた。
心が荒れているわけではないが、やはり人はぼうっと無心になる場所が必要なのだ。
やたらと目まぐるしかった日常も、最近落ち着いていた。何故かと言えば、単純。
如月花音に会わないからだ。
花音が忘れて行ったジャージも早く返したいのに、一向に会わない。最後にアデューされてから、1週間近く経っていた。
体育困ってるだろ、早く取りに来てくれないか……?
「へいへいへい〜」
何かリズミカルな声が聞こえてきたな…と思うと、
土手の下でサングラスを掛けて、変な踊りをしている女子が居た。
やたら脚が細くてスタイルが良い。
「へいへいへい〜」
腕と腰をくねくねしている変なダンスをしている。何故かスマホのアラーム音が鳴らしていた。それをBGMにして、彼女は踊ってるらしい。音源なんて、探せばいくらでもあるのに、スマホのアラーム音て(泣)。
「…………」
俺は、速攻で見なかったことにした。
変な人だ。関わらないようにしとこう。ジャージは適当に畳んで置いとこう。ごんみたいに。
……たとえが悪いな。火縄銃で殺されてしまう。
しかし、俺からの反応がなかったことにこらえられなくなったのか、彼女は土手を駆け上がった。
運動神経抜群な彼女らしく、急勾配を軽やかに登り切った。ポニーテールが揺れた。
「へいへい、そこの黄昏れボーイっ。花音ちゃんが来たよー!」
どーんっと、元気印の登場。
サングラスを上げて、夕日を背にイタズラめいて彼女が笑った。
……まあ、制服で一応誰かは分かってたけど。
「久しぶりだな」
「まあーねーっ、ごめんね!寂しかったよね伊織くん!私に会えなくて寂しかったよね〜。会えない間、私が残してったジャージを抱えて伊織くんはベッドの上で悶々としてたよね……」
「おい。俺に不名誉な罪を被せるな」
「あはは、冗談だよ〜」
花音はけらけらと笑って、俺の隣に前みたいに腰掛けた。制服のスカートが汚れるのは、今度はお構いなしらしい。
「雨上がりだから、スカート汚れるぞ」
「いいのー、いいのー。下に体操服のズボン履いてるし」
どっちにしろスカートは汚れると。微妙に回答になっていなかった。
「あー、この前はアレだよ?パ……伊織くんがそういうのうるさそうだから、一応きちんとしておこうかなあーって思っただけで。私は、元々気にしない性格なの」
「俺って、神経質そうな顔でもしてるの…?」
「ううん、高校生のくせに枯れてるだけー」
「もっとひどい……」
何でたまにこの美少女は俺のことをフルボッコにしてくんの?
く、やられっぱなしでは、格好がつかない。
代わりに、俺も反撃することにした。
「……さっきの変なダンスは、なに」
「あははっ、変だよね〜。世間って変なもので溢れてて面白いよね」
花音はパチン、と手を合わせて、せせら笑いをした。
急に冷笑主義になったんですけどこの人、やだ怖い。
「あの変なダンスが、今の世間では流行ってるんだよー。不思議だよねー?」
「え、嘘……」
初めて見た。
現役男子高校生なのに、俺知らない……
こういうところが「枯れてる」と言われる所以なのか…?
いや、俺は別に世間の流行りについていけないほど、枯れちゃいないはずなんだが……
あんな変なダンス、一度見たら覚えると思うんだけどな。
「あれ、伊織くん。その反応は、もしやあのダンスを知らないのカナー?」
「………」
「あれあれあれれ〜?現役男子高校生が知らないの〜?うーん、でもそっかぁ、伊織くんならしょうがないよねっ、絶賛おじさん化中ということで〜!」
「おーい!人をおじさん扱いす・る・な!」
「きゃー!あはっ、やだやだー、やめてーっ」
花音の頭をぐりぐりと曲げた指で押すと、彼女はさらにおかしそうに笑った。俺のささやかな抵抗すら、彼女は意に介さないらしい。
この彼女による揶揄いフィールドを崩せる日は、来るんだろうか…?
はあ、と俺は溜め息を吐いた。
「……にしても、音源くらい検索すれば。まさか、今時はスマホのアラーム音をBGMにしてあの変なダンスを踊るのが流行りとか、言わないよな……?」
もはや世紀末を疑うぞ。
世間が狂ったのかと思ってしまう。
「やだー、そんな訳ないじゃん〜。本当は音源探したかったんだけど、この世界じゃやっぱり電波合わなくてねー?ネットも開かないから、仕方なくアラーム音で気分上げてたの」
「アラーム音で気分上げようという発想が、意味分かんなくて面白い」
「えっへん。お褒めに預かり、光栄ーっ!」
何の疑いもなく、言葉を額面通りに受け取った花音は鼻高々に、胸を張った。俺に向かってサムズアップ。
「皮肉って、知ってる?」
「なにそのお肉?美味しい?」
「初めて聞いたわ、そんな最上級の皮肉返しは……」
この美少女に勝てる人、誰か居る?
……てか、"こっちの世界"って、何だ?
まさかコイツ、まだあの『私は伊織くんの未来の子供』とかいうSF設定を遵守してるとか言わないよな…?
スマホの電波合わないとか、同じ苗字のジャージとか、随所で手が込んでて、怖い。
「……あっ。でもそっか、じゃあこの世界じゃあの変なダンス流行ってないんだー、残念〜!伊織くんがおじさんなわけじゃなかったのか〜!」
ぴくり、と俺の頰が引き攣った。
俺は人差し指の関節を曲げた。ポキポキ。戦闘態勢だ。
「花音?もう一度ぐりぐりの刑、喰らう?」
「お願いしますーっ、頭皮マッサージお願いしまーす、いやあ先生ぇ、私最近側頭部が凝っててぇー」
「………最強ムーブやめて……俺の立つ瀬がないから…」
もうやだこの美少女。
これに付き合えるコイツの彼氏を、俺は尊敬するよ。全然誰か知らんけど。
花音はニコニコして、俺の顔を覗き込んだ。真ん丸の黒目がちな瞳で、俺を見上げた。
「1週間ぶりの花音ちゃんを見た感想はー?」
「はよジャージ取りこい」
「どシンプルー」
花音は小さく笑い飛ばした。彼女の最大の美点は、多分こんなところだろう。
俺は肘を立てて、頬杖をついた。彼女の整った造形を眺めながら、ちょっとこんなことを言ってみる。
「……1週間も、何してたんだよ」
「ありゃ?これは、もしや…本当に私に会えなくて寂しかったパターンだったか〜!」
「別に……」
「なに、なにーっ?顔逸らしちゃってぇー!花音ちゃん見てると心が落ち着きます?ありがとーっ!」
「言ってないけど?勝手に俺の心の声捏造しないでくれる…?」
「でも、当たらずとも遠からず?」
「………っ」
花音は自信たっぷりに言った。あまりに自信に溢れていて、こちらが覆そうとする気力がわかないくらいに。
分かってるよ、とでも彼女は俺に言いたげだった。
何故だろうかーーーー。
出会いは唐突だし、未だに意味が分からないことばかりなのに、彼女は、どうしてか「もっと話していたい」と思う相手だった。
話してると、落ち着く。
心地よさを感じる。
クラスに居ても交わらないだろうな、という、正反対の青春女子なのに、どこかで気が合ってる。
何だか、不思議な縁を感じるのだ彼女は。
……家族、みたいな。
ーーー『私が伊織くんの未来の子供だって言ったら、どうする?』
いつかの彼女の言葉を思い出す。
まさか、そんな馬鹿な……
電波の合わない超薄いスマホ。同じ苗字のジャージ。時々、「パパ」と言いかけて「伊織くん」と言い直す彼女。
それに、俺の好きな…あの真ん丸の瞳。
もし、それが…俺が未来の妻に求めた、"好きなところ"なのだとすればーーーーー、
それが花音にも遺伝したとしたら?
……馬鹿な……
だけど、だんだんと笑って一蹴出来なくなっている自分に、俺は気付いていた。
あまりにも、納得の行く証拠を、花音は上手に、俺に適切なタイミングでばら撒いていたのだ。
だけど、未来って。
「はいはーい!そんな寂しやがりな伊織くんにいい事教えたげるー!さて、問題ですっ!私はこの1週間伊織くんに会わずに何してたでしょーかっ!」
「………ええ……」
急にクイズ大会が始まった。
「…部活…?」
俺が頑張って捻り出した答えに、花音は指でバツ印を作った。
「ぶー。部活はちょー緩いから、違いまーす。あ実はね、私、家庭科部なのーっ、今度伊織くんにも何かお菓子持ってきたげよっか?私こう見えて、結構上手いよ!あ、でも彼氏が嫉妬しちゃうか……やーん、モテるって幸せー、でも辛いー」
「はいはい、答えは?」
おもくそ話が脱線しそうだったので、無理矢理軌道修正した。話を遮られても嫌な顔1つしないのだから、彼女はそういう意味で性格が素晴らしかった。
「正解はねー」
花音は、毎度のごとく、持ち歩いている学生鞄に手を突っ込んで中身をゴソゴソ。
あったあった、と目的のものを見つけたらしかった。
「じゃーん、見てみてー!」
「ん……?」
彼女が取り出したのは、ホッチキス留めされたプリントの束。赤いペンが大量に入っていた。
右下には、点数が書かれてあった。
41。57。43………
めくっても、どれも似たような点数だ。
「1週間ね、補習してたのー」
「補習………?」
俺はキョトンとしていた。あまり聞き馴染みのない単語だった。
補習って、アレですか。もしかして、テストの点が悪かった人がやるヤツのことをおっしゃってる…?
「テストがほとんど赤点でねー!いやー、まいったまいったー、私勉強苦手なんだよね〜!勉強ってダルいからやだぁ。あ、この補習のテストも先生に教えてもらいながら、ギリギリ合格出来たんだ〜、ねえー、伊織くん褒めて褒めてー。頑張った私を褒め称えてー」
「…………じゃない」
「え?なーにー?」
俺は頭を抱えた。まさかこの年で親みたいな悩み事をするとは思わなかった。
「やっぱり俺の子供じゃなーーーーい!!」
「ええええー!!?」
花音が俺の叫びに、仰け反った。プリントを抱えて、目を見開く。
勉強がダルいだとぉ…!?
己のスキルアップと自己研鑽に持ってこいの、人類の叡智を貴様ぁー!
俺は自慢じゃないが、生まれてこの方、学内の首位は落ちたことないぞ……!
「俺の子供は、勉強好きに育てる予定なんだ…!それで子供に勉強教えて『パパすごーい』『お前も頑張りなさい』『うん頑張る。パパみたいになるね!』っていう会話をする予定なんだーーっ!」
「何それぇ!?初めて聞いた…!パパ私に怒ったことないけど?勉強出来なくても愛嬌あればいいよねーって、前言ってたよ?」
「お前のパパとは、気が合わん」
「合わないはずはないんだけどー!?」
俺の子供かも、と思った俺が馬鹿だった。
やっぱり、違う!
未来の子供なんて、あり得ない!




