最後の力
「……大丈夫です、俺は。先を急ぎましょう」
鳥谷さんの命と引き換えに切り開かれた突破口。いくら辛くたって、ここで立ち止まるわけにはいかないんだ。
「桜井、黒木を守ってくれ。俺が先陣を切る」
島本さんがまず最初に、そして俺と桜井が続いてビルの中に突入した。
桜井に肩を抱かれなんとか突き進む。もう何が起こっているかさえわからない。俺はただ足を進めることだけで精一杯だった。
そして階段をかけ上がる。
「黒木ィィィィ!!」
その声の主は。つり上がった目つき、色黒の男――金田。
……ようやく会えたな。てめえを殺すためにここまで来たんだ。金田の顔を見て、一気に頭の冴えが戻ってきた。
「なかなかいい顔になったじゃねえかァ、お坊っちゃん!」
「島本さん、桜井。こいつだけは俺が!」
二人と目を合わせ、意思を汲んでくれた島本さんと桜井は俺の後ろに下がった。
金田は俺の顔面に向かってナイフを突き出してきた。だがそれをかわした。
俺はガブリエルを殺し、大和を退けたんだ。今さらこいつなんかに。
「俺の九六式を返しやがれ! よくも俺を撃ちやがって! あまつさえ、てめえがそいつを奪ったせいで、神崎様に大目玉食らったんだぞ!」
「こいつは、九六式は俺の銃だ!!」
九六式とは文字どおり生死を共にしてきたんだ。父さんを撃ち抜いたのもこの銃。それに遺恨はある。しかしこいつがいなければ俺はここまで戦ってこれなかった。
たかが拳銃にこんな感情を抱くのはおかしなことなのかもしれない。だがもうお前の銃じゃない、俺の銃だ。
引き金を引き、銃弾が金田の右手を貫く。そこからナイフがこぼれ落ちた。
「金田、てめえが、てめえが父さんを撃ったから!!」
父さんは意識不明となった。あの夜から俺の人生は変わってしまった。俺はうまくいかない日々が嫌で、こんな世界が嫌だから、世界を滅ぼす隕石を待ち望んでいた。
でもそんな世界のほうがよかったんだ。人を殺すことなんてなかったから。
「こんの、クソガキィィィィ!!」
左手を振りかざし、向かってくる金田。
今度は顔面に銃口を向け、また引き金を引いた。銃弾は金田の右目を貫いた。
「地獄に落ちやがれ!!」
崩れ落ちる金田の体を蹴り飛ばした。それは階段を転げ落ちていき、そして壁にぶち当たりようやく止まった。
そして微動だにしない金田から流れ出す血が、床を赤く染めた。
父さん、ようやく仇を取れたよ。
息つく暇もなくまた階段をかけ上がり、最上階。島本さんが扉を開いた。
ブラウンを基調としたその部屋には、いかにも高級そうな机と椅子。背の高い本棚には書物が敷き詰められている。さしずめ社長室といったところか。
そこに座っていたのは40歳前後の、スーツを身につけ眼鏡をかけた男。俺たちを見て、頬杖をつき不敵な笑みを浮かべた。
「お前が神崎か」
「いかにも。私が神崎総一だ」
組織のボス、神崎。ようやくたどり着いた。
知的だが、底の知れない雰囲気。誰かに似ている。
ほどなくして、それが佐藤さんだと気付いた。無論、顔立ちはまったく異なる。だがこの男は佐藤さんに似ている。
俺は神崎に九六式の銃口を向けた。
島本さんは目を伏せ、タバコに火をつけた。
「君、この部屋は禁煙だ。慎みたまえ」
「てめえ、今自分がどういう状況かわかってんのかよ」
完全に詰んだ状況。それにもかかわらず無表情で言い放った。この期に及んでよくそんなことが言えるな。
「いや、わかったよ」
島本さんはつけたばかりのタバコの火を携帯灰皿で消した。
「……なんで警察を狙う」
桜井が神崎に問いかけた。静かに、しかし怒りをあらわにして。
「Chaos――混沌たる世界。それが私の望むものだ」
「なんでそんなものを!」
「秩序だった世界が人間の欲望を抑圧する。警察なんてものはその最たる例だ」
「この世界には警察は必要だ、当たり前だろう!」
「そんなものは人間が決めたルールだ。同胞が殺されたとなれば、警察どもは課せられた使命を忘れ、自らの保身に躍起になる。警察による抑圧が弱まれば、犯罪が生まれやすい土壌が作られる」
雄弁に語りはじめる神崎。それがいくら間違ったことであっても。組織の、そして神崎の目的はなんなのか。神崎を殺すのはそれを聞いてからでも遅くない。
「犯罪とはすなわち欲望の体現だ。そうすれば人間の欲望は解放される。人間は他者を打ち負かしたくてたまらない。自分は相手より上なんだと。それを証明するために人を殴りたい、刺したい、潰したい、撃ちたい、殺したい――そんな闘争本能が人間の本質だ」
「てめえごときが代弁するんじゃねえ!!」
「たとえば黒木君が興じているFPSゲーム。桜井君が打ち込んでいる空手。エンターテイメントとしてのスポーツ、野球なんかもそうだな。戦争の模倣――それらは欲望を満たすための代替品だ。そんなまがい物で満足かね?」
神崎の弁舌にはそれが真理であると錯覚させられそうになる。しかしなぜ俺たちの個人的なことまで知っている、この男は。
「それを我慢するのが人だろう! 理性があるから人間なんだ! そんなのは退化だ!!」
「退化ではない、進化だ。私は理性と本能を兼ね備えた、人間の真の力を見たいだけなんだよ」
まさか。
「……オーバークロック。それこそが人間の真の力」
「なんだよオーバークロックって! 適当な造語でごまかすんじゃねえよ!」
桜井は机ごしに神崎の胸ぐらをつかみかかった。だが神崎は表情ひとつ変えない。
「聡明な君たちならもう気付いているだろう? 人間が自らの力を抑圧する枷。それを解放するのがオーバークロックだと。生物の本来の防衛本能、そして闘争本能が潜在能力を発揮させる。だが単なる火事場のバカ力では動物と同じだ。自らの目的のために理性を持って最高のパフォーマンスをコントロールするのがオーバークロッカーだ」
パソコンのCPUが人間でいうところの頭脳に相当する。頭脳によって制御された最大限の潜在能力。神崎の言うとおり、オーバークロッカーは新たな人間の可能性なのかもしれない。
……だが。
「こんなやりかたは間違ってる!」
「そのために人を殺すなんて、とでも言いたいのかい? 烏合の衆がいくら死んだところで私には何も響かない」
九六式を握る両手に力がこもる。お前らは何人もの人間を殺したんだ? 警察官連続襲撃事件の被害者の数を俺は知らない。だが鳥谷さんは俺の目の前で死んだ。それだけで間違っていると断言できる。
「黒木纏君、君が九六式自動拳銃を奪ったのは予想外だった。しかしうれしい誤算だったよ。まさか、オーバークロッカーとして覚醒するとは」
「俺はてめえのためにオーバークロッカーになったんじゃない!!」
「だが事実だろう? 君が大和とガブリエルを倒すために、そして私にたどり着くために覚醒したことは」
俺は神崎の手のひらの上だなんて認めない。
「ならなんで香苗を殺した!? 彼女は何も関係なかったはずだろう!?」
島本さんが怒声を上げる。島本さんの言うとおり、警察官襲撃事件と無関係であるなら、なぜ神崎は島本さんの恋人を殺した。
「花島香苗、君の恋人をなぜ殺したかって? それは島本君、君をこちらの世界に引き込むためだ」
「なんだと!?」
「私は君の才能を見込んでいたんだよ。君には公立高校の教師なんて似合わない。君は私と同じ人種、まともな人間じゃないんだから」
「まともな人間じゃない……!?」
神崎の言葉に島本さんは狼狽した。島本さんは自らをまともな人間じゃないと称した。だがなぜ同じ言葉を選べるんだ。
「君は人に教えることじゃなく、人を殺すことを望んでいるんだ。私と同じ人種だ。だから私が君に復讐という大義名分を与えてあげたんだよ」
「黙れ!!」
「だが君はオーバークロッカーになれなかった。とんだ見込み違いだったよ」
俺は神崎の額に九六式の銃口を突きつけた。
「俺たちはてめえを満足させる道具じゃない!!」
「……チェックメイトか。だが、しばし待たれよ。一本だけ飲ませてくれ」
神崎はこちらに手のひらを向けて制止し、ヤクルトにストローを挿して飲みはじめた。ヤクルトが『最後の晩餐』か? どこまで人をこけにすれば気が済むんだ。
自らの死を目の前にしてこの胆力。尋常じゃない。
島本さんが九六式に手をそえた。そう、神崎を許せないのは、殺さなければならないのは、この人も同じ。
「失礼」
ヤクルトを飲み終えた神崎は再び口を開いた。
「いやはや、世界の変革を見届けられないのはまことに残念だ」
「そうだ、お前の企ては失敗だ」
「だが、世界の歪みは確実に生まれた。警察はひた隠しにしているが、犯罪は少しずつ増えている。そして看過できないまでに増大するだろう。この歪みが君たちを苦しめる、しかし覚醒へと導くだろう」
「……戯れ言を」
「大和光流と黒木纏――二人のオーバークロッカーが現れた。これが証明だよ」
大和、なぜお前は組織の一員となって俺たちの前に立ちはだかった? なぜお前は神崎のために戦ったんだ? オーバークロッカーとなった原動力はなんだ?
だがそんなことは今さらどうでもいい話か。
神崎は目を閉じ、口角を上げた。自らの死を目前にして、なんでそんな表情をしやがる。
最後に最大級の痛みと絶望を味わわせてやるよ。
俺と島本さんは同時に九六式自動拳銃の引き金を引いた。
.32ACPが神崎の脳天を撃ち抜いた。そしてその体は椅子ごと後ろに倒れた。
九六式の銃身に、そして俺と島本さんの腕に血が飛び散った。
警察官連続襲撃事件の首謀者、組織のボス――神崎総一は死んだ。
金田が父さんを撃ったあの夜から始まった、俺の組織への復讐。その戦いが今終わった。




