フルコンタクト
翌日、授業が終わり放課後となった。今日は朝から雨が降り続いている。
「桜井、部活がんばれよ」
島本さんが桜井に声をかけた。
「俺はそのあとあなたと戦うことを考えると、血が騒いできますよ」
こいつ、何調子乗ったこと言ってんだ。
島本さんが教室から出たあと、桜井に話しかけた。
「本当に島本さんに勝てると思ってるのかよ」
「いや、何回も負けるだろうな。だが最終的に勝てばいいんだよ。スタミナにはそこそこ自信あるからな。島本さんの年を考えればそこは勝ってるだろ」
「お前、何勝手にルール決めてんだよ。島本さんが一本勝負って言い出すかもしれないじゃねーか」
「やばい、それは考えてなかった」
「そこは考慮しとけよ」
桜井と島本さんの戦い、俺は見届けなければならない。だが勝負は桜井の部活が終わったあと。今の時間が4時で、終わるのが6時だから、2時間待つ必要がある。ゲーセンにでも行こうかと思ったが、俺は空手道部の練習を見学することにした。
自販機でリアルゴールドを買い、それを飲みながら道場へ向かった。
空手道部の練習が始まった。そこにはもちろん桜井と、外村の姿があった。先月のゲーセン勝負の日以来か、部活を見るのは。
部員は練習でも道着を着ている。おそらく試合用とは別の練習用のものだろう。外村も例にもれず。道着のしたにちらと赤いTシャツが見える。女子の道着姿というのもなかなか乙なものだ。桜井の道着姿は普通に似合っている。
型の練習が始まった。外村も意外とうまかったが、やはり技のキレは桜井が段違いに上だ。やはりこいつは運動神経がいいし、その上並々ならぬ努力を重ねているのだろう。
外村は中学のとき陸上部、桜井は野球のシニアチーム――部活よりレベルが高い――に入っていた。だから二人とも空手は高校からだが、桜井はそうとは思わせない完成度だった。
練習が終わり全員が一礼をした。部活を通して見て、俺には空手なんて無理だと思った。
桜井以外の部員はみんな引き上げたが、桜井は道着のまま道場に立っていた。これからの戦いに備えて。
「纏先輩!」
うしろを向くと、そこには制服に着替えた、小柄な茶髪のショートカットの女子、外村茜がいた。
靴はいつも通り赤いオールスターを履いている。俺はやっぱりセーラー服にはローファーが一番だと思うぞ。ちなみに俺は制服に黒のジャックパーセルだが。
「外村、部活お疲れ様」
「お疲れ様です。っていうか纏先輩ずっと見てたんですか?」
「ああ」
「それだったら先に言ってくださいよ! 恥ずかしいじゃないですかー」
外村はそう言って顔を少し赤らめ、目を伏せた。
「あの纏先輩、どうしてあたしたちの部活なんか?」
「これから桜井と島本さんが戦う。それを見届けるためにな」
「桜井先輩と島本先生が!? どうしてですか」
「男には戦わなきゃならないときがある。桜井にとっては今がそれなんだ」
「いや、理由を聞いてるんですけど」
外村は心底疑った目で俺を見てきた。
「よお! 黒木に外村」
島本さんが手を振りながら来た。
「お前ら、うちの学校は不純異性交遊禁止だからなー」
「ちょっと島本先生! なに言ってんですかもう!」
顔を真っ赤にして反論する外村は、はっきりいってかわいかった。
「そうですよ。俺と外村がそんな関係なわけがないじゃないですか」
「そ、そうですよ……!」
外村は少し口をとがらせる。
「まあどっちでもいいんだけどよ」
島本さんは座っている俺に顔を近づけた。
「俺はちょっと将来有望な少年の幻想をぶっ潰してくるわ」
悪そうな笑みを浮かべて島本さんは道場に入っていった。
「外村、さっきの島本さんの言葉聞いてどう思った?」
「えっ!? べっ、別に悪い気はしなかったというか……むしろちょっと嬉しかったというか……」
「ふ、奇遇だな。俺も同じだ」
「ええ~~!?」
顔の赤さはそのままに飛び出そうなほど目を見開く外村。ころころ表情が変わって面白いやつだ。
しかしなんでこんな軽口を叩いたんだ、俺は。でも今の反応からして、少なくとも俺は外村に嫌われてはいないだろう。これで実は嫌われていたら俺は何も信じられなくなる。
いやいや、本題は桜井と島本さんの戦いだ。
島本さんはワイシャツの袖をまくり、道場にたたずむ桜井と対峙した。
「待ちわびていましたよ、島本さん。ルールはどうします?」
「もちろんフルコンタクト、顔面はなし。勝負はお前の気がすむまでやってやる。お前が一本か技あり二本取るか、その前に根負けするかだ」
「ありがとうございます。俺の考えていたとおりのルールですよ」
「フルコンタクト?」
「フルコンタクト――いわゆるフルコン、打撃ありのルールですね。高校の空手は伝統派といって、技は体に当てず寸止めなんですけど」
そういうことなら桜井にフルコンの経験はないはず。打撃ありということはウェイトの差が如実に現れる。ウェイトだけではなく、おそらく技でも島本さんのほうが何枚も上手だ。島本さんの技を桜井がしのぎきれるとは思えない。
桜井、お前に勝ち目はない。なんでフルコンで了承したんだ。
「審判はそこにいる黒木纏君にやってもらおう」
「お、俺ですか? 俺、空手なんてわからないですよ」
「技が決まったと思えば手を挙げるだけでいいさ」
どうしても俺が審判だと桜井にひいき目で見てしまうだろう。俺が、桜井が組織と戦うことに反対だとしても。だがそれも島本さんは折り込み済みのはずだ。それでも負けるはずがないと言っているようだった。
「よーしそろそろ始めようぜ、桜井。黒木、頼む」
「……は、始め!」
島本さんは始まって早々、桜井に次々と中段突きを繰り出す。桜井はそれをさばくので精一杯だった。
「なんでほんとに、桜井先輩と島本先生が……」
「桜井は己の実力と信念を証明するために島本さんに戦いを挑んだ。まあ、ガキの駄々が通用するほど島本さんは甘くないだろうけどな」
そして桜井、お前が考えているほど甘くはない。組織との戦いは。
桜井に一瞬の隙が生まれたその瞬間、島本さんは前蹴りを桜井の体のまさに中央に突き刺した。
舞った。桜井の体が。その一秒にも満たない時間ののち、桜井は床に投げ出された。俺はすかさず手を挙げた。
「そんな……!」
ただ口を抑えることしかできない外村と、俺はまったく同じ感情を抱いた。圧倒的すぎる。ここまで差があるなんて。
「大丈夫か、桜井」
少し心配そうに、島本さんは桜井に手をさしのべる。桜井はその手を取り、立ち上がった。
「ぜんぜん大丈夫ですよ。さあ、続けましょう」
そう言ったあと、桜井は俺と外村のほうを向き親指を立てた。
戦いが再開したあとも、桜井は防戦一方だった。
雨の音が大きくなってきたので外を見ると、どしゃ降りとなっていた。
「おいおい、上ばっか気をとられてんじゃねえか?」
突きからの流れるような動きで、島本さんはローキックを放った。それをまともにくらった桜井はその場に崩れ落ち、左足を押さえてうずくまった。
俺は手を挙げた。もう見てらんねえよ。
「外村、この戦いが見てて辛いなら、もう帰ったほうがいい」
外村は首を横に振り、俺の目を見据えた。
「あたしは桜井先輩が島本先生と何を賭けて戦っているのかは知りません。ですけどこの戦いを見届けたいって気持ちは、たぶん纏先輩と同じです」
そうだ。俺は見届けなきゃならない。桜井の思いを。
もう何十分たったのだろう。これが試合ならおそらくもう10回は島本さんの勝利だ。まだなんとか立っている桜井の姿は、素直に応援できる状態ではなかった。応援なんて、残酷すぎる。
桜井は死力を尽くすように連続で突きを繰り出した。
「そんな駄々っ子突きじゃあなあ!」
突きを受けても島本さんは意にも介さない。
「そうやって俺を、なめんじゃねえよ!!」
その叫びののち、桜井の体が浮かんだ。桜井はジャンプし、左足を島本さんにぶつけた。蹴りというには弱々しい、蹴りというよりも、階段に足を乗せるような。
「これが俺の力だ!!」
空中にとどまったままの桜井は、大きく体をひねりあげ、一気に右足で島本さんの側頭部を蹴りあげた。
その全身全霊の蹴りを受けた島本さんの体は、大きな音を立てて床に突っ伏した。
「一本!!」
俺は桜井の勝利を認める一声を上げていた。
「いやー負けた。俺の負けだ、桜井」
島本さんは仰向けの状態のまま、手足を大の字に広げて言った。
俺は走り出していた。靴を脱いで、走って、桜井の肩を両手で抱いた。
「お前! 心配したんだぞ! 心配したんだからな……!」
「ああ、悪かった、纏。でもちょっと今は……」
そう言って桜井はうしろに倒れた。俺もいっしょに。
「青春、だなあ……」
俺たちの様子を見て外村はかすかに微笑んだ。
「利いた風な口をきくな!?」
「兼続、いや纏。なんでまたガラにもなく大声でツッコんでんだ……」
「……悪いかよ。仕方ないだろ、久しぶりにテンション上がっちゃってんだから」
少し休憩して俺と桜井、そして島本さんは帰りはじめた。ちなみに外村はいつの間にか帰っていた。
「……島本さん、俺が組織と戦うこと、認めてくれるんですか」
「ああ、男に二言はねえ。いっしょに戦おう、桜井」
桜井の信念と意地は俺の想像をはるかに越えていた。たぶん、島本さんも同じく。
「……ありがとうございました」
桜井は島本さんのほうに体を向けて深々と頭を下げた。それはおそらく最後のハイキックを受けとめてくれたことへの礼なのだろう。島本さんならあの蹴りは避けられたはずだ。
「頭上げろよ。まあこれから組織と戦うからには、俺からのどんな無理難題も受けとめろよ」
「はい! 望むところです!」
普段と同じ、はきはきとした口調でやる気を見せる桜井。
「どうなっても俺は責任取らねえからな。お前、明日には死んでるかもしれねーぞ」
「なんでそんなこと言うの!?」
雨脚が少し弱まってきた。
「腹減っただろ、お前ら。ラーメンでも食いに行かねえか」
「もちろんおごりですよね」
「煮玉子つけていいですか? 替え玉何玉まで頼んでいいですか!?」
「……あーあーわかったよ。何玉でも食べていいから、好きなもん頼め!」
島本さんは頭をかきながらしぶしぶ了承した。
俺たちは島本さんのランエボに乗ってラーメン屋に向かった。後部座席でラーメンを待ちわびる俺と桜井を尻目に、財布の中身を気にする島本さんの表情が忘れられなかった。
俺はこの感じがいつまでも続いてほしいと思った。たぶん、組織との戦いのせいでいつか終わってしまうから。