僕らもいつか空蝉に
全年齢、夏休みの一コマです。
「太陽より高いところってさぁ」
緑はそう言いながら教室の窓を開けた。
夏の乾いた風が教室に入ってくるなり、カーテンを揺らす。
「太陽より高いところ? んなもんないよ。地球は太陽の周りを回ってんだから」
聡太が緑の横でため息混じりに言う。
緑は窓から見える渡り廊下を見つめている。
「公立高校だから、屋根がないのかなぁ?」
渡り廊下には屋根がない。真新しいグレーのペンキで塗られた手すりが、太陽に照らされて歪に光っている。
「私立だったらきっと屋根もエアコンもついてるよね」
「さぁ、どうなんだか。わざわざ1階まで降りなくていいからラッキーだけどな」
聡太がちらりと緑の方を見る。
「お前、この後予備校って言ってなかったっけ? いいの?時間」
「いいの。どうせ夏休みは自習室いっぱいだから。授業は夜からだし」
「あっそ」
蝉の鳴き声が響く。
「私たち、このまま大人になるのかな」
緑がつぶやく。視線は渡り廊下の方向のまま、どこか遠くを見つめているようにも見える。
「大人って? このまま何もなけりゃなれるだろ。なんか18歳から成人だとか言ってるし」
聡太は、緑の隣で自分の足元を見る。
「違うよ、このままっていうのは、この感じのまま?ってこと」
この感じのままって何だよ……と思いながら、聡太は応える。
「お前、なんか悩み事でもあんの?」
「聡太はさ、勉強ばっかりして何とも思わない? 気付いたら3年の夏休みで、そろそろ第一志望決めろとか、オープンキャンパスに行け、とか言われてさ」
緑は自分の左手で右手の肘をつねる。
「大人はさ、たくさん勉強して良い大学に行くことばっかり目標にさせようとしてさ」
聡太が、なるほどねという顔をした。
「緑、親御さんになんか言われたんだろ」
「……」
「第一志望、どこにするって言ったんだよ」
「海外の大学に、行きたいって言った」
「そしたら、そんなお金ないって」
「お前が心配なんじゃないの? 親御さん、突然海外の大学って言われて、びっくりしたんじゃねぇの」
聡太は緑を見る。緑はすぐ後ろの机に腰掛け、足元を見ていた。
「……そうかもね」
緑は困ったような顔で、それでも口元はニカッとさせながら、聡太を見る。
渡り廊下に、こちらに向かう担任が見えた。
「今日の追い出し当番、新沼か」
聡太が窓を閉める。閉めかけの窓から入った風に、カーテンが舞い上がる。
緑はカーテンを掴もうと右手を伸ばす。
同時に、緑の左手を聡太が掴んだ。
聡太が緑の前に立つ。
「……」
聡太は左手で緑の頬をつねる。
「思う存分悩んで、考えて、ぶつかってみたらいいんじゃねぇの。お前ってそういうやつだろ」
「……なにそれ」
緑は照れながら、顔を左に向ける。
隣の教室の引き戸を開ける音が聞こえる。
「じゃ、下でな」
聡太が先に教室を出る。
緑は視線を窓の外に向ける。
担任の新沼が引き戸を開ける。
「おーい、そろそろ閉門だぞ。下校しなさい」
「はーい」
緑は振り向きながら応え、鞄を肩にかける。
廊下に出ると、空気がひんやりとしていた。
上履きが床をキュ、と鳴らす音が響く。
階段を降りる。
一段飛ばしてみる。
口元がゆるむ。
下駄箱の先に聡太の背中が見える。
緑は呼吸を整えながら、ゆるんだ口元を悟られないように、靴を履き替えた。