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<9・なやみ。>

 これは一体どういう流れだろう。みらは心底困り果てて、家の布団に彼を横たえた。アパートの一人暮らしなので、家には一人分の敷布団しかない。彼に貸してしまったらみらは床で寝るしかないのだが――いやまあ、それはいいということにしよう。いや、良くはないが肝心なのはそこではない。

 何故、霧島流が完全にぐったりして自分の部屋で寝ているのか。というか、寝かせる羽目になったのか。

 そしてみらは、彼を家まで運んでくることになったのか。

 弟を殺した原因を作ったかもしれない、忌々しい男なのに。


――わけがわからないよ……。


 どこかのアニメのセリフのようなものが頭の中を通過していく。

 みらは疲れ果てた気持ちで、今日の出来事を回想することにした。


――そもそも、こいつが何日も出張で帰ってこないせいで、聞き込み調査ができなかったんじゃないか、もう……!




 ***




 みらがキリシマルミカの名前を大型掲示板で見かけてから、早一週間が経過していた。何故それ以降に進展がなかったのかと言えば単純明快、丁度折り悪くそのタイミングで流が出張に行ってしまったかである。

 今度こそ彼に色々と問い詰めたいと思っていたのに、本人がいないのではどうしようもない。仕方なくみらは普通の業務をこなしながら他の社員達から話を聞いたりしているのだが、彼らはみらが思っている以上に口が堅かったのだった。

 キリシマルミカどころか、天城りくの名前さえ誰も出さない。この会社で自殺した(ということになっている)社員などまるでいなかったとばかりの対応である。ここまで来ると少々箝口令がしっかりしすぎていて空恐ろしいほどだ。まあ、自社の社員が違法薬物で自殺したなんて会社の存亡に関わるような話、出来ることならなかったことにしたいのが皆の本音なのはわかっているが。


「すみません、山雲さん。このロット、今日の出荷で空になるみたいなんですが、どうしたらいいですか?」

「んー?」


 外部倉庫からの出荷作業中に、丁度在庫がゼロになった腕時計があった。つまり売り切れだ。ここ最近出ていくことが多い時計で、日本のとある大手メーカーが作った紳士モノの時計である。腕時計としてはそこそこ値が張るというのに、欲しいという人が複数名出たのは驚きというものだ。


「あ、コーコーさんのやつね。今男性の間で流行してるみたいですから、そろそろ空になると思ってました。次の発注かけちゃいましょう」

「え?いいんですか、営業担当に相談しなくて」

「一ヶ月間にこれだけの数出てるロットは、暗黙の了解でうちらで処理しちゃっていいことになってるんだよー。営業担当が不在で相談できないこともあるしね。ただ、すごーくゆっくりなくなった商品は次を入荷するか慎重に決めないといけないから、相談なしってわけにはいかないんだけどねえ」

「なるほど」

「発注のやり方は覚えてる?やってみてくださーい」

「はい」


 彼女の前で発注手続きを行いながら、ちらりとその顔を見るみら。にこにこと笑ってはいるが、この女性もなかなかの曲者だとつい最近みらは気づいたのだった。

 何故なら、最上千歳よりも全然口を割る気配がない。

 本当の本当に、この会社で天城りくの事件などなかったような口ぶりだった。それどころか。


『この会社で死んだ人がいるって噂、本当は誰に訊いたのかなー?』


 笑顔で、逆に脅されてしまった。


『あたし、これからと鳥海さんとは仲良くしたいなーって思ってるんですよね。だから……この会社でこれからもお仕事したいなら、余計な詮索はしない方がいいですよ。世の中、知らないほうが幸せなこともたくさんあるんだよね。知ったら、地獄で後悔しても遅いってゆーか?』


 ひょっとしたら。

 彼女が自分の指導係になったのは、彼女を新人の見張りにつけたかったからなのでは。そんな勘繰りをしてしまうほどのプレッシャーだった。他の社員以上に、彼女はこの件を再調査されるのを嫌がっている――嫌っているという印象。

 一体どういうことだろう。

 実は弟と付き合っていた?とかならむしろ調べてほしいと願いそうなものだが。


――彼女も敵の一人、だったりするのか?


 そもそも、何をもって敵と定義するべきなのか。覚悟を決めてこの会社に入ったはずなのに、みらは少しずつそれがわからなくなりつつあった。


「そ、あってるあってる!」


 普通にしていれば山雲鞠花は天真爛漫で、少し子供っぽいところもあるフレンドリーな女性でしかなかった。時々ちょっとおっちょこちょいで、入社五年目とは思えないようなミスをする、といったくらいである。


「すぐに手順覚えて凄いなー鳥海さんは!あたしは何回間違えたやら。おかしな発注しそうになって先輩に叱られたこともあったっけ」

「失敗したらどうするんですか?」

「今日中に発注はかからないから、今日中に気づけば取り消しがきくよ。取り消しボタンはここねー」


 何とも食えない人物が多い会社だった。そういえば、初日以降社長の姿も時々しか見ていない。小さな会社だから自ら出向かなければならないことも多く、忙しいということなのだろうか。

 モヤモヤモンモンと考えながら、仕事はいつも通りに過ぎていく。変化があったのは、夕方の五時になろうという時間に、まるで駆け込むように霧島流が会社に戻ってきたからだった。


「あれ、霧島君?今日は直帰じゃなかったの?会社に寄らなくても良かったのに」

「あ、いえ……そうなんですけど」


 先輩社員に尋ねられて、しどろもどろになる流。明らかに顔色が良くないが、何かあったのだろうか。その目が捉えたのは、何故かみらだった。


「あ、あの……鳥海さん、ちょっといい?」


 彼はずかずかとこちらに歩いてくると、切羽詰まった顔でみらに尋ねたのだった。


「今日の仕事、これで終わり?」

「え?……はい、まあ」

「だったら、この後少し時間をくれないかな、俺に」

「それはいいですけど……」


 事情は後で説明するから、とその目が言っていた。今ここで、皆の前で話したい内容ではない、と。


――何だ?何かあったのか?


 ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。殺意にも似た暗い感情が突き刺さったとわかったためである。みらは慌てて振り向き――そこに立っていた鞠花と、目が合うことになったのだった。


「……やるじゃないですかー鳥海さん!霧島さんのお誘いなんて、やるやるー!」

「え、あ……まあ」


――い、今のは……?


 突き刺すような、冷たい目。すぐに笑顔に戻ったが、見間違えるはずがなかった。普段の鞠花とは比較にならないような視線。とても、親しくしている後輩に向けるものではない。

 彼女も、何かを知っているのか?何故憎悪に近いものを自分に向けたのか?みらは混乱しそうになっていた。

 おかしな話だ。調べれば調べるほど、謎が増えていくなんて。




 ***




 家に帰りたくない。

 居酒屋で、流はそう白状した。明らかに憔悴した様子、かつそれをみらに相談してきたということはもしや。


「……あの半グレの奴等に、住所を突き止められて張り込みされてるってことですか?」

「……そうみたいだ」


 項垂れつつ、ヤケになったかのようにカシスオレンジを流し込んでいる彼。飲み方も飲んでるものも先日とは違う。明らかに、何でもいいから悪酔いさせてほしいし辛い現実を忘れさせてほしい、といった様子だった。思うところのあるみらでさえ、不安を感じてしまうほどの。

 ひょっとしたら、一度家に直帰しようとしたのかもしれない。しかし、自宅の近くで張り込みされていることに気がついて引き返してきた、といったところか。あるいは、脅迫めいたメールでも貰ってしまったのかもしれなかった。


「……俺自身のこともそうだけど。本当に、あいつらは従姉を見つけるために躍起になってるみたいで。俺に金を返させることより、俺から彼女の情報を得たいってのが目的みたいなんだ」

「でも、霧島さんは何も知らないって」

「ああ、そう、本当に何も知らないんだよ。もう二年近く連絡も取り合ってない。本当に何処にいるのか全く心当たりもないのに、俺も親の実家にも押しかけられてて本当に困ってて。それこそ、怒らせたら何をされるかわからなくて……!」

「もう、警察に行ったほうがいいくらいの案件じゃないですか。何でそうしないんです?」


 この様子だと、彼は両親とは同居しておらず、マンションかアパートに独居しているのだろう。その近くで不審者が彷徨いてますと言うことにもなれば、流石に警察に通報して見回りくらいしてもらってもいいはずだ。

 確かに今の段階で捕まえることは難しいかもしれないが、それでも警察の目があれば向こうも手出しがしにくくなるだろうに。


「それは……できないし、したくないんだ」


 流はかぶりを振った。


「警察沙汰になんかしたら、大騒ぎになんかしたら、会社に迷惑がかかる。俺一人クビになるならいいけど、会社に迷惑かけるのは嫌だ。半グレ組織なんかに社員が狙われてるなんて、噂が立つだけで間違いなく影響が出るのに……!」

「き、気持ちはわかりますけど、そんな場合じゃ!それに、何も霧島さん本人が半グレと関わったわけではないでしょうに!」

「従姉なんだよ?それも、二年前までこの街に住んでて頻繁に会ってたんだ。俺も疑われないなんて保証はどこにもない……っ!」


 どうやら、みらが想像していた以上に流の状況は切羽詰まっていたらしかった。少しの思案の後、みらは彼の背中をさすりながら言う。


「……キリシマルミカ。それが、従姉さんの名前であってますか?」

「!」


 びくり、と流の肩が震える。何で知ってるんだ、と目が訴えていた。だからみらは正直に語ることにする。


「あの半グレ連中のことが私も気になって、ネットで調べてみたんです。そしたら、サイレスの目撃情報があっちこっちで上がってるみたいで。それで、キリシマルミカという女性を追っていると」


 みらは、自分が掲示板で見た内容を詳しく語った。サイレスがどうやら単純なけじめというより、明らかに何か恨みを抱いて女性を探している様子だということも。

 その最大の目的が、どうやらお金ではなさそうだということも含めて。


「た、確かに……その霧島瑠美香(きりしまるみか)は従姉のことだと思うけど」


 意外だったのは、そこで流が困惑した様子を見せたことだった。


「え、お金を借りて逃げたから、じゃない?」

「もしそうなら、貴方やご実家から金銭だけ回収すれば済む話では?勿論組織にとっては、本人にケジメを取らせないなんて屈辱でしょうけど……サイレスが探している理由は、そんな単純なものではないような印象なんです」

「た、確かに聞いた様子だと、不自然なほど執拗に追ってるみたいだけど……何でだ……?」


 どうやら、流本人は本気で瑠美香が追われている理由を“借金のため”と解釈していたようだった。そりゃ疑問に思うのも当然だろう。

 無論、その答えはみらとて知る由などないことである。そもそも、霧島瑠美香という女性がどういう人物なのかを自分はまったく知らないのだから。


「霧島瑠美香さんは、そんなに人に恨まれるようなことをしたんですか?その、霧島さんの従姉さんをあまり悪く言いたくはないのですけど……」


 それとなく、探りを入れる。すると流は、さらにカルーアミルクとピーチハイをおかわりで注文した後、乾いた声で笑ったのだった。

 だいぶ酔いも回っているし、ヤケになってるのは間違いない。


「あははははっ……どうだろうね。もう、俺には瑠美香姉のことが全然わかんないや!」

「わからない?」

「明るくて元気で……山雲さんに近いキャラだったかな。天真爛漫だし、ちょっと派手好きでパーティ好きで……一緒にいて楽しい人だった。世話にもなった。家族として好きだったよ。好きだったんだよ。なのに……もう、何であんなことになるんだかさっぱりわからない。何で逃げたんだ、瑠美香姉……」


 そして彼は、ぐったりと項垂れて、はっきりと口にしたのである。


「何で、あんな状態の……天城君を捨てて逃げたの、瑠美香姉……っ」

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