<7・だます。>
残念ながら、三階倉庫の掃除をするだけで午後の時間は全部消費されてしまった。流石にこれは、残業してやるタイプの仕事ではない。四階の掃除とチェックはまた今度でいいと思う、と千歳はみらに言った。
「三つだけ、ラベルが一致しないのと読めなくなってるのが出てきちゃいましたね。……うーん、こっちは“ニニーちゃんのハッピーハロウィン時計”だと思うんだけど、こっちがちょっと怪しい……」
千歳は置時計の一つを睨みながら唸っている。みらは驚いた。さっき黒猫の時計について語った時もそうだが、もしや彼女は。
「もしかして、自社製品の殆どを覚えてるんですか?凄い……」
「そ、そんなんじゃないです!」
みらが褒めると、千歳は顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を横に振った。
「ゆ、有名な奴とか、人気のやつとか……自分が好きだなーって思った商品を覚えてるだけで。流石に全部網羅してるわけじゃないですよ。ただ、元々私、時計が好きでこの会社に入ったから」
「そうなんですか?」
「は、はい。……時計って、誰にとっても必要なものじゃないですか。みんながスマホとか持つようになって少し需要も変わってはきちゃってますけど……でも、家に一個ある置時計とか掛け時計って部屋の一部になるものっていうか、大事なものだし。あと、誕生日とか、特別なお祝いに腕時計を買うこともあるでしょ?」
彼女はオレンジ色の、カボチャを持った女の子の時計(ニニーちゃんのハッピーハロウィン時計というらしい)を手に持って、幸せそうに微笑む。
「私、リーダーシップを取ったりとか、お客様の前に出て積極的にお喋りするとかそういう仕事は全然できないから。……影で、誰かの笑顔の力になれる仕事がしたいな、って思ってて。そうしたら、この会社の求人見つけて応募した、ってかんじ、なんですよね。電話対応はちょっと苦労したけど、皆さん親切にしてくださってるし、山雲さんとかも優しいし……私には、すごく良い会社なんです、ここ」
それに、と彼女は続ける。
「基本は入力業務と出荷梱包と、こういう検品と掃除がメインだから。私には、仕事って意味でも向いてるなって」
おどおどしているように見えた彼女だったが、みらが思っていた以上に彼女はこの会社を気に入っているらしかった。
入社してから数日。みらもそれとなく他の社員に話を訊くようにしているが、今のところ誰からも“会社や上司への不満”を聞くことがない。笑って仕事の魅力や仲間の良さを語る彼等が嘘をついているようには見えなかった。むしろ、あれで“実は恐怖政治で洗脳されていました”だったら怖すぎるレベルである。
――この子も、りくと同じなんだ。
弟が言っていた言葉を思い出す。時計は生活に欠かせないもの、自分が誰かの役に立てる仕事をしているのが誇らしいと。
あの霧島流も同じなのかもしれない。そう思うと、少しだけ罪悪感を抱いた。自分でもわかっていたが、どうにも彼に関してはフィルターがかかってしまっている己がいるのは否定できない。流が、弟の死に直接関係しているとか、見殺しにしたという証拠はまったくないのに、どうしてだろう。
「霧島さんも同じなんですかね」
「え?」
「あ、その……最上さんみたいな気持ちで、霧島さんも仕事をしてらっしゃるのかと思ってて。そういう理由があるから、この仕事を続けられるのかなって。この間、ちょっと怖い場面に遭遇してしまったものですから」
初日の夜にあったことは、流から口止めされてはいない。丁度良い機会だった。今この倉庫には千歳と自分しかいないのだ。
みらはあの日、彼が半グレ――サイレスとかいう組織に絡まれていたのを助けたという話を千歳にした。流に近づくな、と。そう忠告してきたのは他でもない千歳である。この流れで尋ねるのは、何も違和感がないはずだ。
「その、最上さんが“霧島さんと関わらない方がいい”って仰ったのは。その霧島さんが、半グレに目をつけられているから、なんでしょうか」
みらの問いに。さっきまでの笑顔を消して、千歳は俯いた。
「……それも、なくはないです。なくはないんですが」
「が?」
「霧島さん本人は凄く良い人だけど……優秀なんですけど、どうしても一つだけ欠点というか問題があって。あの人、人を見る目があまりない、というか」
「?」
まあ、それはわからないでもない。自分のようなウソツキを捕まえてはっきりと“人を傷つけるような嘘言えない人だと思うから”なんて言ってしまうような男性である。
確かに、見る目がないと言えばない。騙してベッドに連れ込もうと目論んだ自分が言うのも何だが。
「営業マンとしては凄く仕事出来る人だと思うんですけどね。プライベートだと、滅茶苦茶騙されやすいんです。実は私が入社した直後に、結婚詐欺に引っかかりそうになったことがあって」
「ええ!?」
「何だか、人をすぐ信じちゃうみたいなんです。究極の性善説と言うか、なんというか。だから、どうしても仕事でお金が必要でーとか言われると出しそうになっちゃうとうか。その時は心配した社長が話を聞いて止めてくれたおかげで事無き事を得ましたが……」
なんとなく想像がついた。もやもやもや、とあの日の流の様子を思い出して思うみらである。
人は基本いい人間ばっかり、騙そうとしてくる人はほんの僅かだとでも思っているのか。あの日もハニートラップを警戒するのではなくみらの心配を本気でしているように見えた。そりゃ、悪い女に引っかかるくらいありそうだろう。今までどう過ごしてきたのやら。
「あの人のことは信じられても、あの人が紹介する人のことはちょっと信じられないんです、私は」
引っ込み思案であろう千歳が、ここまではっきり言うとは。
「あの時だって……霧島さんがあの人を紹介しなかったら、きっと彼も……」
「彼?」
「…………」
「ねえ、最上さん、彼って?」
まさか、と思った。だが、流石にみらの口から陸の名前を出すことはできない。自分はあくまで、りくとは赤の他人であるということにして入社したのだから。千歳の口は堅いかもしれないが、種明かしには早すぎる。
そこまで言いかけて止めないでほしい。そう強く含ませて彼女を睨めば、千歳は青ざめた顔で口を開いた。
「これ、殆ど社内のタブーになってるんです。私から訊いたって、言わないでくださいね」
「わかった、言いません」
「……この会社で、一人。死んでしまった社員がいるんです。自殺ってことになってます、真相はわかりませんけど、営業部の男の子で」
間違いない、りくのことだ。自殺ってことになっている、という言い方をするということは。
「自殺じゃないかもしれないってこと?」
千歳は、多少その死に疑問点があるということなのだろう。確かに、警察もあくまで“ドラッグを注射した注射器に本人の指紋しかなかったから”で彼を自殺と決め打ったはずである。警察にも事情はあるのかもしれないが、みらとしては捜査がおざなりすぎるのではというのが本当のところなのだが。
「その、この会社の雰囲気は悪くない印象ですし……皆さん優しいじゃないですか。会社が原因で何かあるとは、私にも信じられないんですけど。霧島さんが紹介した人のせいで、ってどういうことです?」
「わ、私も……あんまり詳しく知ってるわけじゃなくて。でも、霧島さんがあの人を彼に紹介しなかったらあんな死に方なんかしなかったんじゃないかって。だって、天城君は優しかったし、あんなに仕事に一生懸命だったのに……!す、すみません、これ以上は」
「あ、ご、ごめんなさい」
少々強く訊きすぎたかもしれない。涙目になって黙り込んでしまった千歳の背中をさすりながら、みらは思う。
天城君、とはっきり言った。離婚した時父にくっついていったので、弟はまだ父方の性のままだったのである。やはり、りくのことで正しいようだ。
霧島流が紹介した“あの人”。その人物が鍵を握っていると見て間違いないのだろう。
――そう、そうなのか。……やっぱり、あんたが私の大切な弟を奪った……そのきっかけを作ったってわけか。
悪意がないから、何をやってもいいなんてことはない。本人は本当に何も知らずに悪人を弟に紹介したのかもしれないが、それでものうのうと仕事を続けるなんていい度胸ではないか。
知らないことは罪でなくても、知らなかったからで許されることは何もない。
自分の正体をバラさず、彼からりくのことを訊きだせないものか。千歳の名前を出さずに、この会社でかつて人が死んでしまったという噂を聞いた、という体で流を問い詰めてみたらどうだろう?
――許さない。私の直感は正しかった。あんたは、私が憎むべき敵だったってわけだ。
『そういう女性が、あんまり自分を大事にしないようなことを言うのは良くないよ。ボディーガードっていうのもそう。恋人のフリっていうのもそう。……空しくない?そういう名目で、俺と一緒にいるの。そういうの、どんどん自分を傷つけちゃうだけじゃない?』
『鳥海さん、人を傷つけるような嘘言えない人だと思うから。なんとなくだけどね』
思っていたより、優しいひとかもしれないなんて思ってしまった自分がいる。流を助けてくれなかったとか、追い詰めた元凶だとか、そう言うのは全部自分の思い込みだったのかもしれないと。
でも、実際そうではなかったというのなら。それがわかったなら、容赦する必要はない。徹底的に情報を搾り取って、再起不能になるくらい追い詰めてやらなければ。あの子が受けた苦しみを、百倍にして返してやるのである。
――……結婚詐欺に騙されがちっていうのなら、騙す方法はいくらでもありそうだ。お友達っていうポジションは許して貰えてるんだから、じわじわ攻めていって恋人に収まってやろうじゃないか。
まずは、霧島流が紹介したという“あの人”が誰なのかを突き止める。それからだ。
その人物が全ての元凶であるというのならば、当然その相手もみらの復讐対象に違いないのだから。