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<6・あい。>

 どんなシンプルな仕事であろうと、丁寧に、そして一生懸命取り組むというのは当然の鉄則である。自らの行い一つが会社の信用に関わるし、自分はその仕事に従事することによって給料をもらっている身ということを忘れてはいけないからだ。

 自らの怠慢のせいで会社の信用を下げ、売上が伸び悩めば最終的にそのしわ寄せは社員の給料に行くことになる。安定した給料を得たいのなら、あるいは少しでもベースアップを望むならどんな仕事であっても真面目に真剣に取り組むのは当然のこと――なんて、少しでも社会人を経験したことがある人間ならば当然知っていることなのだが。


「なるほど」


 みらの目の前にどどどどーん!と聳えているのはステンレス製の大きな棚。そして、その上に乗っているたくさんの商品である。スズカゼ・カンパニーのビル、その三階の自社倉庫だ。小さな段ボールから、大きな段ボールまで。色々な段ボールが積み上がっている。中に何が入っているのかは一応ラベルが貼られているが、その一部は色あせてしまって非常に読みづらくなっていた。明らかに倉庫にしまわれたまま出荷されずに眠っている商品や、段ボールの使いまわしがあるのがわかる。


「これのチェックとお掃除も私達の仕事、と」

「そ、そうなんです」


 こくこくと頷く千歳。

 水曜日あたりは一番手すきになりやすい。よって、手があいたタイミングで倉庫の掃除や整理整頓をする、というのも自分達の仕事になってくるのだった。正確には営業補佐だけの仕事ではないはずなのだが、他の部署はもっと忙しいので必然的に、といった流れであるらしい。


「きょ、今日は山雲さんが出荷の大部分を頑張ってくれましたし、自社倉庫からの出荷は少なかったですからね。お掃除も覚えてほしいってことで、こうなりました。すみません、ちょっと汚れるので、水曜日とかは今後は動きやすい服を着てきてくださった方がいいかもしれません。ここ、オフィスカジュアルだから、そんなにかっちりしたスーツ着なくていいので」

「分かりました。大丈夫です、力仕事は得意ですから」


 本当は力仕事はともかく掃除はそんなに得意ではないのだが、一応此処ではお淑やかな女子で売っていこうと思っているみらである。細かい作業もできますよ、ということをアピールしておかねばなるまい。同時に、そういう作業も嫌がらずに丁寧にできますよ、というのも。


「力仕事……そういえば、初日から結構、大きな段ボール運んでくれてましたもんね。わ、私はそういうの、全然駄目だから、羨ましいです」


 真面目だけれど、あまり自分に自信がないタイプなのだろう。千歳の声はいつもどことなく小さく、しりすぼまりになりがちだ。本当は、新人に指導するような立場なんて自分には無理、というのが透けている。

 だから、みらは方針を変えることにした。彼女からも、いろいろ訊きだしたいと思っていることがあるのだ。信用は得ておくに限る。


「力仕事は得意ですけど」


 てへぺろ、という感じで彼女に笑いかけて見せるみら。


「実は、掃除はあんま得意じゃなくて。上手くなりたいなとは思ってるんですけどね。最上さんは、そういう作業は得意ですか?」

「え?え、ええ……むしろ、そういうこまごまとした一人の作業の方が、得意で。本当は、人がいっぱいいる下のオフィスで作業するより、この倉庫で一人で地道に掃除や検品している方が好きで……」

「ああやっぱり」


 あまり人と話すのが得意そうではないし、どちらかというと教室で一人本でも読んでいたであろうタイプの女子。そういう印象は正しかったようだ。一人でいることが苦にならないというより、むしろ一人でいられる時間がないことが辛いという人間も世の中にはいるものである。


「私は大雑把な性格で……力仕事はできるけど手先が凄く不器用だし、部屋の結構とっちらかっちゃってて。だから、そういう掃除とか、細かい作業ができる人って尊敬します。得意なことが違うっていいと思いませんか?力仕事は今後も私がやりますよ、営業補佐は全員女子だし」


 自分の得意なこと、好きなことを褒められて嫌な気持ちになる人間はいないだろう。案の定、千歳は少し頬を染めて、そうかな、と呟いた。

 自分が“掃除もできる真面目女子”を気取るより、そういうことに長けている先輩を立てた方が好感度が高いと判断したわけだが、どうやら正解だったらしい。


「じゃ、じゃあ。私は奥の棚からお掃除とチェックしますね。ちょ、鳥海さんは手前からやって頂いていいですか?」

「了解です」

「さっきもお伝えしたように、段ボールを下ろして中身をチェックして、綺麗に布巾やティッシュで拭いたら戻すっていう繰り返しなんですが……もしラベルと中身が明らかに違っていたり、ラベルが劣化している商品があったら作業台によけておいてください。ラベルの貼り直しや在庫の再確認が必要になるので」

「はい。……あ、私は背が高いので大丈夫ですが、最上さんは最上段に手は届きますか?厳しかったら私が上の段は全部やりますが」

「だ、大丈夫です、さすがにそれは悪いです。こっち、踏み台があるので」

「それなら良かった」


 言い忘れていたが、千歳は営業補佐の女子の中でも特に背が小さい。多分、いつも猫背で歩いているから余計小さく見えるのだろう。眼鏡をかけているから分かりづらいとはいえ、彼女もけして不細工というわけではない。あの牛乳瓶のような眼鏡を替えるだけで見違えるのではないかな、と思ったが流石にそれは黙っておいた。

 世の中には、自分の外見に触れられるだけで気分を悪くする人間もいる。そもそもコンタクトがつけられないケースもあるのだ(アレルギーの問題だったり、不器用でコンタクトを目に入れることができないなんてこともある)。できもしないことを期待されるほど、辛いこともない。

 本人がお洒落をしてきたりして、見た目に気づいて欲しそうな時に触れてあげればそれでいいだろう。流石に、髪型を変えたのに誰にも触れられなかったら悲しすぎるだろうから。


「ぶっふ」


 高い場所にあるとはいえ、170cmあるみらならば大抵の高所には手が届く。筋力もあるので、それなりの重量の段ボールであっても下ろすのは難しいことではなかった。

 問題は、動かすたびに頭上から埃が落ちてくることで。


「大丈夫、ですか?」


 少し離れたところから千歳の声がする。棚の向こうなので彼女の姿はちらちらとしか見えないが、会話はできるようだ。


「そ、その……すみません。実はここ最近は忙しくてちょっと掃除が疎かになってて……だから結構埃っぽいかも」

「だ、大丈夫です!これくらい!へっくしゅん!」


 ややくしゃみをしつつ、段ボールを一つずつ下ろしていった。元あった場所に正確に戻さなければいけないので、複数の商品を同時に下ろすことは避けるようにする。今の自分では、商品ラベルを見ただけで元の場所を思い出すだけの知識はないのだから。

 最初の段ボールは両手で抱えるくらいの大きめの箱だった。随分長い事開けていないことがわかるくらい埃が積もっている。雑巾で埃をふき取りつつラベルを確認。これは掛け時計であるらしかった。道理で大きいはずである。色はゴールドとある。もしあからさまに違う色の時計が出て来たりしたら、再チェックが必要ということになるだろう。


――へえ。


 ラベルに海外のメーカーが書いてあったのでもしやと思ったが、出てきたのはかなり立派な品だった。硝子の箱に入った、金色の丸い掛け時計である。どうやらフルーツをモチーフにしたものらしく、てっぺんにはリンゴをあしらったレリーフがあり、針に合わせて動くであろう振り子部分は葡萄の形をしていた。また、丸い淵部分をぐるっと取り囲んでいるのは、たくさんの小さな苺たちである。

 なかなか高価そうな品ではあるが、ケースはかなり埃を被っていた。これは取り出してみるべきなのかどうか。


「最上さん、開けた形跡のないガラスケースの掛け時計が出てきたんですけど、これは中身を確認して掃除した方がいいんですか?」

「あー、そういうのは硝子ケースだけ拭けばいいです。大抵凄く高い品なので、ヘタに触って壊れちゃってもまずいので」

「高い、というと……」

「大抵、二十万超えとか」

「うげ」


 そりゃ、壊したら一大事である。みらは冷や汗を掻きつつ、ケースを丁寧に拭くと段ボールに戻した。検品も掃除も大事だが、商品の数はまだまだあるし、今日は手を出せなくてもいずれ四階の倉庫にも着手しなければいけないのである。一つ一つにあまり時間をかけているわけにはいかなかった。自分が手間をかけすぎるほど、一緒にやっている千歳の負担が大きくなってしまうのだから。

 時計をメインで扱っているというだけあって、倉庫にあるものは殆どが時計だった。掛け時計、置き時計、腕時計。それから、時計がついている子供用の玩具、なんてものも。これらが全て、来るべき主人と巡り合う時を待っている品の数々というわけだ。埃が積もっている商品ほど長く買われていないと考えるとなんだか切なかった。先ほどの掛け時計なども、なかなか悪くない品であるように思われるのに。

 下ろしてはラベルと中身のチェックをして掃除、下ろしてはラベルと中身のチェックをして掃除。そんな作業をひたすら繰り返していたみらは、一つの段ボールの中身を見てあ、と小さく声を上げたのだった。


――これ……そうだ、私の部屋にあるのと、同じ。


 そこにあったのは、有名な猫のマスコットキャラクターをあしらった置き時計だった。黒猫が地球儀のような形をした丸い時計を抱えて、ごろんと寝転んでいるデザイン。そう、かつて弟のりくが、みらにプレゼントしてくれたのと同じものである。

 ただし、みらの部屋にあるのは黒猫ではなく三毛猫のものであったが。




『姉ちゃん、朝弱いだろ?これ使って、頑張って早起きしてくれよな。ほら、姉ちゃん三毛猫好きじゃん?だから買ってみたんだけど、どう?』




 弟は、姉の好みをよくわかっていた。みらも一目で気に入って、今もアパートのテレビ横に置かれている。


――ここの商品、だったんだ。


 りくは、自社商品だとは言わなかった。しかし、自分のところの商品に自信がなければ、大好きな姉にプレゼントしようなんて思わないだろう。


――そういえば、あいつ、言ってたっけ。時計は絶対必要なもの、なくてはならないもの。……自分は誰かの役に立てる、笑顔できる商品を売ってる。それが誇らしいって。


 じわり、と涙が滲みそうになる。あの、とつい声に出していた。


「最上さん。この……ニコニコキャッツの黒猫置時計って商品なんですけど。これ、一般でも売ってるものなんですか?私の部屋には三毛猫のやつがあるんですけど、キャラクターグッズのお店で見たことがなくて」

「そ、それ好きなんですか?嬉しいです。私もお気に入りの商品なんです」


 ひょこり、と顔を出した千歳は、先ほどよりもはきはきとした口調で喋った。彼女も、自分の仕事に誇りを持っているんだな、とすぐに分かった。自社製品を認められたと思って喜んでいるのだと。


「黒……黒猫の時計なら、まだ、流通してると思うんですけど。三毛猫って、数が少なくて、レアなんです。実は、黒猫よりずっとお値段も高くて」

「え!?そ、そうなんですか?プレゼントされたんですけど」

「はい。……だから、その。プレゼントされた方はきっと……鳥海さんのことが、とっても大切だったんじゃないかなって、私は思います。大事にしてあげてくださいね」

「……はい」


 彼が時計を買ってくれたのは、入社してまだ間もない頃だった。けして給料も多く貰っていたわけではないだろうに。


――……こんなところにも、あったんだな。あんたが、私を愛してくれていた証拠。


 潤みかけた目元を乱暴に擦った。埃で涙目になったせい。とりあえず、そういうことにさせてもらおう、なんてことを考えながら。



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