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<5・ことわり。>

 思いきり、誘ったつもりでいた。それこそ、このまま酔った勢いでホテルに行っても構わないと思っていたみらである。

 好きな男というわけではない。いくらイケメンでも、弟を助けてくれなかったかもしれない相手に本気で惚れるつもりなど微塵もなかった。でも、こいつを自分の虜にしてしまえば、まだ隠しているかもしれない情報も引き出しやすい。それから、あの半グレ“サイレス”の連中も接触してくるだろうし対処もしやすいと思ったのである。

 しかし。


「……鳥海さん」


 それなりにアルコールが入っているはずの彼は。どこか淋しそうな顔をして、みらを見たのだった。


「俺のこと、好きだって言ってくれるのは嬉しいよ。でも……俺のこと、まだ鳥海さんは何も知らないよね?俺だって、まだ全然鳥海さんのことは知らない」

「わかってます。でも、一目惚れなんです、駄目ですか?」

「……一目惚れっていうのを、完全に否定するつもりはないよ。でも、俺はあんまり……信じてないんだ。一目見て、運命の相手だとわかったっていうのは」


 からん、と彼の手の中。コップに入った氷が音を立てた。それなりに騒がしい居酒屋の中であっても、妙に大きく。


「夢を見ていると言われるかもしれないけど。恋って、相手と話して、相手のことをよく知って、少しずつ生まれて育んでいくものだと思ってて。ちょっとした優しさが好きだとか、気を使われて嬉しかったとか、仕事してる姿がかっこよかったとか一生懸命さに魅かれた……みたいな。そういうものを少しずつ積み重ねていって、本当の意味で好きになるもんだって俺は思うんだ。俺は、そういう風に人を好きになりたいし、君もそういう風に誰かを好きになってほしい」


 それに、と流は続ける。


「もし、君が本当に俺のことを好きになってくれたんだとしても……俺の駄目なところとか、何も知らないで好きだって言われるのは、怖いよ。知られた時に、絶対失望されるから」


 意外だった。それは明白な、ここで恋人になることはできないという宣言。もっと言えば、今すぐホテルに一緒に行ってもいいというみらの意思表示にほぼ気づいての返しだと分かった。

 みらは驚く。とうに処女は捨てているし、以前にも何人か男性と付き合ったことはあるが――殆どの男は、下半身に忠実な生き物だったからだ。どうにも、みらの容姿は人並以上ではあるらしく(あるいは、ちょっと胸が大きければ顔は二の次としか思ってない連中なのか)、誘えば会った初日からでもベッドに行くことを許容するような奴も少なくなかったからである。

 言ってはなんだが。女よりずっと、恋心なんかなくても性欲発散のために誰かと寝てしまえるのが男だと思っていた。酒の席で誘って、こうも理性的に断られるとは全く想像していなかったのである。


「……そんなこと、ないと思いますけど」


 動揺させられたのは、こちらだった。少し震えた声で、当たり障りのない言葉を返してしまう。

 こちらがある種のハニートラップ狙いである、ということを見透かされたわけではなさそうだ。しかしそれが逆に胸の深いところを刺してきた気がしたのである。そう。


「俺の勘違いだったら申し訳ないんだけど。……恋をすることと、ベッドに行くことは同一じゃないし……恋愛ってそう一足飛びに進まなくちゃいけないもんじゃないだろ?」


 ああ、やはりバレている。己が露骨に誘っていたことを。みらはビールをぐいっと煽って誤魔化した。表情を見られたくなかったがために。


「君の今日の仕事、丁寧で真面目だったって山雲さんが褒めてたよ」


 流の声が、妙に頭に響く。


「そういう女性が、あんまり自分を大事にしないようなことを言うのは良くないよ。ボディーガードっていうのもそう。恋人のフリっていうのもそう。……空しくない?そういう名目で、俺と一緒にいるの。そういうの、どんどん自分を傷つけちゃうだけじゃない?」

「そ、そんなことないです!霧島さんを助けたいって思ったのは、本当で……!」

「うん、そこを否定はしない。でも、恋人のフリとか……いきなり誘うみたいなことを言うのは駄目だって。相手によっては、都合の良い女扱いして君を大事にしてくれないよ。俺がそういう人間だったらどうしてた?」

「そ、それは……」


 霧島流が、真面目で人当りもよく、女性関係でも悪い噂がないのは知っている。でもそれは、あくまで会社に来る前にマークして独自で調べていたものだ。

 本人は、あくまで今日初めてみらと出逢ったばかりで、自分のことは何も知らないと思っているわけで。みらも一目惚れだと言ってしまった以上、余計な情報を開示することはできなかった。そもそも、何で自分のことを事前に調べていたのか?についてツッコミを食らったらうまく切り返せる自信がない。大企業の社長とかならいざ知れず、彼は一介の中小企業の営業部、その平社員に過ぎないのだから。


「俺も、あんまり恋愛というものがよく分かってないし。……まずは先輩後輩で、友達になってからもう少しゆっくり考えるんじゃ駄目かな」


 まさか、社会人になって――学生がよく言うような“お友達から始めませんか”を聴くとは思っていなかった。完全にフラれたわけではない、ということではあるのだろうが。


「……入社初日で」


 思わず、ぼやくように言ってしまった。


「いきなり好きです、なんて言ってきた女を……なんで警戒しないんですか、貴方は。なんか、ちょっと冷静になってきたら私、滅茶苦茶失礼なこと言ってますよね……友達って枠に入れて貰うのもなんか申し訳ないというか、年齢はともかく紛れもない先輩後輩なのに」

「そりゃびっくりしたけど、だからって失礼だとは思わないよ」

「なんで?」

「うーん、なんていうか」


 はは、と。流は、酔って少し赤い顔で笑ったのだった。


「鳥海さん、人を傷つけるような嘘言えない人だと思うから。なんとなくだけどね」




『姉ちゃん、絶対人を傷つける嘘は言わないよな。だから、信用できるって言われない?』




 ずきり、と胸が痛んだ。どうして、弟と同じようなことを言うのだろう、彼が。

 自分はもうとっくに、嘘にまみれて此処にいるのに。知りたいことを知るためなら、相手を利用するためなら好きでもなんでもない男と即寝ることも厭わない女なのに。


「……そんな、人間じゃないですよ、私は」


 想像していた以上に純粋な流の眼を見ることができず、みらは視線を逸らした。


「本当に、そんなんじゃないので」




 ***




 結局。彼を家まで送る、という提案は優しく却下されてしまった。流石に先を急ぎ過ぎてしまったかもしれないと後悔する。確かに自分は半グレ達から彼を助けて、一種課しを作ったようなものではあるが。だからといって、好きです付き合ってくださいをやるにはいくらなんでも早計だった。一目惚れでこっちは通るとしても、あちらはみらと出会ったばかりであるのだから。


――なんだかな。


 少々飲みすぎたかもしれない。駅のベンチに座って酔いを覚ましながら、みらはぼんやりと電車を待っていた。


――まさか誘っても全然乗ってくる気配もないなんて。……私、そんなに魅力ないのかな。


 そうじゃない。そういう理由ではないと、本当は分かっていた。

 いっそ、みらに魅力がないから引っかからなかった、であった方がずっとマシだったのかもしれない。さっきから、胸の奥に棘のようなものが突っかかって消えないのだ。

 何度も思い出してしまう。もっと自分を大事にしてほしいと、みらを想って突き返してきた男の言葉を。

 どこか似ていると思ってしまった。りくと霧島流。顔立ちも声も全然共通点はないはずなのに、どこか考え方が、思想が。


――……友達ではいいって言ってくれてたし。私が霧島に気があるってことは伝えたから、多少強引に近くにいようとしても違和感はないはず。……だから、情報収集はまだできる、問題ない。


 早々に計画が頓挫してしまっているような気がしてきたのを、みらは強引に振り払った。余計な情など持つべきではない。仮に本当にりくの死に本人が関わっていなかったのだとしても、流がりくの非常に近いところにいたのは事実で。彼が、りくの死を止めてくれなかった、助けてくれなかった人間であるのは間違いないことなのだ。

 肩入れなどするべきではない。

 自分はなんのためにこの二年、呪うように人生を生きてきたのを忘れたか。全ては、りくの無念を晴らし、その死の真実を突き止めるためではないか。


「大丈夫」


 己に言い聞かせるように声に出した。


「私は、全然、大丈夫」


 電車が参ります、というお決まりのアナウンスが流れる。まだ眩暈はするが、立ち上がらなければいけない。立ち向かって、前に進まなければ。その先が底知れぬ闇の世界であるとしても。


――ひとまず、霧島流は置いておく。奴の周囲をマークしつつ、会社の他の奴らから聴きこみしよう。


 山雲鞠花。最上千歳。この二人からもう少し信頼を得て、口を軽くしてもらう必要があるだろう。

 特に千歳は、明らかに何かを知っていそうな気配である。――流が半グレに絡まれていたことを話せば、それを語ってくれるかもしれない。

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