<3・ぎもん。>
現時点でみらが分かっているのは以下の通り。
一つ目は、弟のりくが勤めていた会社がこのスズカゼ・カンパニーであったこと。本人の様子から察するに、会社での人間関係は良好で、特に同じ営業部で先輩の霧島流のことはかなり尊敬していた様子であったこと。
二つ目は、彼が薬物で亡くなったことは間違いなさそうだということ。脱法ドラッグ“メリッサ”は一部の半グレ組織が売りさばいているものであったらしく、弟とその組織にどこで接点があったのかはまったくわかっていないこと。
三つ目は、本人が亡くなった時に部屋に誰かいた可能性があること。彼の部屋の鍵は開けっ放しになっていた。ゆえに、薬を彼自身が打ったのか、別の人間が打って殺害したのかは不明。ただ警察は注射器に本人以外の指紋がなかったなどの理由から自殺と判断したらしい。ちなみに、彼はよく会社の人間を家に招いていたらしく、一人で住んでいたアパートの一室からは会社の同僚たちの殆どのメンバーの指紋が検出されたらしい。一部、誰の指紋かわかっていないものも出てきたようだが、残念ながらそれは特定できていないという。
四つ目は、本人が仕事以外に大きな趣味を持っていなかったこと。ネットサーフィンをしたり、ユーチューブの動画を見たりということはしていたが、パソコンからは不審な履歴は全く見つからなかったのだそうだ。ただ、本人のスマートフォンは行方不明。持ち去られたのか、あるいは本人がどこかで紛失したのかはわかっていない(この点だけでも事件性を疑ってくれよ、とみらとしては思うのだが)。今は仕事に専念したい、とみらも本人の口から聴いていたので、この点に関しては間違っていないと思われる。
――会社の人間は、彼の家に出入りしていてもおかしくなかった。アパートの住民も、会社の人達がかわるがわる家に来ていた様子を目撃している。
問題は、そのアパートそのものにあまり人が住んでいなかったこと。事件が起きた頃は、一階の老夫婦の旦那さんしか在宅しておらず、しかもぐっすり寝ていたから物音がしてもわからなかったというのだ。
管理人は少し離れた小屋で住みこみで生活しているが、こちらはかなり老齢のご婦人。耳もやや遠くなっていたし、ちょっと離れたところにあるアパートで多少騒ぎが起きていても気づいた自信はないと言っていた。
そして、安いアパートなのでハイテクな防犯カメラなどはどこにも設置されていない。
事件が起きた頃は、閑静な住宅街にほとんど人気はなかった。仮に誰かが逃げていったとしても、目撃証言を得ることは難しかっただろう。ましてや、駅の近くまで行かないとコンビニもないような場所である。
――もう少し、高くても駅に近いところに住めって言えば良かったのかな。……ううん、この会社に勤めるなって言えば。
みらが、会社の人間が関わっている可能性を強く疑っているのは、やはり彼の家に会社の人間ばかりが出入りしていたのがわかっているからである。
それこそ、親しくしていたというのなら寝ている隙にこっそり薬を打つなんてこともできそうだ。
問題は、仮に本当に会社の誰かの犯行だったとしても、現時点ではその動機がまったく見えないということ。そして、会社の誰がそんなことを?そもそもその人物はどうやってドラッグを手に入れたのか?ということがまったく分かっていないということである。
よってみらが、一番最初に調べたいと思っていることの一つは、彼に殺意を抱くような人間や強い敵意を持つ人間が社内にいなかったのか?ということ。りくが女性にモテていたであろうことは想像に難くないし、女性関係で揉める可能性は否定できない。本人がそんなつもりがなくても、何一つ悪くなくても、ハニートラップなんてどこにでも転がっているから尚更だ。
――でもなあ。付き合ってる女性が仮にいたんだとしたら……流石に、姉の私に言うはずだよな。あいつの性格だと。
実は黙っていたけれど男性が好きで、男性と恋人になりました――という方向ならカミングアウトできなくてもおかしくはないが。普通に社内恋愛で彼女ができたというだけならば、両親よりも前に自分に言いそうだというのがみらの本心だった。贔屓目が入っているのは否定しないが、それを抜きにしても自分達の関係は良好で、好かれているという自負がみらにはあったからである。
勿論、人間関係でもめるとしたら恋愛絡みに限ったことではない。
上司からのパワハラだとかモラハラだとかセクハラだとか、友人関係でのトラブルなんてことも否定はできないのだが。
――大学時代一番仲良しだった奴らが、口をそろえて最近弟には会ってない、って言ってた。あいつらのことは私だって知ってる。葬式で大泣きしてたあいつらが、嘘をついてるとは思えない。
電話やメールでの連絡は取り合っていたものの、それ以外で友人たちと会うことは殆どなくなっていたようだった。理由は、とにかく仕事に集中したいから、仕事が忙しいからと言われたという。実際、就職一年目で彼は相当テンパっていたはずだった。調べたところ、スズカゼ・カンパニーが一気に業績を上げ始めていた頃である。りくは営業成績も良く、社内でも期待される存在だったのだそうだ。
――ただ。会社で愛されていたにしては……何故か、葬式に来たのは社長だけ。他の社員は一人も顔を出さなかった……何故だ?
ちなみに、その社長は現在の社長ではない。彼が亡くなってすぐ、当時の社長は引退して今代の社長に席を譲ったのである。だから、今の会社に葬式でみらの顔を見ている人間はいない。いないのから安心して潜入できるというのもあったわけだが。
何故彼等は葬式に来なかったのだろう。家族葬ということにしたので大人数で来て貰っても困るところではあったし、本人たちもそれで遠慮しただけなのかもしれないが。
――会社に、やましいところがあるからではないのか?だから、会社の関係者が余計なことを言わないように、葬式に出るなと命じていた……なんてことは?
ビルの階段を降りながら、みらは考えを巡らせる。気になっていることは他にもあった。初日の仕事を終えた、今日の帰り間際(仕事量は多かったが、流石に今日から残業しろとは言われなかった。派遣社員はなるべく残業させないようにと言われているのかもしれないが)、ある人物から声をかけられたのである。
それが、同じ営業補佐の最上千歳だった。
『あの……鳥海さん』
彼女はどこか気まずそうな様子で、そろそろとこちらに近づいて来て言ったのだった。
『え、えっと……仕事を、教わってる時に……山雲さんから、霧島さんのこと聞いてましたよね』
『え、はい、聞きましたけど……』
『霧島さん、優しいし、かっこいいし、凄く良い人なので……憧れるのはわかるんですけど、でも』
こんなこと言っちゃいけないんですけど、と前置きして彼女は言ったのである。
『あの人には、あんまり関わらない方がいい、です。……ごめんなさい、私、これ以上は言えないんですけど……っ』
優しいし、良い人。そう評価するのに、あまり関わらない方がいいというのはどういうことなのだろう。矛盾してやしないだろうか。
それとも、優しいのは表の顔だけで、裏にはものすごく腹黒い一面を秘めているのを知っている、とか?
まったく意味がわからない、何かの冗談か何か?そういう風に流しておくのがベストだろうと思って、みらはこう返したのだった。
『えー、実はものすごく浮気性だ、とか?確かに、あれくらかっこいいと女性もたくさん寄ってきそうですもんね』
この時、近くに霧島流はいなかった、と追記しておく。彼にも、彼の仲間にも聴かれそうになかったのでこんな話をしたのだ。というか、声をかけられたのは会社の廊下で、周りにはみらと千歳以外に誰もいなかったのである。
『いえ、そんな女性関係に汚い人とかそういうわけではなくて……たしかに凄く女性に人気のありそうな人ではあるんですけど、そうじゃなくて……ご、ごめんなさい!ごめんなさい!』
彼女は、突然謝るとそのまま立ち去ってしまった。話が聴けたのは、ここまで。だからそれ以上を、どう言おうとしたのかはまったく分かっていない。ただ、女性関係でもめることが多い、と言いたかったわけではないようだった。
――実はゲイだから近寄るな、とかそういう?いや、でもあの様子は。
最も引っかかるのは。そんな千歳が、どこか怯えているように見えたことだった。流に暴力でも振るわれたことがあったということなのだろうか。それとも、自分がまったく想像もしない理由があるのだろうか。
やはり、あの霧島流には何かがある、そう思って良さそうだ。それが、弟りくの死と関係することであるのかは定かではないが。
「やめてください!」
会社を出て歩きだそうとした、そのすぐ後のことだった。裏手の駐車場のあたりで、何やら揉めている声がしたのである。人様の会社の駐車場で何やってるんだ、と思って覗いたみらは驚かされることとなった。
そこにいたのは、ガラの悪そうな屈強な男性二人。そして、その男性に絡まれて困っている様子のスーツの男性が一人。一体これはどういう状況なのだろう。――そのスーツの男性、誰がどう見ても渦中の人物である霧島流なのだが。
「申し訳ないですけど、彼女について何度訊かれても俺は知らないとしか言いようがないんです。本当に、今は連絡も取り合っていないんです!」
「んーんー。そう言われても困るんだよなあ。そもそも、いなくなるまではずっとあんたと仲良くしてたって話じゃないか。保証人のところに、あんたの名前もがっつり書いてったんだぜ、あの女はよ」
「俺はそんなものにサインした覚えはありません!彼女が、貴方がたのような存在と付き合いがあったということだって当初は知らなかったくらいなんですから!」
明らかに、騙されて詰め寄られているような状況である。彼女、というのは流が付き合っている女性か何かなのだろうか。最近連絡を取っていない、知らない、と繰り返している。この会話では、その人物との関係を完全に探り出すことは難しそうだ。
それ以上に気になるのは、あのいかにも半グレかヤクザっぽい男二人である。ヤクザにしろなんにしろ、いかにも“それっぽい”見た目の奴は基本下っ端だと相場が決まっているので、彼等もけして地位の高い人間ではなのだろうが。
――弟の薬……半グレ組織で出回ってたものかもしれないって話だったな。
ひょっとしたら、何か関係があるかもしれない。みらは意を決して、彼等に近づいていくことにした。流のためではなく、全ては弟の真実を知るためだ。
「すみません、そこのお二人さん。……彼、困ってるじゃないですか。人様の駐車場で迷惑ですし、これ以上やるなら警察呼びますよ」
「あぁ!?」
目つきの悪い男二人がこちらを睨む。そして、声をかけてきたのが普通のOLだと気づいて、あからさまに見下したような顔をした。
まったくナメられたものである。――まあ、それも今の自分の武器ではあるのだが。
――最悪、ぶっとばすのもやむなしか。
大きな騒ぎになりませんように。そう思いながらも、みらは見えないところで拳を握ったのだった。