<19・なかなおり。>
流石にまだ、自分が天城りくの姉であるということは明かせない。だからどうしても情報には嘘が混じってしまうが、とにかく話せることは少しでも話しておこうと思ったのである。
嫌がらせをしてきたことを、まるっと肯定するつもりはない。確かに鞠花にも鞠花なりの動機があったのは理解したが、だからって言葉で言わないで嫌がらせと言うやり方をするのはどうなのだ、という気持ちもあるのだ。というか、やられた相手がもし自分じゃない別の誰かだったら、一発殴っていたかもしれないと思うくらいには怒っていたことだろう。
でも、それだけ会社を愛していたことも、流へ想いを寄せていたことも。みらは全く知らなかったのは事実だ。無意識のうちに、彼女を傷つけていたこともきっとあったのだろうから。
「元々は、ただの好奇心のようなものだったのは事実です。少しでも早くこの会社のことを知りたかったから」
流と関わる前から、少々突っ込んだ話を回りに聞いてしまっているのは事実。時系列が前後しないために、一応そう前提しておくことにする。
「でも、本格的に事件を調べようと思ったのは……霧島さんを助けようと思ったからで」
「どういうこと」
「会社の駐車場で、半グレっぽい奴らに霧島さんが絡まれていたのを助けて。それで、なりゆきであの人を護衛するようになったというか……あ、私これでも空手で段持ってるし柔道も習ってるので、結構強いつもりでして」
「ええ!?見えない……!」
大人しい見た目とマッチしないでしょうね、しないでしょうとも。もはや猫被っている意味もなくなってきている気がするが、趣味で格闘技を習っていたということにしておこうと決める。女性だからこそ、護身術に空手や合気道を学ぶ人は少なくないはずなのだから。
流を駐車場で助けたり、自宅を張られているという彼を仕方なく家に連れて帰ったり。気分転換に町に連れ出したりということをした、ということは正直に話した。疑われるだろうが、実際やましい男女の関係は一切ない。手は繋いだが、あれも恋人としてのものだったかというとだいぶ怪しいところである。
「調べたこと、余計な人に口外するつもりもないんです。あくまで……霧島さんを助けるために、前に進んで貰うために真実を知りたいと思っているだけで」
だから、とみらは頭を下げる。
「私はともかく、霧島さんの方は私のことなんてきっとそういう、恋愛とかで見ていないと思っています。付き合っているわけでもないつもりです。だから……できれば、お二人にも事件を調べるのに協力してほしくて……」
「鳥海さん……」
この状況で、一番気まずいのは確実に鞠花だろう。まさか自分達のやり取りを全部立ち聞きされていた挙句、嫌がらせのことを殆ど咎められないばかりか頭まで下げられたとあっては。
さっきまでの剣幕はどこへやら、千歳の方はすっかり元の彼女に戻っておろおろしている状態である。
「……そんなこと言って、信じられると思う?」
ばつが悪そうに眼を背ける鞠花。
「それに……あたしがやったって知ったわけでしょ。ムカつかないの。備品も汚したり壊したりしたし、バレたら懲戒解雇ものだって自分でもわかってるんだけど」
「はい、だから他の人には言いません。もうやめてくれると嬉しいですけど」
「なんで」
「決まってます。仕事、鞠花さんがいないと困ります。まだまだ教えて欲しいことがたくさんあるんです。高額出品の品の調べ方もよくわかってないし、私梱包も手際が悪くて上手くないし、電話の引き継ぎもまだ全然だし……まだ商品の名前、最上さんみたいに全然覚えられてないし」
嘘ではなかった。全てが終わったらこの職場を去ろうと思っているのは変わっていないけれど、でも。
それまでは、少しでも多く、弟が愛した会社について知りたいと思っているのだ。それから、彼が目指した“人を喜ばせる仕事”がどういうものであるのかも。彼の想いがたくさん詰まった商品についても。
復讐だけが、想いに報いる方法ではない。
自分はずっと、そんな簡単なことさえ見失っていたのだと気づいたのだ。この会社の商品や、人に触れて、やっと。
「……お人良しだね」
やがて。鞠花ははあ、とため息をついた。そして。
「あたしこそ……ほんと、ごめんね。何も、鳥海さんが悪いわけじゃないって、わかってたのにさ。歯止めがきかなくなっちゃった、完全に。その代りと言ってはなんだけど……大事にしないって約束してくれるなら、あたしが知ってる限りのことは話すよ。社長から、天城君のことはおいそれと話すなと言われてるのは本当だから、人がいない場所で、に限定されるけど」
「わ、私もそういうことなら。その、あんまり知っていることが多いわけじゃないんですが……」
「二人とも……!ありがとうございます!」
ほっと肩を撫で下ろしたのはみらも同じだった。どうして、同じ会社の同僚と揉めたいなんて思うだろう。それが、悪しからず思っている相手なら尚更だ。
時計をちらっと見る。結局早めに仕事を始めることはできなかったが、これもいい機会だと思っておくことにしよう。始業までもう少し時間はある。ここで、彼女達に話を訊いておくのは悪いことではないはずだ。
「その、天城りくさんが薬物中毒で亡くなる少し前から……霧島さんの従姉さんである、霧島瑠美香さんとお付き合いを始めたって言う話は聞いたんです。霧島瑠美香さんのことは、お二人もご存知なんですよね?どういう人ですか?」
尋ねると、どういう人と言われてもね、と鞠花は千歳と顔を見合わせた。
「あたしも直接は殆ど喋ってないからなあ。ただ、付き合い始めた直後に会社に何度か、天城君を迎えに来てたってかんじ?天城君、イケメンだけどなんていうか純粋というか純朴ってかんじで、大人のおねーさんに翻弄されてるかんじだったなあ」
「あー、確かにそうでしたね。完全に押されてる、というか。仕事では積極的なのに、恋愛だとてんで奥手って感じというか」
「あ、ありそう」
「ありそう?」
「い、いや、なんでもないですこっちの話!」
思わず姉として“あいつならそうだろうな”と頷いてしまい慌てて否定した。今の自分は天城りくとは面識もない赤の他人ということになっているのだから、ボロが出ないようにしなければなるまい。
「瑠美香さんのことだけど……大人っぽい人で、明るくて化粧の派手な女性ってくらいで……ああ、頭が良さそうだとは思ったかも。なんか、天城さんと薬の話をしてたみたいなんだけど、横文字がやたらと多くてあたしには全然ちんぷんかんぷんだったっていうか」
「薬の話?」
みらは眉を顰める。自分が知る限り、弟は持病などがあったということもないし、健康に問題があったとも思えないのだが。
「なんか、製薬会社に勤務してる人、だったみたいです。それで、ビタミン剤とかをよく天城君に試して貰っていたみたいで」
ビタミン剤。
顔を顰めたのが伝わったのだろう、そこなのよ、と鞠花が頷いた。
「実は、あたし達がさ、天城君が亡くなった原因として瑠美香さんを疑ってる最大の理由はそこなんだよね。付き合い始めてすぐ、天城君とうまくいってなさそうだったっていうのもあるけどそれ以上に……なんか、あの人が天城君にやばい薬を投与したんじゃないか、って」
「でも、聞いた話だと……天城りくさんは、脱法ドラッグ“メリッサ”の中毒で亡くなったのでは?あれって、注射器で打つタイプであって、飲み薬ではないですよね?」
「ああ、そこまで知ってるんだ。……そう、だから確実に瑠美香さんがクロだと言えるわけじゃないんだけど。でも、タイムリーがすぎるでしょ?しかも、霧島さんいわく瑠美香さん、天城君が亡くなった直後に行方不明になってるみたいで。連絡もろくに取れてないっていうし、明らかに……天城君の件で逃げた、って思われても仕方ないじゃない?」
「確かに……」
しかも、脱法ドラッグのメリッサを取り扱っている半グレ組織・サイレスが明らかに霧島瑠美香を探しているのである。ここまで状況証拠が揃っていて、彼女がりくの死に無関係と考える方がおかしいだろう。
「ただそれはそれとして、どうして今更になって霧島さんの周囲を半グレが嗅ぎ回るようになったか、は謎なんですよね」
千歳が腕を組んで考え込む。
「最近、何か特別なことがあったとか?でも申し訳ないですけど、それに関しては私達も何がなんだか」
「ですよね。私も今、ネットとかいろんなところで調べてるみたいなんですが。陸奥町とか伊勢町のあたりで、メリッサによく似た中毒症状を出すドラッグが出回るようになったという話を聞いて。霧島瑠美香さんが関わっているのではないかと疑ってるんです。モリア、って名前のドラッグなんですが、聞いたことはないですか?陸奥町のどこかの店で、それを買っておかしくなった人がいるみたいで……」
「陸奥町か。この金剛町とも近いもんね、伊勢町も」
「はい。サイレス、の勢力下にはない町ではあるようなんですが」
「ふむ」
よし、と鞠花がスマホを取り出した。そしてそのままどこかに向けてメールを打ち始める。何やら、調べるアテでもあるようだ。
「あたしの友達に、陸奥町のドラッグストア……あ、全国チェーンの大手ね?変なところじゃなくてね?で働いてる子がいるからさ。ちょっと、変なやせ薬みたいなのが出回ってないかとか、そういう噂を聞かないかどうか、って訊いてみるよ。案外、薬剤師の界隈じゃ有名なことってあるかもしれないしね」
流石、コミュニケーション能力の鬼である鞠花である。味方になれば、これほど心強いものもなさそうだ。千歳も、私も調べてみますね、と頷いてくれた。
「その、山雲さんほど役に立てるかどうかはわかりませんけど……本当はずっと気になってましたから、天城君の事件のこと。それで、霧島さんや鳥海さんも納得できるなら、それに越したことはないですから」
「……ありがとうございます」
まだ、モリア、が霧島瑠美香の手によるものとはっきりしたわけではない。それでも、近隣の町で妙なことが起きているというのであれば、関係している可能性は大いにあるというもの。
少しずつ、真実は近づいている。
みらは確かな手応えを感じて、拳を握りしめたのだった。




