<18・やりすぎ。>
その日は、流の方がみらを家まで送ると言った。流石にそれは気が引けたのだが、本人が断固としてきかなかったのだからどうしようもない。貴方って案外意地っ張りな性格ですよね、と言ったら“今更気付いたの”と笑われた。
とりあえず今は、共にりくの事件を追いかける仲間という認識でいいはずだ。しかし、事の真相がわかって黒幕に裁きを与えたら、みらはスズカゼ・カンパニーを去るつもりでいるのである。
この時間はけして、長く続くものではない。
そもそも恐らくみらが裁くと決めた対象に霧島瑠美香が入っている。後輩を貶めたとて、幼い頃から慕っていたであろう従姉に対し、流が情を持っていないとは到底思えなかった。
場合によっては、殺すことも視野に入れている。
いずれにせよそうなったら、自分たちの関係も確実にそこで終わるだろう。
――いつか。
流にはみらの家に泊まって貰うことで納得してもらった。何もお泊りしたとて、色気のあることは何一つない関係だけれど。
――いつか、ちゃんと全部を打ち明けよう。きっと、失望されてしまうだろうけど……騙したままでいるより、ずっといいはずだから。
駅への道中も電車の中も、やたらと彼は饒舌だった。みらが嫌がらせに落ち込んでいると思っていたのだろう。分かりやすい空元気に、みらの方が心配になってしまうほどである。
本当は自分のほうがショックを受けていたはずだというのに、本当にどこまでもお人好しな人である。りくも、そういうところがあったなと思い出した。自分が傷ついている時に限って、やたらと無理して人を気遣うのだ。誰かに優しくすることで、その痛みを埋めようとするかのように。
「無理しなくていいですから」
駅から家に至る道。赤信号で立ち止まったところで、みらは言った。
「私は此処にいますよ、流さん」
なんとなく名前で呼ぶようになったのは、名字だと他人行儀な気がするとどちらともなく言い出したから。ただそれだけ。自分たちは恋人同士ではないはずだ、けして。
「……じゃあ」
だから、これもきっと、ほんの少し寂しさを埋めるための戯れだろう。
「今だけ、手、繋いでもいいかな」
「……どうぞ」
流の手はみらよりちょっとだけ大きくて、指が長くて綺麗だった。その指を絡めて、少しだけ強く握りしめる。
何だか急に泣きそうになったのは、一体どうしてなのだろう。
***
事態が進展するのは早かった。
朝、昨日できなかった分の仕事を早くから片付けるべく、いつもよりずっと早く出社したみらは気づくことになるのである。三階の倉庫で、誰かが言い争っている。オフィスの真上なのですぐに気づいた。何事かと思って階段を登り、扉をちょっとだけ開けて覗いてみれば。
「自分でもわかってるんじゃないですか、こんなの間違ってるって!」
千歳が殆ど怒鳴るような声で叫んでいた。流石にみらも驚いてしまう。いつも小さな声で自信がなさそうに喋る彼女に、まさかこんな大きな声が出せようとは。
「もしどうしても鳥海さんに直して欲しいところがあるなら、正々堂々と話すべきじゃないんですか。それがそんな、嫌がらせじみた真似して!」
「あたしがそんなことしたって証拠あるわけ?決めつけてくれちゃってるけどさ」
「遠くからですけど、ちらっと見たんです私。山雲さんが、鳥海さんの机で何かしてるところ。昨日のトイレの事件だってそう……山雲さんも残業で残ってましたよね?鳥海さんが帰ってこないのに心配一つしなかったそうじゃないですか、それで疑うなっていうのは無理があります!」
相手は、山雲鞠花。まさか、千歳が鞠花を問い詰めているというのか、昨日の件で。メールと電話で助けを求めてしまったことで、実質彼女を巻き込んでしまった形となったらしい。
ちょっと申し訳ないことしたな、と思っていると。
「鳥海さんが、天城さんの事件を気にしてるっぽいからですか?」
千歳は、あっさりと核心に踏み込んだ。
「確かに、天城さんの事件が再度注目されるのは会社としてまずいんでしょう。でも、社内でちょっと話を聴いてただけですよね?私、事件のことを知っても外に言いふらしたりとか、鳥海さんがそういうことをする人だとは思ってません。それに、やめてほしいなら本人に堂々と……」
「わかってないのね、最上さんは!」
「!」
「天城さんの事件があったの、二年前よ?事件当時会社にいなかったのは鳥海さんだけじゃない。その人達の耳に入ったら、そっちの人達まで興味持っちゃうかもしれないでしょ」
イライラするように前髪をくしゃりと握って、鞠花は返す。
「仮に鳥海さんが黙っていてくれてもさ、他の全員の口が堅いとまであたしは思ってないわけ。……天城君が死んだのは多分瑠美香さんのせい。そんなの、当時会社にいた人はみんなわかってるでしょ。だって瑠美香さんと出会ってから、明らかに天城君は様子がおかしくなって死んじゃったんだから!」
そんで、と彼女は続ける。
「天城君に、瑠美香さん紹介したの誰?霧島さんでしょ。天城君も霧島さんもこの会社の人間でさ、天城君が食らった薬って半グレで流行ってるようなやばいものだったっていうじゃん。会社ぐるみで半グレとかヤクザとかと付き合いがあったかもしれないなんて、噂が流れただけでもうヤバイんだよ?だから社長だって、霧島さんに口止めしたんでしょうが」
「再びそういう噂が流れるようになったら会社は終わるって言いたいわけですよね。それは私もわかります、わかってますけど……」
「本当にわかってるなら、あんたも鳥海さんを止めるべきじゃない!」
声を張り上げ、逆に千歳に詰め寄る鞠花。完全に気圧されたのだろう、千歳が一歩後ろに下がるのが見えた。
「半グレに、瑠美香さんのことで霧島さんが追いかけられてるのがわかってて、会社が何もしないのはなんで?霧島さん自身も警察に連絡しないのは?全部、二年前の努力を無駄にしないためでしょう!?」
ああやっぱり、とみらは納得がいった。最初に流がサイレスに脅されていたのは会社の駐車場である。あの日はまだ、オフィスに他の社員も残っていたはず。それなのに、会社が騒ぎを認識してないなんてことがあるだろうかと思っていたのだ。
分かっていて、霧島流本人も同意の上で黙っていたのなら筋も通るというものである。人道的であるかどうかは別として。
「最上さん、知ってるよね。あたしがこの会社に、社長に恩があるってこと」
ギロリ、と千歳を睨みつけて鞠花は言う。
「ヤンキーで、高卒でさ。ろくなスキルもなかったあたしを拾ってくれたのが社長だったわけ。自分も誰かの役に立てるんだって、仕事は楽しいものなんだって社長が教えてくれた。あたしの人生の恩人つっても過言じゃないのよ」
「知ってます、だけど……」
「だけど、じゃないよ!あたしにとってはこの会社がなくなるのは、家や故郷がなくなるようなもんなの!あんたにはわかんないでしょ、裕福な家のお嬢様なあんたには!!」
マシンガンのように叫び続けて――やがて、少しだけ冷静さを取り戻したのだろう。ごめん、言い過ぎた、と鞠花が退いた。人の生まれを持ち出して罵倒に使ってはいけない、それがわかっているあたり鞠花はまとな人間である。
「……それなら、それで」
しかし、千歳も譲る様子はない。
「調べないで欲しいって、鳥海さんに言えばいいんじゃないですか。嫌がらせみたいな真似なんて」
「…………」
「ひょっとして」
そして、意外な理由が彼女から出てくることになるのだ。
「霧島さんと鳥海さんが、最近仲良さそうに見えるから、ですか?」
――え?
待て、なんでそこで流の名前が出てくるのだ。みらは思わず身を乗り出してしまう。つんのめりそうになったところをギリギリで堪えた。流石にここで見つかるのは格好悪すぎる。
「……知ってたの」
やや沈黙した後、鞠花は告げた。
「霧島さんがさ。天城君のことですごくショック受けててさ。天城君に、従姉さんを紹介したこと滅茶苦茶後悔してて……ほら、天城君にカノジョ作ってあげたい、みたいな流れで紹介したらしいじゃない?」
「はい。まあ、恋人ができるのが一人前の証明になるのかは微妙だと思いましたけど、天城さんも満更じゃなさそうでしたし」
「うん、だからさ。天城君も信頼してたんだと思う。他でもない、霧島さんの紹介だったから。……天城君と、瑠美香さんがどこで拗れたとかは全然わかってないし、どううまくいかなかったのかもよくわかってないけど……でも天城君がそうなってもすぐに誰かに相談できなかったのも自分のせいじゃないかって、霧島さんはそう思って己を責めてるっていうか」
ああ、りくならありそう。みらも納得してしまった。妙なところで気を使う弟だった、自分はよく知っている。
もし、瑠美香とうまくいってないなんて言ったら。それは、瑠美香を最高の女性だと思って紹介した霧島流の顔を潰すことになる。何より、申し訳ない。だから、りくは会社の誰かに話したりすることができなかった、というのはありそうだ。
「全部自分のせい。だから、自分が恋とかして、幸せになっちゃいけない。……霧島さんがそうやって自分を縛ってるの、あたし知ってたんだ。だから……あたしも、何も伝えないことにしようと思った。なのに」
ぎり、と拳を握りしめる鞠花。
「鳥海さんってば、なんにも知らないで……そんな霧島さんにズカズカと入り込んじゃってさ。何で、って思うじゃん。何で霧島さんをさ、救うのがさ、あたしじゃないのって……」
そういうことだったのか。漸くそれで、全部が繋がった。鞠花が自分に冷たくしたのも、嫌がらせも。会社のためと自分の感情がぐちゃぐちゃになって歯止めがきかなくなって、それで。
「間違ってることしてるの、自分でもわかってる。わかってるけど……」
「山雲さん!」
みらは、意を決して、扉を開いた。彼女とちゃんと話したい。心から、そう思ったがゆえに。
「お願い。私の話、聞いてれませんか……!」
驚いた顔の鞠花と千歳に、みらはそう訴えかけたのだった。




