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<17・かおり。>

 悩んだ末、申し訳ないと思いつつ千歳には電話をしてみた。しかし彼女はスマホを手元から離しているのか電車の中かどこかにいるのか、留守番電話サービスに繋がってしまって出る様子がない。一応メールも送ったが、多分返信は期待しない方がいいだろう。

 残るアテは流だが、男性の流に女子トイレに助けに来て貰うのも気が引けるというもの。

 やはり、ここはもう諦めてぶち破るしかないだろう。みらは諦めて、扉に体当たりをすることにした。ドアを壊したらごめんなさい、と思いつつ。


「はあ……すみません!」


 一回肩から思いきりタックル。それからもう一度。三回目を、やや後ろに下がってやろうとしたその時だった。


「みらさん!」

「へっ!?」


 ドアの向こうから、声が。先ほど思い浮かべて、すぐに除外した人物の声である。


「な、なんでこれモップが……待って、今外すから!」


 慌てている様子の流だった。みらはぽかーん、としてタックルを中止する。何故、女子トイレであるはずなのに堂々と流の声が聞こえてくるのだろうか。結局、彼も会社に戻ってきたのだろうか。確かに今の状況だと直帰と言われても一人で会社に帰りづらくはあっただろうが。

 ガタガタとドアが揺れ、何かがずるりと引き抜かれるような音がした。そして、向こうからドアが開く。息を切らした流と、体当たりしようと半身になったまま固まっているみらで、目が合った。


「あ、ありがとうございます……?」


 いや、何で疑問形なんだ自分。みらは己にツッコミを入れた。とにかく、この状況をどう説明するべきか考えなければならない。残業前にトイレに行こうとしたら、なんか外から仕掛けられて閉じ込められました、とまあそれだけの話なのだが。

 それから、どうして流がまっすぐこっちに来たのかも。何だか、自分が閉じ込められたことを知って慌てて戻って来たかの様子だが。


「え」


 すぐに、それらのごちゃごちゃしたものは吹っ飛んでしまった。個室から出ようとした瞬間、流に抱きしめられてしまったから。


「ちょ、ちょ、ちょっと流さん?」


 忘れてはいないか、ここが女子トイレだということを。他に人がいるのかいないのかもこの角度からは見えない。それに、ようは自分個室から出るところだったわけで。つまり、手も洗ってないわけで。いろんな意味で恥ずかしいというか、何でそうなったのかというか、照れ臭いというかいやそもそも自分達はこういう関係だったっけというか。

 流の胸に押しつけられているせいで、心臓の音が煩いくらい聞こえて来る。走ってきたんだ、とすぐに分かった。それも自分のためにだ。


――あ、いいにおい……。


 思わずドキドキしてしまった。みらが使うのとは違う、キンモクセイ系のちょっと甘い香水の香りがする。思えば、今まで男性にこんな風に抱きしめられた事が、過去にあっただろうか。


「良かった」


 頭の上から聞こえる流の声は、どこか泣きそうにも聞こえた。


「みらさんに、何かあったんじゃないかと思って。残業申請しているのにオフィスに戻ってこないって、課長がなんかおろおろしてるし。何でか山雲さんは全然心配してないし。それにメールで最上さんから“みらさんがトイレに閉じ込められてるみたいだ”って連絡来てるし……」

「あ、なるほど」

「自分は電車に乗ってるところで助けに行けないからって言ってたよ」


 どうやら、千歳は流の連絡先を知っていたらしい。意外と仲が良かったりするのだろうか、あの二人。そう思ったら、感謝するべき事であるはずなのに少しだけもやっとした気持ちになってしまった。

 おかしなことだ。自分達は付き合っているわけではない。まともな恋愛なんか全然してないというのに。


――でも、そう思うならなんで、私。こんな、ドキドキしてるんだろ。


 こんな風に、一人の男の人に対して思ったこと。今までにあっただろうか。


「本当に無事で良かった。……怖くて心臓が止まりそうって、こういうことなんだね」

「大袈裟ですってば」


 みらは笑った。彼の狼狽ぶりに、呆れたフリをした。


「私は強いんです。心配なんか、しなくていいんですから。……でも、ありがとうございます」




 ***




 ひとまずトイレで手を洗って、廊下まで出たところで相談となった。


「どう考えてもやりすぎだ」


 昼休み後の机にほうじ茶事件といい。

 今回トイレに閉じ込められた件といい。

 流石に悪質すぎるし、警察沙汰にしてもいいレベルなのではないかと流は言った。みら本人よりよっぽど怒ってくれていて、なんだか嬉しかった。少なくとも、上司にちゃんと事件を相談した方がいいと。


「真っ当なご意見だと思いますけど」


 みらはそれを、やんわりと断った。


「でも、いいです。大事にしたくないので。今回だって、言ってはなんですが自分でも多分脱出できましたし」

「だからって、いくらなんでも閉じ込めるのは酷すぎるよ!机の中にお茶を流し込むだってそうだ、スマホとか入れてたら一発で駄目になってたんだよ!?」

「わかってます。でも、いいんです」


 それは騒ぎを大きくしたくないのみならず、犯人に心当たりがあったからというのが大きい。もし山雲鞠花が本当に犯人なら、きちんと話をして理由を問いただしたかった。このまま彼女がやったことが明るみに出て、彼女が仕事をやめるということになったら話を聞ける機会もなくなってしまう。それに、仕事の上でも正直彼女にいなくなられるのは困る。間違いなく鞠花は今の営業補佐の戦力になっているのだから。


「そんなこと言っても……」


 流は、あまり納得している様子ではない。


「俺、こういう子供のいじめみたいな真似、許せないし……会社の中にこういうことをする人がいるなんて。俺はこの会社が好きだし……そりゃちょっと体面を気にする人もいるなと思うことはあるけど、それくらいだし。みんな基本的にはいい人ばっかりだと思ってたんだ。それが、入ったばかりの子にこういうことをするのは……」

「私が天城りくさんのことを調べていたから、気に入らなかったのかもしれませんし。それ以外にも理由があるかもしれません。嫌われやすいタイプだと思いますし、私」

「え」


 いや、そこでどうしてきょとんとするのだろう、彼は。みらの方が戸惑ってしまった。

 確かに今、会社ではだいぶ猫を被っている自覚がある。なるべく女らしい態度を心がけているし、丁寧な言葉遣いを頑張っているし、机の上も整理整頓してゴミが散らからないようにしているし。先輩や上司の指示にはきちんと従う、理想のOLを目指しているつもりだ。潜入捜査で目立ってしまっては何の意味もないのだから。

 が、それは本来のみらではなくて。実際は、男勝りでガサツで、ちょっと乱暴な言葉遣いをすることも少なくない女である。学生時代なんかも、人様のトラブルに妙な正義感でクビを突っ込んで疎まれたこともあったし、ムカつく男や女にうっかり平手をかましたなんてことも一度や二度ではない。

 私服も――流と出会わなければ、彼の目の前でも猫を被ることを意識しなければ、まともにスカートも履かなかったはずだ。今のスーツだってそう。本当は黒のパンツスタイルが好きなのに、似合わないのを承知で茶色系のスカートに代えたのである。みらの本質を、上手く理想で塗りつぶすために。

 けして人付き合いが、得意な方ではない。

 そういえば自然消滅する前の前の彼に“ガツガツくる女はちょっと嫌だ”みたいなことを言われたこともあったような。


「そんなことないと思うけど」


 流は完全に“何言ってるの君”という顔で告げた。


「みらさんは、いつも一生懸命じゃないか。仕事もすぐに覚えようと頑張ってたし……まだミスもあるみたいだけど、それも働きで取り返そうとしたし。今日残業しようとしたのだって、仕事が溜まってるからそうしようと思ったていう自己判断だろ?誰かに命令されたわけじゃない」

「そりゃ、そうですけど……でも他の人も残ってるし」

「それに、俺のことをいつも助けようって必死になってくれているのはどこの誰?天城君の事件を調べようとしたのだって、俺の為だろ。そのせいで嫌われたなら、それはやっぱり俺のせいだ、君は悪くない」


 いや、それは元々りくの事件を調べるつもりでこの会社に来たわけで――とは言えない。ただ、確かに自分のために調べていると思っているなら、流にとってみらは感謝すべき対象なのかもしれないが。

 何だか気まずくて視線を逸らすみらに、流はそんな本心など知る由もなく語りかけるのである。


「みらさんは魅力的な女性だよ、もっと自信を持って!」

「……もう」


 時々思ってしまう。彼は天然なのか、馬鹿なのか。


「そういうの、やめてくださいよ。勘違い、するでしょ」


 彼みたいな優しいイケメンにそんなこと言われたら、大抵の女子はころっと落ちてしまうと思うのだが。そして、悲しいかなみらも例外ではないわけで。


――勘違い、したいな。


 自分でも何を考えているのか、とは思う。とっくに趣旨がズレてきてしまっているのではないか、とも。自分は復讐のためにこの会社に来て、あくまで真実を突き止められたらすぐにでも立ち去って、あのアパートも引き払うつもりだったから最低限の荷物しか置かなくて。

 それなのに。元々は、利用してやるつもりで近づいた筈の男なのに。


――私、本当に……?


 ひょっとしたら、答えなど。もうとっくの昔に、わかっていたのかもしれないけれど。



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