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<13・えいが。>


『結局さぁ、あんたってなんで卓球やってるわけ?』


 スクリーンの中。クールで生意気な主人公、東キョースケが呆れたように告げる。ラケットを、テーブルの向こうの相手に突きつけながら。


『全国区の卓球部に入ってさ、一軍に入って、エースになって?……それで欲しかったの、ただみんなにチヤホヤされる地位ってだけなの?馬鹿馬鹿しいったらないんだけど。卓球を承認欲求の道具にしないでくれる、超メーワク!』

『な、なんだと!?なんでお前みたいなチビにそこまで言われなきゃいけねーんだよ!お前だって……!』

『小さな卓球部を立て直して全国区にまでして、それで持て囃されていい気になってるじゃんって?そう思いたければ好きにすりゃいーよ。悪いけど、俺は周りに凄いって褒められたり、他人にマウント取るために卓球やってるような奴に負けるつもりないから』


 キョースケの顔がアップになる。まだあどけない顔立ち、大きな瞳の中にはキラキラとした夢や希望がたくさん詰まっていた。どんな逆境にもめげず、折れず。それこそあんなチームで大会を勝ち抜けるわけがないと散々言われてきた彼の――どこまでもあくなき未来への渇望。


『少なくとも俺、あんたの千倍は卓球好きだから。認められるためだけに卓球利用してるような奴に、負けるつもりないよ!』


 何だか懐かしいな、とみらは思った。どこか胸がきゅんとしてしまう。

 休みを利用して、流と一緒にやってきた映画館。今日は自分の用事に付き合うこと――そう条件をつけて、流を家の外に連れ出したのだった。どっちみち、彼の状況を鑑みるにすぐに家に帰すわけにもいかないのだから。卓球プリンスの映画は人気があるので、定期的にリバイバル上映されている。近場の映画でたまたまそのタイミングであったことをみらは思い出したのだった。

 弟が死んでから――弟を思い出すのが辛くて、彼が好きだった多くのものを遠ざけてきたみら。卓球プリンスも、その一つだった。完結まで、あれほどりくと一緒に熱心に雑誌もコミックスも買っておいかけてきたのに、あれほど二人で待ち望んだ続編には手をつけられないまま。この漫画にもアニメにもまったく非はないというのに、みらが怖くて見ることができなかったのである。一人で映画を見たら、漫画を読んだら。それについて語り合う相手がいないことを痛感してしまう気がして。

 楽しかった時間を思い出せば思い出すほど、追い詰められてしまう気がして。でも。


――やっぱり私。……キョースケくん、好きだな。


 スクリーンの中では試合が始まっている。必殺サーブで見事に先取点をもぎ取ることには成功したものの、対戦相手の青年の方がパワーもあるし体力もある。少しずつ、キョースケはスコアの上で追い詰められつつあった。二年以上前に何度も見た映画なので、この後逆転することは知っている。それでも、何度見てもこのシーンはハラハラドキドキと手に汗を握ってしまうのだ。演出も上手いし、試合展開も巧み。おまけに心理描写も丁寧だから、キョースケに感情移入してついつい見入ってしまうのである。

 この試合で対戦している相手は、全国区のライバル校のエースとも言うべき少年だった。ただし、卓球が好きで好きでたまらなくて、その大好きな卓球で一番になりたいからという理由で卓球を続けていたキョースケと。目の前の千鳥ヶ岡学院の角間蓮之助(かくまれんのすけ)は卓球に向かう姿勢という意味でも大きく異なる。

 蓮之助にとって、卓球は“己が皆に賞賛されるための道具”でしかない。卓球そのものに価値を見出しているわけでもないし、面白さも考えていない。全国ナンバーワンになって、他のクソくだらない底辺の部活をしている連中や底辺部員たちを見下してやりたいという歪んだ思想の持ち主だった。それで、場外乱闘を経てキョースケと対立したまま本番へ望み、試合前のやり取りに至るというわけである。

 キョースケの卓球への熱い気持ちと姿勢は理想的であるし尊敬できるというもの。同時に、対戦相手の蓮之助はまさに世相を反映した“承認欲求と現実の狭間で苦しむ若者”のリアルな姿であるとも言える。どちらにも思うところがあり、蓮之助の苦しみもわかるけれどやっぱりキョースケに勝って理想の勝利を見せて欲しい。見ている視聴者や読者はそんなことを考えながら、じっと彼らの試合に魅了されて展開を追いかけてしまうのだ。


『やっぱり、愛は勝つって間違ってねーと思うんだよな』


 映画を見ながら、みらは記憶の中の弟の言葉を反芻する。


『愛があれば何していいってわけじゃないんだけどさ。愛があるからこそ、どんなことでも頑張れるってのは絶対あると思うし。愛がなきゃ、見えないことがこの世界にはたくさんあると思うよ。……俺も、キョースケみたいに、何か一つのことを一生懸命愛せる人間でいたいなって思う』


 きっと、そう考えたからこそあの会社を選んだのだろうな。みらはそう思った。

 どこまでも仕事熱心だった、りく。そのりくを追い詰めた原因はその会社にあると違いないと半ば決めつけてスズカゼ・カンパニーに入った自分。完全な間違いではなかったのだろう。スズカゼ・カンパニーの社長は会社を護る為に一部の情報を隠蔽していたし、会社の先輩に紹介された女性によってドラッグ漬けにされて死んだのも事実であるようだから。

 でも、冷静になって考えればわからないことではない。

 涼風社長も、会社と社員を守るために必死だったのだろう。まかり間違って会社がブラックだなんて噂を流されたら。あるいは、半グレやらドラッグと関わっているということにされてしまったら。そのイメージは、簡単に消えるものではない。悔しいことだが、人は最初の濡れ衣やはたらと大々的に拡散するのに、冤罪となるとニュースもネットの噂も控えめにしか広がらない。報道さえされないこともあるからだ。悪を断罪する正義の味方と、己をそう思い込んでいる輩は。けして自分の間違いを認めようとはしないものである。

 やったことが正しかったとは言わないが、悪意があったわけではないことは理解できる。そもそも、実際にりくを追い詰めたのが外部の人間ならば、会社全体が完全に巻き込まれた被害者のようなものだ。

 同時に、今となりで映画を見ている流についても。

 彼が紹介した女性が原因だった。それが確かであっても、本人は何も彼女が半グレと付き合いあるやばい人間だと思っていて紹介したわけではない。むしろ、部下であるりくのためを思って、自分が知る限り最高の女性を紹介したつもりでいたというのなら、彼だって騙されたようなものだ。

 勿論、完全に納得できたわけではないけれど。それでも、流がそのことを悔やんでいるというのなら、自分は幸せになってはいけないと感じるほどに思い詰めているのなら――自分から、何かを言う必要はないではないか。


――そうだよね、りく。


 心の中で、りくに向かって呼びかける。


――りくならきっと言うよね。……霧島さんを、恨んだり責めたりしないでって。


 凍りついた自分の時間も。この卓球プリンスの映画と一緒に、もう一度動き出すことができるだろうか。

 悲しい思い出だけじゃなく、楽しい思い出もたくさんあったことをちゃんと胸に刻みながら。


「やっぱり、愛は勝つんだな」

「!」


 キョースケの勝利で試合が終わった瞬間、ぽつりと小さな呟きがみらの耳に届いた。はっとして見れば、食い入るように映画に熱中している流の姿が。


――りくと、同じこと、言ってる……。


 何故だろう。顔は全然似ていないのに、どうしてこうもことあるごとにこの人がりくと重なって見えるのか。


――一人で、映画を見ているんじゃないんだ、私は。


 まだ友達とか、恋人とか、そういうのではないけれど。弟がいなくなってぽっかり空いた隣の席を、今埋めてくれている人がいる。

 無意識のうちにみらは、肘かけに置かれた彼の手に、自分の手を重ねていたのだった。




 ***




「あれ、三年前の映画だろ?リバイバル上映してたの全然知らなかった」


 今日一日付き合ってほしい。そう流に頼んで、みらは彼の衣服を一通り買い揃えると同時に、一日デートの申し入れをしたのだった。

 そして、服を着替えて映画館へ向かい、今はその映画の感想を語りながら映画館近くのファストフード店でランチをしているというわけである。

 元々肌が綺麗というのもあるだろう。若者向けのおしゃれなシャツとジーンズを纏った流は、実年齢よりかなり若く見えていた。


「リバイバル上映している映画館、全国でも限られてますからね。あそこでやってたのは知ってたけど、見に行く勇気がなくて。……でも、霧島先輩も卓プリ好きだっていうなら、二人で一緒に身に行ったら元気になって貰えないかなと」

「俺の為に?ありがとう。でも、見に行く勇気がなかったって?」

「……その」


 上映中の、みらの微妙な表情はきっと見られていただろうし。多分、あちこちで違和感はあっただろう。ならば、多少ぼかした上で喋ってしまった方がいいと判断した。


「……死んじゃった、大好きな人が。卓プリが大好きだったんです。だから、卓プリ関係を見るのをちょっと避けてしまっていて。今はもう、一緒に見に行く人はいないんだって思いたくなかったから」


 ネットで語りあえる友達はいたが、リアルで一緒に映画に行ける相手は弟しかいなかった。どちらかというと、卓プリのメインターゲット層が自分たちより少し若い層だからというのもあるだろう。

 映画を見に行こうと思ったら、一人で行くしかない。隣で一緒に熱中してくれる人はいないし、映画館を出たあとで“面白かったね”と言い合える存在もない。

 それがみらにとっては、言い尽くせないほど辛いことで。


「でも、今日は霧島さんがいるから、淋しくなかったんです。ありがとうございます、私の我儘に付き合ってくれて。ようは、霧島さんのためという名目で、自分が前を向くためだったっていうか」

「いや、全然いいよ。むしろ、凄く素敵だと思う。君は、過去を抱えていても前に進もうと頑張ってるってことじゃないか」

「そうですかね……」


 本当は、言うほど前を向けているわけではない。それに、この人へのもやもやも全部なくなったわけではないし、まだ真実の全てが明らかになったわけでもないのだから。

 自分はきっと、サイレスと、霧島瑠美香を許さない。見つけたら何をするか、正直自分でも想像がつかないことである。復讐はまだ、何も終わったわけではない。

 それでもだ。


「俺で良ければ」


 流が、笑って言ってくれたものだから。


「また、一緒に見に行くよ。俺も、鳥海さんともっとたくさん話がしてみたいし」

「……はい」


 少しだけ。ほんの少しだけ、明るい方向に行けるような気がするのだ。これはきっとまだ、恋なんて可愛いものではないのだろうけど。


「そうしてくれると、嬉しいです。霧島さんもどうか……笑って頂けるのなら。天城さんもきっと、それを望んでいると思いますから。貴方が幸せになることを」


 傷を抱えていようと。

 一人でないなら、人はきっと歩き続けることができるのだ。



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