<12・はなし。>
朝食を食べた後、彼にはお風呂を貸した。着替えはすぐに用意できないにしても、昨日のままの状態でいるよりは遥かにマシのはずである。流は大分恐縮していたが、汚れたままの方が迷惑を掛けると判断したらしく、最終的には素直に従った。
お互いもう酔いは残っていない。
みらは少々二日酔いしやすい人間ではあったが、少なくとも昨日は許容量を超えるほど飲んでないし、どうやら流は悪酔いするものの翌日に引っ張らないタイプであるようだ。
だから、出来るはずだろう。
「霧島さん、教えて下さい」
昨日、聞けなかった話の続きを。
「貴方の身に、従姉さんの身に何があったんですか。それから……天城さんというのは?」
「……うん、そうだよね。そこまで喋っちゃったなら、もう誤魔化せないよね……」
本人も観念した様子だった。風呂から出て髪の毛を乾かしたところで、二人でテーブルの前に座り、話し始めたのである。ちなみに、みらの家はワンルームで、布団を敷いていることからわかるようにベッドはない。布団を敷くスペースを簡単に確保するため、部屋の中心には白い丸テーブルと、簡単に片付けられる軽い椅子が二つあるだけだった。
客人を呼ぶつもりなどまったくない一人暮らしの部屋であったが、テーブルと椅子はセットだったのでどうしようもない。一個分の椅子がいつも余計だなと思っていたのが、今回は功を奏した形だった。
「天城りく君は、うちの会社の営業部の新入社員だった。一目でわかったよ、誰かを喜ばせる仕事がしたくて来たんだって。あくどい営業とか絶対できないタイプだなーって。やる気があって、爽やかで、ポジティブなイケメンってかんじ?」
なるほど、確かにそんな印象になるだろうな、とみらは思い出した。弟はみらよりもずっと、前向き思考の人間であったのである。マイペースで、ムードメーカー。学校ではいつも友達に囲まれていたし、社会人になってからは会えないことを多くの仲間に恋しがられていた様子だった。
イケメンと呼ばれる人間には大きくニ種類いると思っている。同性に好かれるタイプのイケメンか、嫌われるタイプのイケメンか、だ。りくがどちらであったかなど言うまでもない。彼は気遣いもできるし、なんならお笑い的ポジションも担える人材だった。学生時代、部活のキャプテンや委員会の委員長をやることも何度かあったはずである。
この様子だと、会社でも愛されるキャラだったのだろう。人を見下さない、思いやり深いお人好し――悔しいが、目の前の霧島流に通じるものがある。
「最初は拙かったけど、でも仕事を覚えるのも早くてね。時々、お客様や取引先の心配をしすぎて疲れてしまうこともあったみたいだけど……いつも一生懸命だしノリもいいし。年上に可愛がられるタイプだなぁとは思ってたんだ。彼のお陰で成功した取引もたくさんあったと思うよ。やっぱり、印象って大事だからね」
「貴重な人材だったんですね」
「まあ、そういうことになるかな。……俺は、弟が欲しかったタイプでさ。一人っ子だったのが寂しくて……弟ができたらこんな感じかなーって思ってたんだ。いとこはみんな年上のお姉さんばっかりだったしね。……自分で言うのもなんだったけど、親しくしてたつもりなんだよ。友達とかっていうより弟みたいに思ってた、に近いかも。向こうも、俺の思い上がりじゃなければ結構俺のこと信じてくれてたと思うんだよね」
みらは、そうなんですね、と頷いた。そのあたりの話なら、みらも弟から大体のことは聞いている。りくが、流を尊敬していたのは間違いあるまい。仕事ができるし、フレンドリーな先輩。人を見下さない、優しい、いつも一生懸命指導してくれるし自分がやらかした時は一緒に頭を下げてくれたし――というような。
二人は疑似兄弟のようなもの、だったのだろう。実の姉として少し寂しさもある反面、嬉しくもあったものだ。あの甘えん坊の弟が独り立ちして親元を離れて暮らし、仕事先で信頼できる相手を得ている。家族として安心するのは当然である。
「彼には、お姉さんがいたんだって」
「!」
少しだけドキッとした。自分のことがバレたのかと思ったからだ。名字も違うし顔も似ていないつもりだが、年齢だけは誤魔化せないのだから。しかし。
「小さい頃はお姉さんにべったりで、わりと本気でお姉さんと結婚するんだーって思ってたみたいでさ。一人暮らしするようになってからもほぼ毎日電話するほど仲が良かったんだって。でも、だからこそ……もう心配かけるのが申し訳ないし、どうすれば認めて貰えるようになるかなって相談されたんだよね」
そういうわけではなかったようだ。ややほっとしつつ、それで?とみらは続きを促す。
「一人前の男性の条件なんて人それぞれだし、そんな焦ることもないと思うんだけどね。俺も冗談交じりで、素敵な恋人でも出来たら安心するんじゃないの?みたいなことを言ったんだよ。まあ、お酒の席だったし……彼女がいない俺が言うのもアレだとは思ったけど」
「ひょっとして、それで紹介したのが従姉さんですか?霧島瑠美香さんっていう」
「その通り。俺は瑠美香姉を紹介することにしたんだ。瑠美香姉も、彼氏欲しがってたしね。ちょっと年上だけど、瑠美香姉は美人だしさ」
ここで話が繋がるというわけらしい。そして、最上千歳が言っていた“あの人を霧島さんが紹介しなければ天城君は”のあの人は、霧島瑠美香でほぼ確定というわけだ。
「霧島瑠美香さんって、山雲さんみたいな人なんですっけ。明るくてムードメーカーな」
二人分入れた緑茶。湯呑みに口をつけつつ、みらは尋ねた。
「天城さん、と気が合いそうだと思ったとか?」
「そんなところかな。……今でこそそうは見えないだろうけど、小さな頃俺はチビでいじめられてばっかりでね。よく、近所に住んでた瑠美香姉に助けて貰ったもんだよ。瑠美香姉は口が立つし喧嘩も強かった。挑戦心もあって、新しいことに何でもチャレンジしたがるタイプで……俺が持ってないものは全部持ってる人だと思ったんだよなぁ」
「尊敬してたんですね」
「してたよ。しかも、有名大学の薬学部出てるくらい頭がいい。将来はその好奇心で、どんどん人を助けられる新しい薬を見つけて、そのうちノーベル賞でも取ってくれるんじゃないかって思ってた。大手製薬会社に勤務してたしね。まあ、俺の狭い世界にとっては、まさに最高の女性だと思ってたわけだ」
それに、と彼は続ける。
「天城君みたいな、思いやりがあっていつも一生懸命な人なら。まさに、瑠美香姉に相応しいんじゃないか、なんてそんなこと思ったわけだよ。なんかちょっと傲慢だけどね」
流が、嘘を言っているようには見えなかった。これまでのみらの調査とも矛盾しない。どうやら彼は本気で、敬愛する従姉と信頼する部下ならベストカップルになれると思って紹介したらしかった。
だが。
「お二人は、うまくいったんですか?」
もしりくが、本当に彼女と相思相愛になれていたのなら。しかも、それが一人前の男の証明だと思っていたのなら。みらに隠しておくはずがないのである。
ということは、つまり。
「実際は、違ったみたいで」
思った通り流は頭を横に振った。
「まあ、友人として仲良くやれることと恋人になれるかどうかは別問題だしね。俺と三人で御飯食べたり出かけた時は上手くやれそうだと思ってたんだけど、残念ながらそうじゃなかったみたいだ」
「そうなんですか」
「ああ。……彼女と付き合っているはずなのに、彼の表情は日増しに硬くなっていった。何かを思い悩んでいるように見えた。……俺も何度も心配して声をかけたんだけど、天城君は全然教えてくれなくて。ただ、一度だけ引っかかることを言っていたのを覚えてるよ」
『仕方ないことなんですけど。信頼できる人が信頼している人物が……俺にとっても信頼できるかどうかって、完全に別問題ですよね』
『誰かが足を踏み外そうとしている時、どうやって止めればいいんでしょう。その人が友達や家族なら俺も必死になるんですけど……相手とそこまでの距離を詰められてない時は、自分が信頼してもらえてない相手ならどうすればいいか凄く悩みます。そんな権利が、自分にあるのかって』
「今思うと、あれは瑠美香姉のことだったんだろうなあ」
流は悔しそうに、テーブルの上で拳を握った。その直ぐ側では、手を付けられていないお茶が冷めている。
「その後は……ニュースにもなった通り。彼はいつの間にか薬物中毒になっていて、部屋で自殺した。そういうことになってしまった」
「え」
「俺も、全然何がなんだかって感じなんだよ。でも、瑠美香姉が半グレ組織サイレスに関わってたことだけは、後になって知ったんだけどね。俺のところに、お金返せってサイレスの連中が押しかけてきたから」
ただ、と彼は続ける。
「最初はただ、代わりに金を返せって時々脅される程度だったのが……君も言っていたように最近はだいぶ内容が変わっていてるんだ。奴等はお金より、瑠美香姉本人を執拗に探している。今になってだよ?瑠美香姉が失踪したの、天城君が死んだ直後のことなのに」
やはり、流もそこは疑問に思っていたようだった。いなくなった直後に探し回るというならわかるが、今になってその動きが活発化するのはどうしてだろう、と。
何か新しく動きがあった、ということなのだろうか。半グレに追われていて進退窮まっているはずの彼女がまた新しく何かやらかしをしたのか。あるいは、本当は追い詰められているのは半グレ組織サイレスの方で、どうしても瑠美香を捕まえなければいけない事情ができたか――。
何にせよ、二年前から今日まで、サイレスと瑠美香の周辺にどんな変化があったのかを調べて見る必要がありそうである。
「……俺が知っているのは、本当にこれだけなんだ。でも、何も知らなかったから、で全てが許されるわけではないと思っている」
彼の手が、そっと湯呑に伸びた。自分を落ち着けようとしているようだが、明らかにその手が震えている。お茶の水面が、カタカタと小刻みに波打っていた。
「瑠美香姉が、何かを知っている。そして恐らく、天城君を市に追いやった原因は彼女で……その彼女を信じて天城君に紹介してしまったのは俺だ。俺が、天城君を殺したと言われても文句は言えない」
「霧島さん……」
「この前、君の言葉に対して、一目惚れで好きだと言われるのが怖いからとやんわり断ったけど。本当はそれだけが理由じゃないんだ。俺は、誰かと恋人になりたくない。……なってはいけないと思ってる。だって」
くしゃり、と流の顔が苦しげに歪んだ。
「天城君はあんなことになったのに。それは俺のせいなのに。しかも、社長に言われて……会社の関わりを疑われないために、天城君に瑠美香姉を紹介したことも警察に黙ってた俺に。好きな人を作って結ばれて、幸せになる権利なんかあると思うか?」
そんなはすがない、と彼は頭を振った。
「だから、本当にごめん。君の気持ちはすごく嬉しいけれど、俺は……俺は天城君に償わなくちゃいけない。だから」
「霧島さん」
それは、無意識の行動だった。みらは彼の震える左手にそっと自分の右手を添えていた。
本能的に理解したからだ。霧島流は、嘘をついていないと。本当に、りくのことを大切に想っていてくれて、悔やんでいたのだと。
確かに霧島瑠美香を紹介したのは彼かもしれないが、それはけして流がりくを殺したことにはならない。なるはずがない。
――疑っていて、ごめんなさい。
証拠など何もない。それでもみらは、己の直感を信じた。
「今日はお休み、ですから」
みらは笑顔を作って言った。
「私のお願い、聴いて貰えませんか?」




