<10・しこう。>
本当は、どういうことだと追及したい気持ちでいっぱいだったのである。ところが、散々飲みまくった流は、みらの目の前で完全に酔いつぶれてしまっていた。テンションも壊れているし目もどっかイッている、イケメン形無しの状態の彼はほとんどまともに話もできない状態。
流石にこれは話をするどころではない、とみらは適当なところでお会計を済ませ、彼を背負って居酒屋を出たのである。
ちなみにお姫様だっこにしなかっただけ、有りがたいと思ってほしい(おんぶして店を出た時点で、店主には目玉をひん剥かれてはいたが)。
幸い、みらの家は会社の最寄から一駅分しか離れていない。仕事の便を考えてわざわざその場所のワンルームのアパートを借りて一人暮らしをしているのだ。実家からも通えない距離ではなかったが、自分がやろうとしていることを鑑みるなら両親になるべく迷惑をかけたくなかったというのも大きい。
タクシーを呼んで、彼を担ぎ込んでみらの家へ。会社の、付き合ってもいない男性を自宅アパートに連れ込むのはどうなのだと自分でも思わなくはなかったが、この状態で一人ホテルに泊まらせるのも恐ろしい。彼の家の場所も知らないし、そもそも本当に半グレがうろついているというのなら簡単に帰らせるのもまずいだろう。
幸いにして、明日はお互い仕事も休みであったはずだ。今夜一泊させても、大きな問題にはならないだろう。多分。
――なんつー、色気もへったくれもない“お持ち帰り”ですこと。
先日一緒に飲んだ時は、彼もセーブしていたので気づかなかった。しかし、今回はどう少なく見積もっても、流は先日飲んだ分の倍は飲んでいる。嫌な予感がしてみらの方は先日よりもちょっとしか飲まなかったが、それが正解だったようだ。会社の同僚二人で酔っぱらって仲良く潰れたら、どこに迷惑がかかるかわかったものではない。
タクシーの運転手には、やたら同情した眼で見られてしまった。一体、自分達はどんな関係に見えたのやら。ただの会社の先輩後輩なんですけど、とは心の中だけで。それはそれであらぬ疑いをかけられそうである。
――ああもう、布団一組しかないというのに。私には床で寝ろっていうのか、この男は!
とはいえ、流石にこの状態の彼を床で転がしておくほど非情ではない。
家に帰るとさっさと布団を敷いて、スーツのままの彼をごろんと布団の上に寝かせた。そのまま掛布団をかけ、自分は上着を脱ぐ。二人分の酒の匂いがだいぶきつい。とりあえず、窓を空けて換気扇をかけた。一人暮らしとはいえみらが住んでいるのはアパートの三階だ、一階二階よりも安全度はマシだろうと思っておくことにしよう。
腹は膨れているが、風呂に入らないわけにはいかなかった。すっかり寝てしまっている流はもうどうしようもないとしても、自分だけはこの酒臭くて汗臭い体をなんとかしておかなくては。
「う、うう……」
流は魘されている。酔って上気した顔には、苦悶の色が濃い。ひょっとしたら、ずっと一人で思い悩んでいたことがあったのかもしれなかった。店を出る直前までの彼は、殆ど泣き上戸で、自己嫌悪の言葉ばかり繰り返していたのだから。
『何で、あんな状態の……天城君を捨てて逃げたの、瑠美香姉……っ』
流の言葉を反芻する。みらは大きく息を吐いて、落ち着け、と念じた。着替えを用意すると、服を脱いでバスルームに入る。なんだか妙に疲れていた。お湯を貯める時間も惜しい。今日は幸い暖かいし、シャワーだけ浴びて澄ませてしまおうと決めた。
同時に、風呂場の中でゆっくり考えてみよう、と。
――予想通りと言うべきか。……霧島流の従姉である霧島瑠美香が。最上千歳が言っていた“天城りくに紹介した人”ってことなんだろう。
あの様子だと。流は一人の“信用のおける女性”というつもりで、従姉をりくに紹介したのかもしれない。それこそ、まだ若くて純粋な弟のこと、恋人が欲しいと思うのはなんらおかしなことではなかったはずだ。仕事に真剣に打ちこみたいというのが嘘だったとは思えないので、結婚を前提にというより、親しいガールフレンドが欲しいくらいの気持ちだったかもしれないが。
『明るくて元気で……山雲さんに近いキャラだったかな。天真爛漫だし、ちょっと派手好きでパーティ好きで……一緒にいて楽しい人だった。世話にもなった。家族として好きだったよ。好きだったんだよ。なのに……もう、何であんなことになるんだかさっぱりわからない。何で逃げたんだ、瑠美香姉……」
その霧島瑠美香のことを、流はそう評していた。むしろりくのことを信頼していたからこそ、従姉を紹介するに足ると考えたのかもしれなかった。その二人がくっつくキューピッドにでもなれたらいい、と思ったということか。
しかし、その後二人の間でなんらかのトラブルがあった。
そして瑠美香は流が“あんな状態”と称するような状況に陥ったりくを捨てて、行方をくらましたということで正しいだろうか。問題は、そのなんらかのトラブル、がまったく見当も想像もつかないということなのだが。
そもそも、本当に二人が恋人として付き合っていたのなら、姉の自分に隠す必要があるだろうか?正直者で、自分にはどんな小さな悩みも打ち明けるような弟だった。その自分が、付き合っている女性の影を微塵も感じていなかったのである。
りくはそこまで、瑠美香のことを信用していなかった?恋人だと思っていたわけではなかった?
残念ながら、ここはもう完全に憶測でしかないところだろう。
――もう一つ、気になることがある。
みらは頭からお湯を浴びて、水分をしっかり頭皮にしみこませる。やや乱暴にシャンプーをぶっかけてもみこんだ。泡のもこもこと一緒に、疑問が膨れ上がっていく。
――弟が死んだのは二年前。そして、流も二年くらい瑠美香と連絡を取り合っていなかったと言っていた。ということは、恐らく瑠美香が失踪したのは弟の死の直後くらいということ、であるはず。……何故、半グレ組織“サイレス”は今更になって、そこまで瑠美香を血眼になって探し回っているんだ?
二年間必死になって探していたというのならまだわからなくはないが、あの様子だとサイレスが焦り始めたのはここ最近のことである。
『見つけたら、よう頼みますわ。うちの連絡先置いていくさかいな。……あの女は、拷問系のAVにでも出てしっかり稼いでケジメつけてもらわなあかんさかいなあ』
二年間、みらもただ黙ってトレーニングだけしていたわけではない。探偵を使いつつ、自分でもネットや聞き込みで様々な調査をしていたのだ。
しかし、サイレスがキリシマ性の一人の女性を執拗に探している、という話を見かけるようになったのは本当にこの一カ月くらいのことである。しかも、拷問系AVに出してでもケジメをつけさせたいと、あの手の連中がそう思うほどのことをしたということだ。
霧島瑠美香とサイレスは、どういった関係にあったのだろう。彼女から弟に脱法ドラッグである“メリッサ”が流れた可能性は濃厚と見て良さそうだが。
――オーソドックスな考え方をするのであれば。霧島瑠美香はサイレスの一員で、そのドラッグをりくに売りつけて薬物中毒にした……って考えるのが正しいだろうけど。
ヤクの売人が、ヤクを持ち逃げして逃げた?
それなら確かに、お金だけ取り戻しても意味がないのかもしれない。本人を探すというのもわかる。が、二年後の最近になって執拗に探し回っている理由にはならないだろう。
――何か、他にも理由があるんじゃないか?……そもそも、どうして従弟に紹介された一般男性に薬を売りつけるなんて真似をするんだろう。そんなことをしたら従弟との関係もこじれそうだし、足もつきそうなのに。
しっかりと石鹸を泡立てて体も洗っていく。汗を掻きやすい脇の下やデリケートゾーン、足の裏なんかは特に念入りに。鏡には、泡だらけになって風呂場の椅子に座ったまま、難しい顔をしているみらの姿が映っていた。なんとも不細工ですこと、と笑いたくもなる。
ニンニク臭い料理も食べたし、後でブレスケアでも飲まなければ。
――あとはそう……霧島流が警察に言いたがらないっていうのも気になるかな。会社に遠慮している、というだけなんだろうか。
こうして思い返すと、弟のニュースは何度も全国ネットで出たものの、彼の会社であるスズカゼ・カンパニーに関して追及している局は殆どなかったように思う。もし、先輩社員から紹介された女性が原因でドラッグ中毒になった、なんてことになっていたなら。霧島流本人はもちろん、会社にももう少し捜査の手が及ぶのではなかろうか。
しかし、実際は自殺者を出したとはいえ、スズカゼ・カンパニーの株価は一時少々下がったものの、すぐに持ち直しているし、今に至ってはゆっくりと上がっている状態である。ということはやはり、天城りくが個人的に薬を買って死んだ、ということに世間的にはなっていると見るのが濃厚だ。会社が絡んでいるともなれば、もっと報道も大きくなっていたはずなのだから。
『これ、殆ど社内のタブーになってるんです。私から訊いたって、言わないでくださいね』
『……この会社で、一人。死んでしまった社員がいるんです。自殺ってことになってます、真相はわかりませんけど、営業部の男の子で』
ここで、思い出すのは最上千歳の言葉だ。
会社のタブーというより、彼を個人として扱い、会社の責任追及を逃れる風潮があったとしたら。そのような指示を、上が出していたとしたら。あるいは圧力がかかっているとしたら。
流が、今の状況を警察に相談したがらないのもわかる。行方不明になっているのが霧島瑠美香、従姉であり天城りく死亡のキーパーソンだ。ここから、過去の事件を再度追及されれば、会社の願いを裏切ることになるとでも思っているのではなかろうか。
――やっぱり、明日は真正面から訊こう。
みらは決意して、泡を流した。
――私には、知る権利があるはずなんだから。




