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<1・りく。>

『姉ちゃん、みてみて!』


 とてとてとて、と駆け寄ってくる小さな少年。彼はその手に、落ちていた桜の花を持っていた。綺麗に花びらが五枚揃っている。どうやら風で、花ごと落下してしまったということらしい。


『へえ、いいの見つけたじゃんりく!』


 少年の名はりく、当時八歳。

 それを受け取った少女の名前はみら、当時十一歳。

 二人は三つ違いの姉弟だった。みらは無邪気で甘えん坊で優しいりくのことを、眼の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。自分にちっとも似ていない、女の子のように可愛らしい顔立ち。小学校の成績もいいし、運動神経も抜群。自分ができなかったことの大半ができる弟に、嫉妬した時期は非常に短いものだった。

 何故なら彼はいつも自分を一番に気遣ってくれる、想ってくれる。姉ちゃん姉ちゃん、とこんな可愛い子に慕って後ろをついて回られて、嫌な気分になる姉はそうそういないものだろう。

 この時もそう。家族で公園にお花見に来ていた時、彼は見つけた桜の花を真っ先に姉の自分に見せてくれた。小柄な弟にしゃがんで視線を合わせると、彼はそっと桜の花をみらの髪に差してくれたのである。


『はい、髪飾り!』


 にっこりとりくは笑って言った。


『姉ちゃんやっぱり、ピンク似合うね!お姫様みたいだよ!』

『そ、そうかな?私みたいなガサツな奴でも似合う?』

『似合うよ!姉ちゃんがお姫様なら、俺は姉ちゃんの騎士になるね!』


 ふふん!と彼は勇ましく剣を振るうような動作をした。その当時流行していた戦隊ヒーローが、西洋の騎士をモチーフにしたものだったからだろう。


『大きくなったら、俺が姉ちゃんをかっこよく守ってあげる!俺、世界のみんなを笑顔にするヒーローになるんだ!』


 夢見がちな少年の、そんな言葉を。みらも、それから両親も微笑ましく見ていたのをよく覚えている。

 彼はいつだって家族の中心だった。

 この十年後、両親が価値観の違いから離婚してしまうことにはなるが――それでも、みらとお父さんの繋がりが途切れなかったのだって、お父さんについていくことを選んだりくのおかげである。離婚したにも関わらず、ある程度家族観の交流が許されたのも、絆がまったく途切れなかったのも全て彼の功績と言って過言ではないだろう。両親どちらも大好きだと豪語していた彼にとっては、離婚は身を引き裂かれるほど辛かったはずだというのに。

 みらにとって、弟は弟というより、自分の一部にも近い存在だった。冗談抜きで、命より大切な存在であったかもしれないと思えるほどの。きっと両親にとってもそうだっただろう。

 だから。


『な、んで』


 誰からも愛されて、友達も多くて。

 就職も無事に決まったと、少し前に喜んで電話してきてくれたはずの彼が。




『嫌だ、嫌だ、りく、りく、りく!嫌、嫌、嫌あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』




 一体何故、予想できただろう。

 急性薬物中毒で、突然命を落とすだなんて。




 ***




――ここが、スズカゼ・カンパニー……。


 それから、二年後。

 姉、鳥海ちょうかいみらは二十八歳。弟が勤務していた、スズカゼ・カンパニーのビルの前にいた。今日から自分は派遣社員として、ここで派遣社員として勤務することになっている。両親が離婚したせで苗字が違う天城(あまぎ)りくの姉である、という事実を隠して。

 自宅で、脱法ドラッグを過剰摂取したせいで急性薬物中毒となって死んだ弟。自宅に他にも薬が残っていたこと、注射器に弟の指紋しか見つからなかったことなどから、警察は彼を自殺で処理してしまった。

 だが、そもそもの話、りくが何故ドラッグなんか持っていたのか?という問題が残っている。

 直前まで連絡を取り合っていた自分は知っているのだ。彼に、不審な様子はなかった。半年前に顔を合わせた時も、仕事が忙しいと言っているくらいで特におかしな様子はなかったのである。ましてや、心優しい爽やかな人気者様、を地で行くようなキャラクターだった彼だ。脱法ドラッグを扱うような半グレ組織と繋がりがあったなんて到底信じられないのである。


――もし仮に、本当に自殺だとしても。弟が自殺するなら、それには絶対理由があるはずだ。


 彼が何故、死んだのか。

 誰かに殺されたのか。それとも、誰かに死にたいほどに追い詰められて自殺を選んだのか。

 そして、薬は一体どこから持ち出されたものであったのか――。

 みらはその謎を解くために、此処にいる。彼が勤めていた会社、このスズカゼ・カンパニーに謎の答え、少なくともヒントがあるはずだと信じて。というのも、最後にりくと話した時に、彼が繰り返し話題に出してきた人物が此処にいるのである。

 それが、この会社の営業部のエース、霧島流きりしまりゅう。

 今はどこまでも仕事に打ち込みたい、そう語っていた彼の現在の交流関係は、時々会う大学時代の友人を除けば殆どが会社の関係者に限定されていた。話題に出てきたのも、尊敬できる先輩と語っていた流を含めた会社関係者ばかりであったのである。

 彼等が何も知らないとは、みらにはどうしても思えなかったのだ。


――警察なんかアテにできない。りくを死に追いやった奴が誰なのか、私が自分の手で見つけてやる……!


 実戦空手を習い、自分で自分の身を守れるくらいにはなった。

 この二年、探偵も使って他の情報は全て調べ尽くした。

 あとはこの会社に乗り込んで、みら自身で決着をつけるまで。


――見ていろ。必ず私が、相応しい罰を下してやるからな……!


 弟を殺した犯人を見つけたら、その時は自ら裁いてやると決めていた。

 それだけを糧に、弟が死んでからの二年間――自分は日々を生きてきたのだから。




 ***




 男勝り、気が強い、ガサツ。そう言われた己の性格は全て封印しようと決めていた。

 髪を長く伸ばしてお洒落にまとめて、派手すぎないナチュラルメイクをすれば。あっという間に、ちょっと男受けしそうな大人しいOL女性の完成である。乱暴な言葉遣いをしないように気を付けて、なるべくにこにこと微笑むように心掛けなければ、とみらは自分に言い聞かせた。

 この会社に、自分は仕事やお金、青春を求めに来たのではない。あくまで弟の死の真相を探り、復讐するために来たのだからと。


「今日から営業補佐でお世話になります、鳥海みらです。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 少し緊張しているように装いつつ、ぺこりと頭を下げた。弟とみらは全然顔が似ていないが、万が一姉弟と気づかれたら厄介なことになる。どうかバレませんように、と内心ドキドキしていたものの、湧き起こったのはごくごく普通に歓迎の拍手であったのだった。


「よろしくー」

「よろしくお願いしますね、鳥海さん」


 良かった、どうやら不審に思われてはいないようだ。やや胸を撫で下ろしつつ、みらは頭を上げた。

 弟が仕事をしていたのは営業部だが、みらがこれから入ることになるのは営業補佐部である。この二つの部署は密接に絡み合っていると言っても過言ではない。スズカゼ・カンパニーは時計を中心とした商品を取り扱う会社であり、営業部が仕事を取ってきてルートを開拓し、営業補佐が入ってきた受注を処理したり在庫を管理するという役目を担っているのだった。みらがこちらに入ったのは営業部は現在人員を募集していなかったことと、営業補佐部の方でも目的を達成することは十分可能だと思ったというのがある。

 スズカゼ・カンパニーはけして規模の大きい会社ではない。

 別の部署の人間であっても協力してプロジェクトにあたることは少なくなかったし、営業補佐の人間ならば営業部の者達と接触することになんら違和感はないだろう。特に、新人という立場ならば、仕事について尋ねるついでにいろんな人から話を聴いて回ってもおかしくはないはずである。


「とりあえず、鳥海さんの机はもう用意してあるから。あそこ、山雲さんの隣ね。山雲さん、いろいろお仕事教えてやって」

「はーい!」


 涼風(すずかぜ)社長の言葉に、元気よく返事をしたちょっと明るい髪色の若い女性が一人。みらより少しばかり年下だろう。快活そうに彼女は手を挙げてみせた。


「よろしくね、鳥海さん!あたし、山雲鞠花(やまぐもまりか)。気楽に鞠花先輩って呼んでくれてもいいからねえ!」

「は、はい。お世話になります」


 どうやら、第一条件はひとまずクリアということらしい。みらはふう、と一つ息を吐いた。

 まずは、うまい具合に鞠花の印象を上げておくことにしよう。だいぶお喋り好きそうな雰囲気の女性だし、雑談交じりにいろいろ訊けば、訊いた端からいろんなことをぺらぺらと話してくれそうである。

 そして、ゆくゆくは、とみらはちらりと左の方に視線を投げた。営業部の男性たちに交じって立つ、長身に細身の青年を。


――あいつが、霧島流(きりしまりゅう)か。


 思ったよりも若そうだ。そして、女性向けしそうな甘いマスクである。こっそり俳優もやってます、なんて言われても通用しそうな爽やか系の色男。少しだけ、りくに雰囲気が似ているかもしれない。

 彼が弟を殺したと決めつけているわけではないが。相当親しくしていたようだし、何も知らなかったとは考えづらい。何としてでもお近づきになって、情報を聴きださなければ。

 そう、女としての武器を使ってでも。


――何が何でも落としてやる。


 そう。

 みらにとっては流の存在など、利用するための存在でしかなかったのである。少なくとも、この時は。



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