就業後の従業員
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――なぁにが浪漫チックだよ。クソッ。ふざけやがって。
自分が絶体絶命なことがわからない筈ないのに。へらへらとした態度の閃鬼の檻から背を向けた。関係者立ち入り禁止エリアなことを良い事に、廊下を足音高く踏み鳴らす。客にさえバレなければディオニュソスに咎められることはないし、関係者でオレに絡んでくる奴なんて少数だ。ポケットに掌を突っ込み、前傾姿勢で風を切る。
快楽主義者の愉快犯。
これが一時間かけて話した閃鬼への印象だった。
勿論他にもわかったことは色々とある。
甘い物が好きらしい。
趣味は読書。最近は映画鑑賞やゲームもするようになった。最近仲良くなったツレの影響だそうだ。青系の色が好き。キャラクターとしての猫は好きだけど実際の猫は、っていうか生きている動物は怖い。オレとは逆にミント系の菓子が好き。酢の物が苦手。夜更かしするせいで起きるのが遅い。
プラス・ボックス生まれ、プラス・ボックス育ち。にしちゃあ随分と年上に見える。この”箱”は出来て16年とかだ。最初の数年はほぼスラムで早々子供を産める様な状態じゃなかったと聞くし、実年齢よりも年上に見えんのかな。態度は見た目の幼さに反してデカいのに。数年間独り暮らしをしていたが、現在は世話を焼いてくれる同居人と双子みたいな奴と住んでいる。
――これがオレの聞きたかったことだったのか、わからない。そもそも閃鬼に何て答えて欲しかったのか。
閃鬼と話している間に聞こえた悲鳴交じりの啜り泣きが鼓膜にこびり付く。その声に知った声が被ってガシガシと耳を擦った。
アイツはここに居ない。だから代わりにオレが居る。
行かなきゃ良かった。後悔から溜息を吐く。吐き出した酸素を補充する為、息を吸った。
消毒液の臭いがする。
いや、違う。わかってる。幻臭だ。医務室は遠い。そんな臭いはするわけない。いつもの幻覚症状だ。どうせこの後血の臭いも混じりだす。落ち着け、落ち着け、落ち着け……。
尻ポケットに突っ込んでいたソフトケースを引っ張り出す。引っかかったものを力づくで引き抜いたせいで、中の煙草がバラバラと落ちた。
「あ゛ぁッ」
苛立ちと焦燥が身の内に溜めきれず、口から意味の無い音が漏れる。強張る掌がソフトケースを握り潰した。震える指で煙草を1本抜き出す。途中取り落としかけながらなんとか咥え、ライターのボタンを押し込んだ。安物のライターが焦りで余計から回る。ガチ、ガチガチ、ガチガチガチ。
「――ッゥ」
最近切って無かった爪先がハンマーに引っかかり、付け根に血が滲んだ。煙草を咥えた口で不格好に舌打ちをして、深く息を吸い直した。消毒液の臭いが脳を犯す。
両手でライターを握り直し、呼吸を止めながら慎重にハンマーを押し込んだ。ボッ。オレの心情に関係なく、あっさりと灯った炎に吐いた息が震える。煙草の先に火を寄せた。
「なぁにしてんだ!」
「――あっづっ!」
背後から飛びつく様に肩に腕を回され、ライターを握っていた手がブレる。火先が顔に触れて悲鳴を上げた。拍子に咥えていた煙草が地面に落ちる。
組まれた腕を振り払い、ギッ、と相手を睨み付けた。
「テメェッいきなり何しやがるッ!あぶねぇだろーがッ!」
「お、相変わらずまともなこと言うね」
「ファントム……」
出会って数日にも関わらず、距離の近いこの男はこんなんでも黄金郷の警備統括だ。即ちオレの上司に当たる。
オレと同じように項で括った黒髪を、オレとは違い背中まで垂らしている。既定のスーツを浮かない程度のカジュアルさで着こなし、気安い雰囲気を身に纏っていた。その癖目元を覆い隠して鎮座するサングラスが奇妙な圧を与えていた。掛けてる理由はエージェントっぽいから、とかいうふざけた理由なのに。
サングラスの奥がにや付いている気がしてムカつく。苛つきを抑える為に視線を逸らす。隙を付くように再度馴れ馴れしく肩を組まれ、引き寄せられた。
「オイッテメッ「駄目だよ。煙草は」」
上げた怒声がスピードに乗る前にピシャリと叩き落され、言葉が詰った。眉間に皺が寄る。
「……廊下は禁煙じゃねぇだろ」
「でもほら、健康に悪いじゃん?」
「はぁ?何言ってんだお前ほっとけよ。健康に悪いことがしてぇ気分なんだよ」
「なぁに。希死念慮って奴?――君が死んだって贖罪にならないのに」
カッと頭に血が昇る。ファントムの腕を折るつもりで打ち払い、背後に跳んで距離を取る。ファントムに向かって拳を構えた。
「うわ痛。何すんだよ。まだオークションは続くのに」
ファントムが払った腕を痛そうに振る。演技、いや、悪ふざけだ。手応えが無かった。上手い事流されたんだろう。
サングラス越しに視線が向けられる。思い込みや勘違いではなく、確信だ。重くなった空気に視線に質量さえ感じる。こちらを面白がって観察する瞳が黒塗りのレンズの向こうで冷たく鋭く光っている。
「テメェのその眼。閃鬼とそっくりだな」
「アハッ。重大な秘密を教えてあげようか」
「なんだかしらねぇが、絶対ろくなことじゃねぇだろ」
その口閉じてろよ。と睨み付けるがファントムには何処吹く風だ。オレの敵意に気付いてこれだから質が悪い。ファントムは勿体ぶって口を開いた。
「――実は生き別れの兄弟なんだ」
「テメェ……それが引っ張ってまで言いたかったのか?」
お前等親子程は変わらないにしても兄弟程近くもないだろう。2人して年齢がわかり難いが優に10年は差がある筈だ。
あまりのくだらなさに怒る気さえ失せた。距離は詰めないながらも拳を下ろす。ファントムをぶん殴ったらディオニュソスに賠償を請求される。オレが黄金郷の共犯になった意味がない。
「んで、なんでテメェは絡んできたんだ。まさかマジでオレに嘘吹き込む為、ってわけじゃねぇだろ」
「ああ、うん。警備に関する話でさぁ。やっぱ閃鬼は明日じゃなくって3日目に出品だって」
「――そうか」
「後明日“実験室”の連中が追加で来るって」
「あ?このオークションって初日から終日参加が原則じゃなかったか」
「そだよ。そうした方がオークションを見る時間が増えるからさ。要らないもんでもノリで買っちゃったりするじゃん?まずは知ってもらわなきゃ。だから途中参加できる奴は特別。所謂VIPって奴だな」
「”実験室”は目移りしないしさぁ」と独り言のように呟くファントムに不穏な気配を感じて顔が強張った。
「その“実験室”?って、どんな奴等なんだよ」
「あれ?知らない?閃鬼ちゃんに聞いてみたら?彼女、情報屋だし詳しいでしょ」
「あ?」
「さっきみたいにさ。仲良さそうだったじゃん?」
息を呑む。舌打ちしてから重い足を再び動かした。




