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アナザーズ・レコード  作者: 紙葉衣
ショーケース・ショータイム
95/98

下艦

▽▽▽▽

「ストップと言うがね。“時は金也”という。私が君の頼みを無償で聞く理由はないだろう?」

「ああ、勿論」

 唯一覗く右目を緩め、俺に向かって手を振っていた閃鬼がディオニュソスに呼びかけられ、滑らかに視線を移す。俺に対しては丸っこかった視線が刃物のような金属質へと変わった。いや、両腕を落としてだくだく血ぃ流しながらぶっ倒れているツレへのさっきの視線の方がおかしいんだが。

 閃鬼はもう俺に目もくれない。オーガにはそもそも一瞥すらしなかった。オーガが俺の両腕を斬り落としたことはわかっているだろうに。横顔にオーガからの困惑と警戒の視線が、濁流よろしくビシバシ刺さっているのにフルシカトだ。案山子と見分けが付いていないんだろうか。

 瞳孔の揺れから声帯の震えに至るまで。身動き一つ見逃さないように深く被ったフードの奥で、閃鬼がジ、とディオニュソスを見つめる。口元だけを笑みの形に変え、コトリと首を傾けた。

商談ビジネスの話をしよう」

「ほう!ならば話を聞こうか。君は何を欲して何を差し出す?」

 ディオニュソスが僅かに身を乗り出した。傷の痛みによるものとは違う、焦りからの冷や汗が蟀谷を伝う。

 思考を占めていた痛みが吹き飛び、朦朧としていた意識が引き戻された。”どうにかしなければ”と”どうしようもない”がぐるぐると渦を巻く。

 閃鬼が何を求めているか、対価として何を差し出す気か、わかる。俺の思い込みでなければだけれど。ほの暗い期待を抱えながらカラカラの喉で無い唾を呑んだ。

 頭に過った期待が肯定されたいのか、否定されたいのかすらわからない。それでも。あぁ。俺の自惚れであることを祈っている。

「欲しいのは風竜の――そこで倒れている阿呆の命。対価は――」

 閃鬼が深く被っていたフードを親指で引っ掛け、押し上げた。万華鏡のように色とりどりの遊色を散らした碧瞳が、刻まれた幾何学的な刻印が衆目に晒される。

 理外の宝玉にオーガがギョッと身を引いた。ディオニュソスが細い異音を立て息を呑む。

「あたしでどう?お釣りが出るでしょ?」

 あぁ――。

 ――俺の予想通りだよ。クソが。

 

 考えられる限り最悪の提案。それなのに、自惚れでは無かったことに喜びが沸き上がる。俺のせいなのに。自己嫌悪で吐き気がした。グラグラと胃が揺れる。腕が無くては口元を抑えることすらできなくて、せり上がる胃液を必死で飲み下した。

 閃鬼はケラッと笑っている。余裕そうに。そんなわけないのに。俺のせいで。

 ディオニュソスがふむ、と口元に指を当てる。態とらしく考え込んだ。答えなんて1つなのに。

「いいや、人間一対一。過不足無しだ」

 ――ふっ、ざけんな!俺と閃鬼の価値がトントンなわけねぇだろーが!

 赤く染まった視界がヂカヂカと光る。ただでさえ両腕欠損によって血が足りない中、急激な血圧の高低に、若しくは単純な怒りによってくらりと頭が回った。


 ディオニュソスだって何も本気で言っているわけではない。客観的に見て、死に損ないの屍体もどきと鬼眼持ち(クリアカラー)が同一なわけない。ただ最低限のコスト()最大の利益(閃鬼)を得たいだけ。紳士ぶった瞳の奥で打算と欲望がギラギラと光っている。

 クソが。閃鬼も「あーらら」みたいな顔で肩竦めてんなよ!

「良いだろう。君の商談を受け入れよう」

「わーい!ありがとー!」

 優雅な動きでディオニュソスが閃鬼に手を伸ばす。弾むような動きで閃鬼が応えた。

 彼女の細っこい指がディオニュソスの掌に触れる。瞬間、蛇が獲物に絡みつくかのように、ガッと手首を掴まれた。

 予想外の勢いに閃鬼の肩が跳ねる。身を引きかけた彼女の瞼をディオニュソスが指で押し上げた。その動きは先ほどまでの慇懃なものとは違う。乱暴でこそ無いけれど、物に対するような無遠慮さ。まさしく”商品扱い”。

 

 ――殺すぞ。


 オーガが「うわっ」と引いた声を上げた。今にも眼球を舐めそうな距離に、閃鬼が口元を引き結んで突き飛ばすのを堪えている。

「成程……。これがこの街で最高級と言われる異在イグジストなる眼球――鬼眼か。確かに、素晴らしい」

 ほう、と感慨深げにディオニュソスが息を吐く。そこで息吐くんじゃねぇよ。閃鬼に掛かんだろうが。

「閃鬼に触るんじゃねぇよ――ッ」

「なぁ……」

 俺以外の絞り出すような声に視線を上げる。苦虫噛み潰したような顔でオーガがディオニュソスを睨んでいた。

 無意識に零した呟きにオーガがハッと口元に手を当てた。思わずその横顔をまじまじと見つめていると気が付いたのか、ふとオーガがこちらに視線を向ける。カチあった視線にオーガが肩を跳ねさせた後、気まずそうに視線を反らした。背けられた横顔に目を細める。

「それでは商品の受け渡しを。と、いきたいところだが黄金郷ミダス・ガーデンには商品を出品した人しか滞在できない。残念だがな」

 ディオニュソスが首を振ると共に、襟首を掴まれ、吊るされていた俺の体が揺れる。ディオニュソスが視線を伏せた。応じるように床が開く。力が入らず、引きずっていた膝下が宙に浮く。爪先が床より下がる。曲げられていた関節が伸びた。

 うっわ……。この後がありありと想像できてぐらりと天を仰いだ。

「彼には下艦してもらう」

 艦側で制御しているのだろう。気圧差による風はない。ただ足元の光景が青空と雲、豆粒の様なビル群となっただけ。ここが既に天国みたいなもんなのに、これから死ぬと言われても現実感がない。

 ――まぁ死んだ方が良いかもな。俺なんか。

 グチグチとディオニュソスに文句を付けているが、こんなのは八つ当たりだ。閃鬼への不利益は全て俺が原因だ。俺が彼女の足を引っ張った。

 俺が死んだところで閃鬼には狂華が居る。狂華は閃鬼を見捨てない。ここで俺が死ねば2人は気兼ねなく動けるだろ「風竜」


 閃架に呼ばれた。絶対の行動として顔を上げる。閃鬼の右眼と目が合った。

 

 ――泣かないで。

 

 涙こそ流れていないけれど、潤んだ閃架の瞳が揺らいでいる。瞬きしたら涙となって零れ落ちそうだ。閃架も見開いた目に力を入れて堪えているのか。

 ダメだよ。敵地で弱みを見せちゃ。付け込まれる。

 なんて。原因である俺に言われたくはないだろうけれど。

 そんな心配そうな顔しないで。暗い顔しないでくれ。君が酷い目に遭うのは俺のせいなんだ。俺の為にそんな顔をする価値はない。


 スゥ、と深く息を吸う。痛みも自責も全て頭から追い出した。大蛇サーペントや狂華にへらついてる、と不評ないつも通り笑みを見せた。

 閃架が僅かに目を見張る。噛み締めるように、ゆっくりと瞳を閉じた。滲み出た水滴が一滴、フードに隠れて頬から首筋へと流れていく。

 パチリと彼女の眼を開く。虹彩の中、力強く輝く星彩アスタリスク。事態は何も好転していない。わかっているのに俺は安堵から胸を撫で下ろした。

 閃鬼が強気に笑って俺を煽る。彼女が声を出さずにゆっくりと口だけを動かした。――”た、す、け、て”。

 ディオニュソスが掴んでいた俺の襟首を放す。


 一拍。


 落下。


 重力に従い、床の穴から落ちていく。先ほどまでの静けさは何だったのか、風を切る音が煩い。冷気が切り裂かんばかりの勢いで顔を叩く。閉塞的で薄暗かった視界が開け、蒼穹に塗り潰された。

 閃鬼に向かって振り返る。既に遠くなった艦にはもう自力では戻れない。

 目を伏せた瞬間、短い電子音が鳴った。発信源は耳に付けたインカムから。

《3日目。大トリだろうから午前0時。それまでに助けに来てね》

 一方的にそれだけ告げて切れた通信に口角を上げる。

 オークションに出品されている品々の中で自分の眼球《存在》が一番なんて、凄い自信だ。事実なんだろうけどさ。

 っていうか、こんな状態の俺に助けて、ねぇ。まったく。何時も無茶ばかり言う。


「任せとけ。絶対何とかしてやるからな」

 

 その言葉を最後にブチッと俺の意識が途絶えた。

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