高度10,000m、金の饗へ
▽▽▽▽
「うーひーっ。やっぱ良いね高いとこは!冷えた空気が肺に満ちる感覚って頭の中がスッキリする!」
「……馬鹿とナントカは高い所が好き」
「あんだってぇ!?」
「なんでもないっす。あ、おい暴れんな」
ぼそっと呟いた声が聞き咎められた。閃架が勢いよく上体を跳ね上がらせ、俺の耳元で大声を上げる。取り落としかけた体を慌てて掴み直した。
やっぱり馬鹿野郎じゃないか。俺が落としたらあんた墜落死だぞ。
とん。と軽い足取りで空を蹴る。体が浮き上がる感覚。足元から薄い硝子が割られる様な涼やかな音がした。
開いた掌で空気に触れる。手元から足元まで斜めに創った壁を蹴り、上へ上へと昇っていく。
胸元にはもはや毎度のこと。慣れた重みの閃架が居る。俺の肩に顎を引っ掛け、足元を覗き込んでいた。呼吸が首元に当たってくすぐったい。
何時ぞや流行ったビニール製の人形の様に両腕両足で俺にしがみ付く閃架の背中を空いている腕で支える。彼女が身に纏う丈の長いウインドブレーカーのダボ付いた裾が跳び上がるごとに高所の冷たく強い風にバタバタとはためいていた。
俺の足元を覗き込む為、首を曲げ続けていた閃架が一際大きい跳躍の隙に息を吐きながら首を伸ばす。ぐるりと首を回し、凝り固まった筋肉を解した。
「キツそうだな。体勢変えるか?」
「や、大丈夫。つか首より眼の方がキツイかも」
「そ、れの限界が来ると俺等マジで死ぬンすけど……」
首の裏を揉んでいた掌で目元を覆う閃架に困り切った声が出た。だから無茶っつっただろと言外に滲む。閃架がわたわたと掌を左右に振った。
「そこまで緊急じゃないって。届く届く!」
「頼むぜ。ほんと……」
夜な夜なベッドで話した3日後。現在俺達は上空約10,000mに向けて上昇中だ。自分の足でな。
▽▽▽▽
デスクワークの雑務中、閃架からのメッセージがパソコン画面にポップする。
彼女に頼まれたファイルを取る為、背後の棚を振り返る。横着して椅子に座ったまま足を突っ張り、腕だけでなく体全体を伸ばす。開いた隙間に閃架が体を滑り込ませた。
「あ」
隙を狙う動きに背表紙に引っ掛けていた指がファイルを抜き出す前に弛緩する。
悪戯が成功した達成感にか不敵に笑んだ閃架が威圧感と共にどすんとデスクに腰かけようとし――高さが足りずに滑り落ちた。ガンッ、と不吉な音がする。
「イッ、ツ……」
「おい今机の縁に腰ぶつけなかったか」
「ウゥ……」
「あんたな……」
閃架が足下に蹲る。ぷるぷると震えているのは痛みにか羞恥にか。
――なんで日常生活でこんなアホというか、ぽんこつなんだろうな……。
腰を上げ、パソコンのキーボードを避ける。 格好付けようとして盛大に失敗した閃架の脇の下を持ち上げ、開いた場所に彼女を下ろした。ふっ、口角を緩ませる。
「愛い奴だよ。ほんと」
「趣味悪……」
力なく吐き捨てられた閃架にククッ、と喉奥を震わせた。
「で、なぁに。どした」
「その声止めて!」
幼児を宥めるような甘い口ぶりに涙目で噛み付かれた。椅子に座り直し、閃架を見上げながら両腕を掲げてホールドアップ。「それで?」と視線で問い直せば、目元を拭った閃架が咳払いをした。取り繕って口を開く。
「“黄金の饗”って知ってる?」
「……ギリシャ神話のなら」
過剰に重々しいトーンには突っ込まない。
この雰囲気の作り方は雑談では収まらない内容が来るな。昨夜ベッドで話したことに関係するのだろう。
ミダス王というのは確か何処かの王様だ。触ったものを金にして欲しい、と神様に願ったら飲み物も食物も全てが口に入れた端から金となり、終いには娘も金の彫像にしてしまう、とか確かそういう話だった。
「う~ん、元ネタはそうなんだけど……。ふむ」
なんか求めていた答えと違うっぽいな。
どう説明しようか悩む閃架が足を組んだ。
「“黄金の饗”ってのはさぁ、闇オークションの名称なんだよ。裏世界では結構有名なの」
「盗品博物館の次は闇オークションか……」
天を仰いでぼやく俺に閃架が苦笑する。太ももの下に掌を突っ込んだ閃架がぱたぱたと足を揺らした。そんなことしてるとまた落ちるぞ。
「どうも昨日のヤクザっぽい2人組は、っていうかあの2人が所属している組織は、かな。この闇オークションの参加希望者らしい。あたしを拉致って商品として出品したかったみたいなんだよね」
「――参加希望者、ってことは買う方だろ」
「流石察しが良いねー」
体を揺らす閃架がぶつかる前に机上のタンブラーを避難させる。手持無沙汰に
口を付けた。広がるインスタントコーヒーの香りは安っぽいが、俺には十分だった。
「さて。またしても、ありきたりではあるけれど、このオークションの参加には条件がある」
「あん?また特別なチケットか?」
「いや?オークションへの出品」
閃架の言葉にあー、と声を漏らした。つまりは。そうなると。
「あれか。不良グループが末端に態と法を犯させて共犯者にして足抜けできないようにする。みたいなテクニック」
「物騒なテクだな……。闇オークションに参加する奴なんて端から大なり小なり犯罪者だよ。メインの理由はマージンの割合と出品物の質を上げる為だよ」
「物騒なのはこの街だろ」
「それはそ~!」
腰の痛みはもう良いらしい。閃架がキャハッとはしゃいだ笑い声を上げた。
「まず落札額の何割かがオークション側に収められるってシステムなんだけどさ。“黄金の饗”は商品も買い手も質が良いものが集まり易い場を提供することで通常よりも自分達への手数料の割合を多くしている。まぁそもそも出品物の母数が大きいせいで玉石混交なんだけどね」
伸びる指と共に「物、人、目玉商品の3日に分けて開催される」と話は続く。あっさりと人身売買が明かされたんだが。閃架が拉致られ掛けた時点でわかっていたことではあるのだが実際に言われると腹の奥にズンと来るな。
「質が良いってのは?」
「竜騎も前は傭兵なんてガラの悪い仕事をしてたんだからわかると思うんだけどさ」
「あぁ」
「あたし達みたいなのは、舐められたら終わりじゃん」
閃架の宵空色の瞳がギラリと狂暴に光を放った。俺はククッ、と喉の奥を震わせる。
「確かに。沢山の同業者が居る中でダッセェもん出せないもんなぁ」
「別にその辺で拾った小石でも商品として出せるんだけどね」
閃架の物言いは白々しい。そんなのそのまま弱みを見せるのと同じだ。自分達には上等な品を集める伝手も、金も、力もないと喧伝しているのと変わらない。悪党なんざ面子が要る。どいつもこいつも見栄を張る為に質の高いものを出すのだろう。例えば16歳の女の子とか。
「よく考えられていると褒めるべき、なんだろうな。悪党の悪知恵だ。善良の一市民の俺としては全員破産してくんねぇかなぁ、と願うばかりだぜ」
「竜騎が善良なら世の中の大半は聖人でしょ。悪党の中で金が回ってるか都合よく揃って破産したりはしないだろうけど。小悪党が大悪党に吸収されるくらいか。この街じゃそのくらい誤差かな。っていうか“黄金の饗”もちっさい組織に借金吹っ掛けて吸収してデカくなってるところ、あるな……」
閃架が遠くを見る目で左上を見つめる。
「えっと、毎年やっている訳じゃ無くて、3年ごとの開催なんだよね。悪党のお歴々も流石に毎年良い物は集められない、ってことなんじゃない?」
「じゃあ多くて5回か。その頻度で有名ならやり手っぽいな」
「え、そりゃまぁ名は売れてるけど……。どっちかっていうと落ち目だよ。右肩下がりだ」
「あん?」
「え?――あ、もしかして竜騎ってプラス・ボックスが出来てからだと思ってる?違うよ異在者生まれる前からだ。3日後の次回が記念すべき50回目にして”プラス・ボックス”開催1回目。通算150年目だね」
「なっ、がいな……」
予想外の年数にぎょっと目を剥いて、いや、ちょっと待てよ、と直ぐに眉間に皺を寄せる。
「プラス・ボックスが初めて?今?おっそ……」
「ね、遅いよね。由緒正しくデカい組織は腰が重い、ってのは表も裏も変わらないらしい」
「あぁ……」
そういえば、世界的大企業よりもベンチャー企業の方がプラス・ボックスへの参入が速かった。結果何十年も続き、世界に股をかける大企業よりも半年も経たない箱内だけの零細企業の方が資産では追い抜いていたりする。
とはいえそういうベンチャー企業の影響力は局所的だ。というか商品が異在道具なせいで、そもそも箱外で扱えない。
「いや……裏社会って、というか犯罪者って正規の企業よりも不安定で新興勢力の起こりが速いんだから、新しいモンはドンドン取り入れていかないと直ぐに置いて行かれるだろ。っていうか足元自体は崩れ去るだろ」
「そう。だから今崩れかけている。この街の技術を取り入れた新進気鋭の犯罪グループのせいでね」
大変そうだよね、と他人事顔で余裕綽々の閃架の横にタンブラーを置く。流れるように閃架がひょいっと持ち上げた。
「あ」
興奮しながら話している内に喉が渇いたのだろう。会って爆速で介護からの同居(家事は俺)によって距離感がバグった閃架が止める間もなく何も考えていない顔で口を付ける。一口飲んでうえあぁ、と顔を顰めた。
「フッ、ングっ」
思わず吹き出せば閃架に爪先で蹴り付けられる。コーヒーを零さないよう引き絞られた閃架の口元が今にも緩みそうで。”苦虫を嚙み潰した”なんて言うけれど、人間寧ろ吐き出そうとして上下の嚙み合わせが緩むらしい。
俺が飲んでいたのはブラックコーヒーだ。閃架は紅茶のストレートで眉を顰める。
「クッ、ククッ」
顔を背け、肩を震わせる俺にもう一発蹴りが入る。隠さずにケラケラと笑いながら閃架の膝にバラバラと一口チョコを落とした。
「油断し過ぎだろ、お姫様。可愛いな」
「うるせぇ~」
ひん曲げられた口元に包装を剥いたチョコを押し付けた。




