蛇足、もしくは竜の腕:猫が飼われる家
9/20に今まで投降した小説の機械音声をカタカナ表記に変更しました
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閉ざされた視界の中、脳の奥でパチパチと静電気が爆ぜる音が聞こえる。ブゥ……ンと低くもサイバーチックな駆動音が遠くで重なった。何かのモーターが稼働しているのか、脳の周辺が微振動する。手触りの良い毛布に擦り寄るように、振動に意識を傾けた。
――あぁ、僕は寝ているのか。
半覚醒した意識で自覚する。
身体を動かさないまま、鼻で深く息を吸った。五体の力が抜けていく。波間に漂う葉を沈めるように意識を睡魔に潜らせた。
「おはようございます!ライさん!」
「ぅっ……」
溌溂とした声に沈みかけた意識が強制的に引き上げられる。ランナーが勢いよくカーテンレールを走る音が大脳皮質にむず痒い。
目元を覆うレンズを隔てた先を人が歩き回る気配がする。装着していたVRセットのゴーグルを上げた。顕わになった瞼に日光が突き刺さる。呻きながら体を丸めて顔を逸らす。腰かけたまま眠っていたチェア型コンソールの肘掛を握り締めた。
「また徹夜していたんですか?」
「いや……、寝ていた」
「作業中に寝落ちでしょう。駄目ですよ。ちゃんとベッドで寝なくちゃ」
「あぁ……」
擦れた声でおざなりな返事をしつつ、目元を掌で覆い頭を振る。深く息を吸って脳に酸素を回しながら、換気の為に窓を開けるセランを見た。
「また勝手に部屋に入った」
「嫌ならまともな生活をしてください。もう!」
腰に手を当てたセランがぷんすこ怒る。吸ったよりも多くの息を吐きながら背凭れに体を投げ出した。力の入っていない腕を挙げる。
「仕事なんだ」
「業務以上のこともやっているでしょう。もう」
言い返せず肩を竦める。開きっぱなしだったニュースサイト・過去の事件データ・表計算ソフトetc.幾つものディスプレイをまとめて閉じる。同時に思考の端でプレイしていたゲーム画面を閉じた。業務時間外なので。
装着していたVRセットを外し、コンソールの電源を落とす。チェアから立ち上がって大きく伸びをした。チェア型コンソールは長時間の使用を想定しているとは言え、寝具ではない。固まった体からバキバキと音がした。
「そのコンソールとVRセット意味あるんですか?ライさん、パソコンもスマホも無くても存在異義でネットに繋げるじゃないですか」
「CPUが僕の脳だけだと不十分な時がある。サポートツールは必要だ。――にしても、君も僕のことを“ライ”と呼ぶのか。本名を知っているのに」
「え、あ。閃架さんや竜騎さんに吊られてしまいました。えっと……ライセイさん」
「ん」
頬を染めたセランが改めて僕の名前を呼ぶ。彼女の赤面が写った気がして、欠伸を噛み殺すふりで口元に手を当てた。
「に、にしても、驚いちゃいましたね。竜騎さん」
照れに耐え切れなかったのか慌てたように話を変えるセランに「あぁ」と唸り声交じりに返事をする。当時の驚愕を思い出し、肘掛に付いた腕で頭を抱えた。
「まさか本名にニアピンされるとはな」
「名前から取って稲妻マークをアイコンにしたのではないですか?」
「いや、刻印が稲妻に似ていることと”電子の巣”からだ。電気タイプっぽいからな」
刻印が刻まれている左下腹部を撫でる。だが成程。言われてみればそうだった。
まさか風竜も本名の半分を当てたとは思っていないだろうが。眉間に刻まれた皺を揉む。見かねたセランがパチン、と手を合わせた。
「ほら。取り敢えず顔洗ってきてください」
追い立てられるままに凝って違和感のある足で洗面所に向かう。背に「台所お借りします」と声が掛かった。
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丸パン。サラダ。スクランブルエッグ。
次々と目の前に朝食が並ぶ。甲斐甲斐しく配膳するセランを見上げた。
「ハウスキーパーを勧誘した覚えは無い」
「ハウスキーパーになった覚えはないので大丈夫です」
牛乳が注がれたグラスが目の前に置かれる。セランの表情は人のキッチンで好き勝手した割に不満そうだった。
「どうした」
「食材も料理道具も無さ過ぎです。いつも何食べてるんですか」
「自炊しないだけだ。宅配などを用いている」
「ゴミ箱にゼリー飲料とか栄養ブロック食の空き箱とか捨ててありましたけど」
「……補助だ」
「あと書類を積んだ机とコンピューターが詰った椅子で食事するのはどうかと思いますよ」
「独り暮らしなんてこんなものだろう」
責める目線から逃げるようにプレートに向き合う。スクランブルエッグをスプーンで掬って口に入れた。
「美味いな……」
「でしょう!」
コンソールチェア以外に座る場所が無いせいで、傍らに立ったセランが誇らしげに胸を張る。その笑顔に押されるようにもう一匙。口の中でジャリッと音が鳴った。
「んっ」
歯触りの悪い感触。卵の殻か。僅かに眉を顰めながら牛乳で流し込む。小さく上げた声に僕の反応を注視していたセランが肩を跳ねさせた。
「か、殻入ってました?」
「いや……、味には問題ない」
「あるでしょう!」
「料理は始めたばかりなんだ。気に病むことじゃない」
んぎゅっ、と強く目を瞑ったセランが叫ぶ。彼女を宥めながらサラダにフォークを刺した。シャキシャキとしたレタスも艶やかなトマトもウチの冷蔵庫には入っていなかった。態々持ってきてくれたのか。
セランは料理がマイブームだ。精神的余裕が生まれたので魅力に気付いたのか、人並みの生活を営みたいことの表れなのかはわからないが。
「今回は買いましたけれど、ドレッシングも手作りしたいんですよね……」
「良いのでは。生産性のある良い趣味だ。このビルはキッチンも広い」
「そう思うのなら自炊したらどうですか?」
「暇が無く、趣味じゃない」
セランは僕がワンフロア占有しているビルの下層階に住んでいる。フロアの居住可能区はこのワンルームのみで残りはサーバールームだ。実質的には+Nの部署室である。元々警察組織が有していたセーフルームを+Nの設立に当たって譲り受けた。
サーバーと冷却装置で埋まっている部屋にセランを住まわせるわけにはいかず、住居に困ったセランが頼ったのは盗品美術館等の後処理で忙しい僕の代わりに閃鬼だった。当時連絡先を知らないセランは最も一般的な方法――情報屋“閃鬼”のホームページからコンタクトを取ったらしい。
そういった経緯でセランが住む部屋は閃鬼の紹介によるものだ。正しくは盲目状態の閃鬼の指示に従った風竜が下層階の住人の違法薬物売買の証拠を掴み、強制的に部屋を空けたという方が正しい。僕は管轄外の為詳細には知らないが、取引の現場に単身乗り込んでその場に居る全員を武力で気絶させ、通報したとのことだった。彼女達ならもっと穏便な方法もあるだろうに。先日のトラブルでは暴れたりなかったらしい。
閃鬼に自身の居住が知られているとわかった時にはぎょっとしたものだ。指示されるままだった風竜はわかってないようだが。確認してはいないが閃鬼は僕の名前や素顔も知っているんじゃないだろうか。
「いや、でも本当にこの部屋生活感無いですよ。なんで住み始めて1週間くらいの私の部屋と変わらないんですか。ベッドとかあります?」
「別室にあるが」
「……ミニマリストですか?」
「不要なものは持たないだけだ。君は――今何か欲しいものでもあるのか」
「えー、炊飯器ですかね。和食作ってみたいんですけど、白ご飯で食べたくて」
「調理器具か。服とかアクセサリーなどは良いのか。あまり持っていないだろう」
「困らないくらいはありますし。あとは実物を見てビビッと来た時に買いますので。……一緒に買いに行ってくれますか?」
「人込みはな……」
出来る限り外出はしたくない。
何かの拍子に人に触れると“電糸の巣”が暴走してしまう。気を付けるのも疲れるのだ。
「と、いうか僕よりも閃鬼を誘えばどうだ。同性の方が気兼ねが無いだろう」
「えっ、……良いんですか。完全な味方ってわけじゃないんでしょう。警戒する様に言われるかもって思ってたんですが」
「今更だ」
対“狙撃手ちゃん”戦も含む打ち上げに自ら参加しておいて何を言っている。閃鬼には住所までバレているのに。連絡先だって交換している。
「じゃあ今度誘ってみましょうか」
「良いんじゃないか。向こうも嫌がりはしないだろう」
“鬼眼”の事を知っている上で“戦える”セランが一緒となれば問題はない筈だ。いや、風竜は渋る可能性があるか。それでも閃鬼が乗り気なら表立って邪魔はしない。
パンの最後の一口を口にする。コップに視線を向けるが中は空だった。伸ばしかけた手が迷う。
「そういえば、キッチンにコーヒーメーカーがありましたね。お好きなんですか?淹れましょうか」
「んぐ。頼む。ブラックで。濃くしてくれ」
はい!と嬉しそうに返事をしたセランが去っていくのを見ながら揃えた人差し指と中指を振り下ろした。ゲームのSEみたいな軽快な音を立てて脳内のラップトップが開く。持ち上げた片手でキーを操作して、画面を指でなぞった。食事を済ませたせいか、覚めた頭を通し、架空の情報端末デバイスから電波が発信される。コール音を聞きながら脳の片隅を電波時計に繋げる。同時に自分の声を機械音声に加工した。
時刻は9:30。昼も夜も無い、裏社会の戦闘担当が起きているかは微妙なところだが。さて。
《あんたいきなり脳直で電話掛けんの、止めてくんない?》
脳内に風竜の声が響く。
「起キテイタカ。オハヨウ」
《……おはざーす》
「通話ヲ取ルカ否カハソチラデ選択デキルヨウニシタ」
《スマホに掛けろって話してんだよ。俺は。番号知ってんだから。――それで?》
言葉では文句を言いながらその口調に怒りはない。通話の向こうで何かの作業を中断した気配がする。伸びでもしているのか、僅かに声がひしゃげた。
「オススメノ炊飯器ガ知リタイ」
《は?え、えぇ~……》
端的に告げた要件に風竜が呆気に取られた。戸惑いつつも声を絞り出す。気を取り直すようにガシガシと頭を掻いている気配がした。
《――そんなことの為にわざわざ電話してきたのか?レビューサイトでも見ればぁ?得意だろ。そういうの》
「ソレモ見ルガ技術的ナ話モ聞キタイ。君ハ詳シイダロウ。ソウイウノ」
《そ、りゃあんたよりは……いやどうだろ。何がどう作用して上手く米が炊けるのかなんてわかんないぞ。ひょっとしたら閃鬼の方が詳しいかも》
「閃鬼ガ物理学ニ詳シイカラカ?確カニ料理ハ科学ダトイウ話ハアルガ」
《まぁ、閃架ちゃん料理はあんまなんだけどな》
風竜が何か飲んだのか間が開く。ごくりと嚥下する音がした。
《よく知らない俺でもあんたが今はしゃいでいることがわかるぜ。ま、いいや。思い通りに事を進めたライへのお祝いだ。あんただけ打ち上げにも音声のみの参加でなんも食ってないしな。多分ウチのお嬢様のせいもあるし。ほら、打ち上げの時に閃架が日本食好きって話してたじゃん》
「ソウイエバ」
閃鬼の家には3合炊きの炊飯器があるんだったか。風竜が来る前からあったものを使い続けているらしい。
そう考えると、風竜は一度も炊飯器を買った経験がないわけか。人選に失敗したかと思ったが、他に技術屋の伝手がない。いや、仕事の伝手ならあるが、その場合警察官としてコンタクトを取らねばならない。それは色々と差し障る。
《あ――っと、……電気代とか気にする。何人前くらい炊く予定?》
「独リ暮ラシヲ想定シテイル」
《それホントか?ちゃんとセランちゃんに確認した?》
別に隠すつもりは無いけれど、プレゼントであるどころか送り先さえ言い当てられて怯む。僕に起きた変化を知っているので当たり前ではあるのだが。訳知り顔で《わかるぜ。俺も閃架に色々してあげたくなっちゃうんだよな》と言われるから余計に。
「一度相談スル」
《そうしな~》
戻って来たセランの足元も相まって電話を切った。殆ど同時に目の前にマグカップが置かれる。
「お待たせしました」
「すまない。ありがとう」
厳かな喫茶店のように丁寧に置かれたマグカップ。湯気と共に香ばしい香りが立つ。黒々とした水面が小さく揺れた。
マグカップを持ち上げた所で脳内に着信音が響く。縁に口を付けたまま風竜から送られた画像を開いた。《ウチはこれ使ってる》というコメントと共にマイコン炊飯器の写真が送られてきた。
竜騎にも、セランにも、わざわざありがたいと思いながらコーヒーを飲む。……美味いコーヒーを淹れるにも、もう少し経験が必要らしい。




