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アナザーズ・レコード  作者: 紙葉衣
フレイムハート
67/98

混線追憶③

□□□□

 ――私を見て欲しい。

「ずっと探していた」

 ――私に触れて欲しい。

「今触れている」

 ――私を愛して。

「……率直に言って、君を唯一無二にできるかはわからない。だから僕に言えるのはこれだけだ。――僕は全人類の内面を――中身を愛している。君のおかげでそうなった」


 包装されたプレゼントの中身を期待するように。鍵を掛けられた他人の日記が気になる様に。僕は人の考えに、感情に知的好奇心をそそられる。

 我ながら、この人間相手に無差別な博愛(野次馬)趣味はどうかと思う。品がない。反転アンチは厄介と言うが、反転ファンも厄介と言うか。我ながら、人間に対し気持ち悪い自覚はある。全人類を嫌うのとどちらが健全か、悩むくらいには。

 それでも、僕としては、随分と息がし易くなった。

 そして彼女の呼吸が少しでも楽になればよいと思うのは嘘じゃない。


 狭い路地裏の隙間を狙い澄ましたように、僕の顔面に太陽の光が降り注ぐ。瞼越しの眩しさにうっすらと目を開けた。

 久方ぶりに走ったせいで、全身が重い。

 埃っぽく、湿気の多い空気を深々と吸い込み、一気に吐き出す。目元から額までを撫で上げた。

 未だパチパチと脳の回路の一部が放電している感覚はあるが、取り敢えず暴走状態は終わったらしい。

 意識を飛ばす寸前、落下してきたところを受け止めた背中を摩る。背中まで伸びた細い黒髪を触れないように気を付ける。にしても手入れはされていそうなのに、どうにもパサついているようだ。勿体ない。3年前の伸ばしっぱなしに比べ、良く整えられているのだから、更に綺麗になると思うのだが。

 

 閃鬼と風竜が起こした風によって落下位置が調整されたセランは屋根や建物の装飾などにぶつかりながら減速。地面に激突するよりも速く、僕に受け止められた。いや、正確には受け止めきれず、一緒に倒れ込んだ。

 普段電脳世界で思考のみを活動させることばかりで、自らの体で動くことを碌にしていないからな。日頃から鍛えておくべきだった。

 抱え込んだ腕の中から小さく呻き声が上がる。ハッとして、セランの顔を覗き込んだ。ふるふると小さく睫毛が震え、薄っすらと瞼が開かれた。

「助けて欲しいとは頼んでいません……」

「そうだな。ところで”助けられる”ということは”愛されている”ということでは?」

 か細く擦れたセランの声に、輪郭の整った声で返す。拗ねたようにセランが口を尖らせた。

 痛みにか疲労にか。脱力した体重が僕の腕にかかる。居心地が悪そうにセランの赤い瞳がチロチロと揺れていた。

 躊躇いがちに伸びて来たセランの掌が、僕に頬に触れる直前、戸惑うように停止した。無遠慮に他人に触れることに気が引けた、というわけではないのだろう。

 かといって手を下ろすでもなく、もだもだと彷徨う指先に頬を緩めた。

「僕には触れない方が良い。知っての通り」

「う……」

 先ほどの暴走はセランを受け止めた時に触れてしまったせい、ということをセランも僕と繋がったことで知ったのだろう。申し訳なさそうにセランが視線を逸らす。どうやら僕の過去や思考を見たことが後ろめたいらしい。僕の存在異義(レゾンデートル)のせいなのだから、怒りこそすれ、セランが謝る必要など一つもないのに。

 絞り出すように溜息を吐いたセランがちらりと僕の顔を見た。決意を固めた顔で口を開く。

「何やら勝手に恩を感じているようですが、私は何もしていないですよ。貴方の存在さえ認識していなかった。貴方が助かったのなら、貴方を救ったのは貴方自身です」

「知っている」

「え」

 話している内に僕の顔から外れ、徐々に下がっていったセランの視線が、僕の言葉に跳ね上がった。

 セランには善意が無い。他意すら無かった。ただ一方的に僕が彼女を見ていただけだ。人生を諦めてもおかしくない状況で、それでも愛されたいと叫ぶ様を。燻ることなく、燃え盛る炎を。

「他人が頑張っている様を見て、勝手に背中を押された気になって、独りで立ち上がる。何も珍しくない。その辺によくある話だ。例えば本屋のインタビュー記事とかな」

 例えばスポーツの試合を見て。例えば演劇を見て。例えば音楽を聴いて。

 憧れを抱いて、影響を受け、その人に近づこうと努力し、成功すれば何故か恩を感じる。

 それは一方通行な認識で、関係性が輪として成立していない。

 だが、例えセランが僕を思って、僕の為に行動したことは無かろうと。

「だからと言って、僕が君を愛さない理由にならない」

 そもそもの話。セランは愛を特別なものと考えているようだが、そんなことはない。そんなことにしては駄目なんだ。

 簡単な切欠で人を愛して良いし、愛されて良い。

 僕の全人類に対する博愛は異常なものかもしれないが、人に愛されることは特別なことではない。

 生まれたばかりで何もしていない赤ん坊だって、人を殺した殺人鬼だって、愛してくれる人はいる。

「気負うな。もっと気軽に僕に愛されろ」

 抱いた腕に力を込める。

 数秒の沈黙の後、細く長く息を吐いたセランがシャツの胸にぐいぐいと頬を押し付けた。着ているシャツのボタンがセランの頬に沈む。

 1日の殆どを肉体的には寝ている状態とはいえ、いやだからこそだらしくなく見えないよう、日中は着換えていたのだが、良かったのか悪かったのか。

 着の身着のままで出てきても人前に出られる服装ではあるが、触れ心地は悪かったかもしれない。

「……愛されたとしても、撫でたり、抱き絞めたりしてもらうのは望めなさそうですね」

「その点については……申し訳なく思っている」

「あ、でも今更ですかね。また暴走したとしても、もう殆ど見られちゃった後でしょうし……。――その愛というのは、精神を守る為の自己防衛ではないですか?人間を嫌ったままで生きていくことが大変だから”愛している”と思い込むようにしているのでは?」

「否定はしない。それでも僕は、生きていけるようになった」

「潔いですね……」

「ただの開き直りだ。諦観とも言う」

 僕の内心も全て開示されてしまったからな。

 溜息を吐く僕をセランがじ、と見つめる。視線を離さないまま、徐にセランが手を上げた。そのまま僕の頬に手を伸ばす。彼女の指が触れる直前、慌てて袖で覆った腕で防いだ。

「おい、なんのつもりだ」

「いえ、何というほどではないのですが」

 俺の顔の横に手を付いたセランが身を乗り出す。耳に当たる柔らかい吐息がくすぐったく、身を震わせた。大事に大事に抱え込んだことを告げるように、声を潜めて。

「今まで知らなかったのですが」

「……なんだ」

「私って愛されたかったんですね」

 思い出しちゃいました、と呟く顔はちょっとした悪戯がバレて照れる様な笑みなのに、僕には泣き顔に見える。彼女を愛したいと強く思った。

 慰めたい。泣かないで欲しい。笑ってくれるのなら更に良い。

 衝動的にセランの頭を撫でようと持ち上げ掛けた手がセランに触れる寸前止まる。セランは今更と言っていたが、僕の方から触れるわけにはいかない。ーーーーここで慰めることもできない僕では、やはりセランの望むものは与えられないのではないか。

「あの!言って欲しいことがあるんですが!」

 ぐらりと頭が横薙ぎに殴られたように自信が揺らぐ中、セランが勢いよく身を乗り出した。鼻先同士が触れ合い、バチリと稲妻が爆ぜる感覚。慌てて後頭部をアスファルトに押し付け、距離を取る。背後が地面の為、辛うじて紙1枚分の距離が開いた。眩暈を振り払う為何度も瞬きを繰り返し、左右に頭を振るセランを見つめる。

「君……何を考え……いや……」

 一瞬、僅かな面積とは言え、触れあった(繋がった)ことでセランの考えがわかる。

 流れ込んできたセランの思考を整理する為に数秒。ぐ、っと眉間に皺が寄った。

「……不要なのにか?」

 お互いの記憶も、思考も共有した。僕の意志でだ。どさくさに紛れて、彼女に触れる為に来た。でなければ、不慣れな生身でこんな危険地帯を出歩かない。セランだってそのことはわかっているだろう。

「必要はなかったとしても、実際に口で言うことに意味と価値はあります」

 セランの手が困ったように彷徨った後、指先で僕の服の裾を摘まんだ。

 控えめで直ぐに振り解ける自己主張。照れたように頬を染めたはにかみ笑いに心臓が跳ねる。

「……私が嬉しいので」

「――」

 成程?

 返事の代わりに溜息を吐く。思わず腕の中の体を引き寄せた。頬同士が触れそうになって、慌ててセランが避ける。開いた距離を惜しみながら彼女と目を合わせた。動揺にゆらゆらと揺れる瞳が炎の揺らめきのようだ。緩みそうになる口角を引き締める。

「まず謝らなければいけないことがある」

「は、はい。なんでしょうか」

 セランを乗せたまま背筋を伸ばす。緊張でセランの身体も固まることが伝わってきた。

「勧誘の文言は盛った。知っての通り、僕は君が望むがままに、君のことを愛せない」

「はい」

 それは接触が可能かどうかの話だけでは無い。僕は人類を平等に愛している。愛する様に努めている。人が抱える腹の中身は、なんであろうと価値がある。そこに優先順位は無い。

「それでも良いと言って欲しい。僕の愛を受け取ってくれ。……取り敢えず、あんな男の下には就くな」

 最後の一言は言う気はなかった。どうせバレてはいるけれど、口に出すと彼女と別れたくないと縋る男の様だ。他人が行えば価値ある行為に思えるが、自分が、となると情けない。それでも、堪え切れなかった。

 パチパチと赤い瞳が瞬く。沈黙が気まずい。セランから視線を反らしたい。けれども、それではあまりに誠意がない。彼女の瞳を見返した。

「まぁ……丁度捨てられてしまったところですし……」

 口では弱気なことを言いながら、仄かにセランが微笑んだ。

「喜んで!」

 愛を受け取った彼女の瞳は先ほどの感電による火花とは違う、彼女の自身の炎が煌めいていた。


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