アクセル・クラッシュ・アクセル
▽▽▽▽
飛び出した先はまるで現実感のない、異世界のようだった。
というか、飛行場の滑走路みたいだった。
地平の端でヘッドライトが日光を反射している。信号の青い光が一直線に並び、視界の先まで並んでいる。壮観だな。
「うぉ、マジで誰も居ね。ここ大都会のド真ん中だぞ」
「あたし達に提案する前から右16交通規制進めてたでしょ」
《ああ。無駄にならずに済んだ》
ハンドルを切る。頭の真横を飛んできた弾丸が地面に着弾した。
「運転しててよかった。このインパクトは最前列じゃなきゃ」
「え、ずる。あたし今周り見るほど余裕な左足上げて」
「あんたジェットコースターの最前やだって言ってなかった?」
「だって落ちる先が見えるの怖いじゃん……」
《君達これをジェットコースター扱いしているのか?》
メッチャ速くて怖くて高揚する点は共通点かな。
スピーカーの向こうから咳払いの音が聞こえる。吹き替えの様に今までの音声から浮いているが、わざわざ音源作ったのかな。
《一発の間隔が速くなっている》
「狙撃手は近づかれるのを嫌がるからな。焦ってんじゃねぇの」
「でも狙い全然荒くならないね」
「そうなんだよなぁ……」
寧ろ鋭くなっている。ほらまた弾丸がヘルメットを擦った。衝撃と音がヘルメットの内側に響く。
「うぎゃっ」
「あっ、何!?」
「肩!肩掠った~!」
悲鳴と共に後部座席に勢いよく体重が掛かる。後輪が沈み込み、前輪が浮き上がって空転した。俺ではなく閃鬼が狙われたらしい。急いでしゃがみ込んだ閃鬼が俺に取り縋ってくる。そんな怖かったのか……。いや、これ不安定な姿勢が落ちそうで俺を支えにしてるのか。
車体に掛かる体重の変化にハンドルが滑る。慌ててバランスを取った。
「大丈夫かよ?怪我は?」
「ない……」
「立つのもう止めとくか?」
「や、大丈夫。イケるイケる」
弾丸が予測できるとはいえ認識できると対処できるは別問題だ。次に閃鬼が狙われた場合避けられる保証はない。こちらが狙撃手ちゃんに辿り着くのが先か。狙撃手ちゃんに撃たれるのが先か。
「後どんくらいだ?」
「10.672㎞」
「結構あんな」
「相手に移動されたらまだ伸びるかも……」
スナイパーライフルの平均最大射程距離を裕に越してんだが、どんな絡繰使ってんだか。
「楽しいね」
ぎゅ、と肩が強く握られた。恐る恐るよろよろと不格好に立ち上がりながらの呟き、いや俺に対する囁きに口角を上げる。
「――だな」
小さく呟き、体を前に倒した。
「閃鬼さぁ、やっぱ座れよ」
「え、や、大丈夫だって」
「いや、そうじゃなくて」
ハンドルの端にあるカーバーを外す。現れたの押したら爆発しそうな赤いボタン。これ見よがしにオールドイメージ通りなのは製作者の趣味だ。このバイクで一番嫌いじゃないアタッチメント。まさかこんなに速くお披露目することになるとは。
「何それ」
「あんた説明中に興味なくなってふらふらしてたもんな。これはバイクに掛けられている速度制限を外すボタンだ。これを押すと時速230㎞出るようになる」
「そ、れは生身で耐えられるものなの?」
「俺もそう思って使わないつもりだったんだけどな。ちょっとテンション上がっちゃってはしゃごうかなって。だからしっかり座って俺を壁にしろ」
「そ、れで耐えられるか?」
大分はしゃぐ気じゃん……、と戸惑いながらも恐々と閃鬼が膝を曲げる。俺の腹部に回そうとした腕が途中で止まった。
「あっ、右6」
「うぉっハイ」
「ぎゃっ」
閃鬼の焦った声にハンドルを慌てて切る。左腕を掠めた弾丸が服を切り裂き血を滲ませた。体勢を変えようとしていたタイミングでの車体の揺れに閃鬼がバランスを崩しかける。慌てて俺にしがみ付いた。
「狙いすまされてんね……」
「そうだな……」
狙撃手ちゃん、俺等が何かしそうな気配を感じて一回狙撃を止めたな……。そんで実行しようとした瞬間を狙って撃って来た。
「閃鬼、座りながらの弾道予測ってさぁ。どう?できそう」
「ん……、いや、もっと確実性が高いもので行こう。ね、手伝ってよ。良いでしょ?」
「は?そりゃ勿論……」
思わずした返事を途中で止める。これは俺に向けた言葉ではない。
俺の代わりに無機質な機械音声が応えた。
《構わない》
「オッケー!」
コワ。何をする気だ。
《した》
「――ん、オッケー。いけてるいけてる。ありがとね」
コワ……。何をしたんだ……。
「おい、俺をハブんな」
「あ、ゴメン」
俺のことを忘れ去っていた感が漂う返事に片眉を上げる。ぽんぽんと肩を叩かれて眉を下げた。
「今ね、座りかけても座っていても、立ってる時と同じくらい安定して広い視界にしてもらったの」
「……機械音声君、異在者か」
「あれ、驚かないね」
「如何にもなんかありそうだし……。にしても本当異在者多いなこの街……」
能力の詳細を聞き出したいところだけれど、そこまでの時間は無い、か。
オッケー。推測も考察も今は良い。剣らしく、使い手の指示を丸呑みして従おう。
「んじゃあ俺はどうしたら良い?」
「次の銃撃を避けた瞬間、ボタンを押して」
「Yes,sir」
良いね。シンプルだ。
足を軽く曲げた閃鬼が俺の胸に腕を巻き付けた。閃鬼が全体重をのっしりと俺に預ける。くっついた部分から細く浅く息を吸い込むのが伝わった。
瞼が上がる。
視えないけれど、閃鬼が眼を凝らす気配が、鬼眼の眼力が伝わってきた。
いつでも押せるようにボタンの上に指を乗せながら閃鬼の呼吸に、声を出す気配に集中する。覚悟を決めたように呼吸を止めた閃鬼が一気にしゃがみ込む。
「右じゅうぉぁぎゃ――……!?」
十の位を聞けば十分。
閃鬼が指示が終わるよりも速くハンドルを切った。同時にボタンを強く押し込む。
耳元のイヤホンと背後の直から二重で聞こえる悲鳴が掛かるGに徐々にか細くなっていった。腹の前で組んでいた手が外れそうになり、ギュッ、と強く組み直された。意識があるなら上等だな。
体に感じる空気の抵抗は固さどころか実態も無いけれど、確かに存在する。決して終わらないトンネルの中を走っているような息苦しさ。未だ加速中なのにもう車体が吹っ飛びかねない。滑りそうなハンドルを全体重を掛けて地面に押し付ける。
これボタン押すとMAXにしか行かないの欠陥だろ。いくつか段階付けろ。マシン自体がブッ壊れんじゃねぇかっ!?
ヒヤリと頭を掠めるが、あの技師には自分の技術に対するプライドがあった。ドライバーのテクが足りずに事故ることはあってもマシンが原因になることはないだろう。
トップスピードまで淀みのない加速。頂点まで届くその瞬間――車体が後ろから吹っ飛んだ。
「は」
「え」
《うわ》
死ぬ。
身体が浮く。視界がぐるりと回る。事態を認識するよりも速く、本能が咆哮した。
――閃架が死ぬ!
衝動に突き動かされ、空中で体勢を反転させる。硬直したままの閃架に向けて手を伸ばした。フェイスガードの向こう側、碧眼が驚きに見開かれている。その体を掬い上げ、跳躍。
踏み台にしたバイクが背後で落ちてクラッシュした音がする。次はお前の番だと言われているようで、逃げるように跳んだ。
《おい》
咎めるようでもあり、諫めるようでもある声が聞こえてくる。言われるまでもなく、狙撃手に無防備な背中を見せる危険性は俺だってわかっている。
空中で俺の体を盾として、閃鬼の上に覆い被さる。
撃たれたとしても構わない。先ほどの突き動かされる衝動は既になく、穏やかな諦めだけがあった。
ただ宝物が傷付かないように、強く強く抱き込んで前を見る。だから背後を視るラピスラズリに光が灯り、煌々と刻印が刻まれていることも気が付かなかった。
――あ、死ぬな。
死の間際の第六感か。ヘルメットごと俺の頭を撃ち抜こうと放たれた弾丸がありありとわかり、そっと息を吐く。建造物の中に閃鬼を放り投げようとした瞬間、彼女の腕が強く強く俺を掴んだ。
「なっ――!」
閃鬼の腕がヘルメット越しに俺の後頭部に回って、
「ッ!」
「――ガッ!」
痛みにか衝撃にか、閃鬼が息を飲んだ。腕の中の体がびくりと細かく震える。それを気遣うよりも速く、ガツン、と頭部に走った衝撃。突かれた鐘の中に頭を突っ込んだように脳が揺れる。
舌に歯を立て、痛みでブレる意識を強引に固定する。”狙撃手ちゃん”はプロフェッショナルだ。適当な発砲はしない。必ず当てようと撃つ前に狙いを合わせる。だからその分のタイムロスがある。
その隙にと再度強く地面を蹴った。空中で回転し、閃鬼と位置を入れ替える。俺の背中がガラスをぶち破った。
「ンギャっ」
懐の中で聞こえる呻き声に抱き絞める腕の力を強める。勢いよくガラスの散らばる地面を転がり、窓から距離を取って――バンッ、と地面を叩いた。
「我が欲へ」
上半身を叩き起こすと同時に地面を作り替える。俺達を中心に地面が隆起して、かまくらの様に包み込んだ。
「オイ、怪我っ」
「それあたしのセリフじゃない?狙われてたの風竜じゃん」
「おかげさまで俺は無傷だ」
光源が無くて真っ暗闇の中、スマホのライトを付ける。フェイスガードが邪魔でヘルメットを脱ぎ捨てた。
「や、そんな大したことじゃ……」
「弾丸貫通してんのに軽症なわけがねーだろ。いいから見せろ」
「デッ!」
怪我してんのは右腕か。あぁ、クソッ。手首に空いた貫通孔に舌を打つ。閃鬼が気まずそうに顔を背けた。落ち着く為に深く深呼吸をする。
人間の腕程度じゃライフルの貫通力は防げない。それでも人体を通って、狙撃なんて繊細なものが影響を受けないわけがない。特に数学と物理学のエキスパートの手に掛かれば、どのような影響を与えれば望む結果が得られるのかわかるだろう。
閃鬼の腕によって弾道を変えられた弾丸が、更にヘルメットの壁を沿って彼方へと滑っていったらしい。俺はヘルメットに着弾した衝撃で脳を揺らされるだけ。のうのうと無傷で済んだ。
止血の為に巻きつけた包帯の端を強く引く。怪我した時よりも治療している時の方が痛そうに閃鬼が呻き声を上げた。
「オイ顔色見たいからメット外すぞ」
「あっ、ちょっ」
グルグルと胃の腑に渦巻く吐き気を飲み込みながら、慌てる閃鬼のフルフェイスヘルメットを剥ぎ取った。焦る心を必死に押し付け閃鬼の顔を覗き込む。彼女の表情を見て、腹の中の感情全てを吐き出すように、溜息を吐いた。
後悔も、焦燥も、自己嫌悪も、全ての毒気が抜けていく。だらりと掻いた胡坐の上に頬杖を突いた。
いや、俺が悪いのは変わらない。変わらないんだけど……。
「随分と、楽しそうだな。お嬢ちゃん」
「うへへ」
申し訳なさそうな照れ笑いは流血しているにも関わらず、随分と血色の良い。自主的にちょこんと正座をした閃鬼が「だってぇ」と口元を尖らせた。
「あたしたちが2人で組んでも苦戦するような相手だよ。楽しいに決まってんじゃん」
「あんたな……」
呆れた。
最近俺の中での閃鬼の評価は“早死にしそう”から“よく今まで死んでないな”に変わりつつある。懲りることを知らず、死に掛けても朗らかで。――地獄の上に張られたロープ上でくステップを踏んでいる。この、刹那主義のアドレナリンジャンキーめ。
彼女が俺と一緒に無茶しようとするのを信頼と取るべきなのか。それとも迷惑と取って止めさせた方が良いのか。いや、本当はキッチリ説教した方が良いのはわかっているのだが。
「……ま、退屈よりは良いわな」
俺も大概破滅指向なもんで。
再度深く息を吐いて、口角を上げる。跳ねる様に閃鬼が背筋を伸ばした。
さて、それではその難敵をどうやって攻略しようか。