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アナザーズ・レコード  作者: 紙葉衣
ショーケース・ショータイム
103/105

商品の事情

◆◆◆◆

「よォ。無茶したなァ。閃架」

 降って来た声に解けていた意識が緩く撚り合う。外部刺激で微睡から覚醒しかけた体が小さく跳ねた。

「んぇ、うぁぁ」

「ヒャハッ。ねむそーだなァオイ。オラ起きろ」

「んん……」

 照明が点けられたのか、瞼の裏が紅く染まって眩しい。目元を腕で覆いながら寝返りを打つ。

 光と声から逃れる為にもぞもぞと丸めた背中が爪先で小突かれた。それもシカトしていると脇腹を踏むように無理矢理身体をひっくり返される。抗議の呻きを意に介さず、そのまま目元に置いた腕も足で蹴り退かされた。

「んえぇ……」

 陰った視界に目を開ける。目の前の壁に両手を挙げた。ホールドアップ。命乞いだ。

 シパシパと細かい瞬きを繰り返し、霞む視界の像を結ぶ。その間にゆっくりと目の前の壁が――あたしの顔面を踏み潰そうとしていた靴裏が退けられる。

 開けた視界には乾きかけた血の様な紅黒い空が広がっていた。ぼうっと呆けて眺めているとニュッと人影が割り込んでくる。垂れて来たくすんだ白髪が頬に掛かった。逆光で黒くのっぺりとした影の中、唯一光る紅色を――あたしを覗き込んでくる紅眼を見上げながら欠伸を噛み殺す。乾いた唇をぺろりと舐めた。

「……無茶はこれからするんだよ」

「ソレはテメェが?ソレとも竜騎が?」

 ヒヒッ、と歪んだ笑い声を残しながら、紅い光が視界から引いていく。光の動きを追いかけ、顔を向けた。

 人影はどっかりとソファの上に腰かけ、大股に開いた足を投げ出した。光の当たり方が変わり、影が動く。鏡映しの同じ顔。

「く、ぅう」

 仰向けのままぐう~ぅと伸びをする。緊張を解き、弛緩した体で息を吐いた。

 濡れなく固い水面の上、ごろりとうつ伏せに寝返りを打つ。組んだ腕に頭を乗せた。ぱた、と膝を折り曲げる。紅い瞳と合わせた目の輪郭を緩ませた。

「狂華ぁ」

「はァいよ」

 話し相手になってくれんの?



◆◆◆◆



 ”狂界”。

 あたしの前意識で、狂華の居場所。そして“彼女”に対する境目。うたた寝した隙に狂華に引っ張りこまれたらしい。要するに夢の中だ。

 無から取り出したクッションを抱え込み、顎を乗せる。ソファにふんぞり返る狂華を見上げながら手持無沙汰の足をうごうごと動かした。

「なぁんか、割と久々じゃない?最近前と比べて会う頻度が落ちた気がする……」

「前ッて4年前のコトだろーがよ。テメェがマジでボッチだった時だろ。ソレに比べりゃ頻度も落ちるわ。今のテメェにオレは必須じゃ無ェだろ」

「無駄な物って素敵じゃない?人生の彩りだよ」

 狂華の荒っぽい態度は焦っている様子もない。無意識の内に深々と息を吐いた。 

 吐いた後に胸を撫で下ろしたことを自覚して、目を瞬く。どうやらあたしは緊張しているらしい。仰向けに寝返りを打ち、ぱたぱたと揺らしていた足を引き寄せ抱え込んだ。

 狂華が雪崩るように頬杖を突く。体重を掛けた拍子に、アンティーク調のカウチソファが鈍く軋んだ。

「会う頻度増やそっかな」という呟きに「いらねェだろ、別に」と返ってくる。ツレないんだから。

「で?」

「ん?」

「今後のプラン。あンの?」

「いやぁ、ハハ。――無い。竜騎次第かな」

 照れ笑いしながら逸らしていた視線をぴったりと狂華に合わせる。組んでいた手を開いた。

 顎を上げ、あたしに圧を掛けていた狂華の頭が、ぐら、と不安定に傾く。

「テ、メッ」

 天を仰いだ狂華から絞り出された、棘の含んだ声にぺろっと小さく舌を出す。肺腑全ての空気を吐き出した狂華が、顔の向きは上のままに、視線だけであたしを見下ろした。

「テメェの身を差し出すこともそうだがよォ。アノ状態の竜騎に自分の命預けンのもバカだろ。フツー。もう死ンでンじゃねェの。アイツ」

「ん。狂鬼ともあろうものが“普通”だなんて。随分とつまらない(浪漫チックじゃない)こと言うじゃん」

 返って来たのは濁点が付く程に鋭い舌打ちだった。

 なんだ。随分と機嫌が悪いな。正直意外だ。なんなら面白がってさえいるかと思ったのに。

「なぁに。どしたの」

 カクッ、と首が落ちた様な動きで狂華の顔があたしを向く。深く刻まれた眉間の皺。人格のせいで、あたしよりも鋭い瞳に睨まれた。

「オレがどうかしたワケじゃねェ。テメェがどうにかなッちまうンじゃねェかッつー話だろ」

「”どうにか”ならもうなってるけど」

 じゃなきゃそもそも狂華が生まれない。でしょ?

 片眉を跳ね上げた狂華があたしに向かって身を乗り出す。近づいた瞳に心配の色がが見えた気がした。

 信じられなくて掌で左眼を覆う。鬼眼励起の為のルーティン。観測能力は上がっても、計測できた数値がどのような心情に因る反応なのかはわからないんだけれど。

「他人に自分の人生を好き勝手されンのはもうイイのかと、十分なのかと思ッてた」

「そりゃまぁそうだけど……。――あ!?待って!あたしが死ぬってことは狂華も、ってことだもんね!?うわやば、そこまで頭回って無かった。ゴメン!」

「ソコじゃねェよッ!」

 慌てるあたしに狂華が声を張り上げた。同時に肘掛をぶん殴る。轟音と共に肘掛に大きく罅が入った。殴られた側が沈み込む。

「うわっ、えっ、な、何っ!」

 ゴロゴロしていた体をバネ仕掛けの様に跳ね起こす。理解できない激昂にキョドリながら距離を取った。

 傾き、半壊したカウチソファの上に狂華は座ったままだ。座る、というか、辛うじて腰かけている形だが。それもう立った方が楽じゃない?

 狂華が小刻みに膝を揺らす。3Hz。水面に漣が立ち、あたしの爪先にぶつかって形を崩す。

 紅い瞳がこちらを睨む。――あたしに狂気感染が効いたらもんどり打って発狂してたな。

「嫌いだろ。だッて。こういうの」

「……狂華って優しいよね」

「あ゛ぁ?」

 強張っていた肩が落ちる。ぽろっと零れた本音に狂華がキレた。力任せに床を踏みしめ立ち上がり、あたしの胸倉を掴んで引き寄せた。踵が浮く。うわうわうわうわ。

「テッメッ、真面目に受けとらねェでヘラヘラと……」

「わっ、待っ、ゴメンって。悪い意味じゃないよ。怒んないで。や、だって。あたしのことを心配しくれてるってことでしょ」

 胸倉を掴む腕をぺちぺちとタップする。同じ腕なのに、何処からこんな力が出るのか。気道が狭まる。喘ぐように息を吸った。

 ビシビシと刺さる視線を感じながら顔を背け、唇を尖らせた。

「だって嬉しくなっちゃうじゃん」

 身体的にはどんなに大怪我しようが面白がるくせに、精神的な傷は――あたしを本当に傷付けるものからは守ってくれる。まったく、竜騎といい、あたしの周りは良い奴ばかりだ。

「ソリャ、オレは閃架による、閃架の為の、閃架の人格だからな。都合も良いだろ」

「すーぐ嫌な言い方する」

 い゛、と歯を剥いた威嚇は鼻先で一笑された。それでも踵が床に付く。

「良いんだって。いや、勿論、もう二度と実家みたいな目には会いたくない。――会うくらいなら、死んだ方がマシと思ってるけどさ」

 再度腕をタップすれば掴まれていた胸倉が放された。楽になった呼吸で大きく息を吸う。

 険しい顔の狂華を真正面から見据え、口角を上げた。

「あたしが選んだことなんだから。快不快も、好き嫌いも行動理由としては大事にしてる。だけどそれよりもあたしは――」

 言い切るよりも速く、狂華がツ、と視線を上げた。次いで世界がぐらりと揺れる。いや、違う。ここはあたしの精神世界だ。地震はない。揺れているのはあたしの頭だ。

「えっ、え、何々なに!」

「あー、“夢”だからな。オイ閃架」

「えっ!?――ウッ」

 慌てるあたしの真ん中に狂華の足裏が減り込んだ。曲げていた膝関節が伸ばされる。ヤクザキック。反動であたしの身体が突き飛ばされる。よろめいた身体を支え切れず、背後に向かって倒れ込んだ。その先には何時の間にか出現していた全身鏡。


『客だ』


 フィルターを通したように歪んだ一言を最後に、鏡の中に吸い込まれた。

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