第五話 彼らの対処法(1)
「警察にはオレが連絡するよ、文化荘直属の“警部”がいるんだ」
「じゃ、救急車は私が呼ぶね!」
彼らがそうして電話を掛けにそれぞれの自室へと戻った隙に、少し落ち着きを取り戻したボクは急いでさっき撒き散らしてしまったピザの切れ端を拾い集めた。半分近く溢れてしまっている。捨て場所に困った挙句、仕方なくそれらを元のピザの箱に戻した。中にはまだ数切れ無事なピザが残っていたが、この状況だ。もはや誰にも食べられる事はないだろう。
次に手拭い用のウェットティッシュを使って絨毯を丁寧に拭った。トッピングのチーズやケチャップは乾いてしまったら絨毯の毛に絡みついて掃除が大変だし、なにより弁償なんて事になったらボクには到底払い切れないだろうと内心ヒヤヒヤしていた。大体目に見える汚れを取り終えると、ウェットティッシュを更に何枚か使って絨毯を叩く。ケチャップの色が移らなくなったのを確認してやっと人心地が付く。
思ったよりゴミが増えてしまった、ポケットからさっき畳んだビニール袋を広げてゴミ袋として利用した。先にピザの箱を入れて底を広げ、その上に丸まったウェットティッシュを放り込む……
そうこうしていると、救急車への連絡を済ませたらしく女の子が帰ってきた。
「ゴミだったら部屋のドア横に置いといて良いよ。清掃業者の人が纏めて回収してくれるから」
「あ、そうなんですね。分かりました……まるでホテルみたいですね」
「私も最初思った!実際、料理も用意して貰えるし一流の高級ホテルとほとんど変わんないの、本当に快適なんだよ」
そう笑って見せる彼女の台詞に嫌味は感じられなかった。それが彼女の純粋な感想だからか、或いはボクにとって別世界の話過ぎて嫉妬心すら湧かなかったか。そんな事を考えていると、女の子がボクの顔をジッと覗き込んできた。先程の情けない思考が読まれるようで、気まずくなって思わず尋ねる。
「な、なんですか?」
「ヘルメット取って」
「あ、はい……」
言われるがままにヘルメットを脱ぐと、彼女の顔はパッと明るくなった。
「配達員さんってさ、〇〇大学の出身でしょ!」
「え?そうですけど……なんで分かるんですか?」
「やっぱり!ほら私、同期の」
「あ!え?もしかして……」
驚いた。彼女に言われてやっと思い出す、確かに彼女の顔には朧げながら見覚えがあった。かつての大学同期……そればかりか二年の頃に何度か話した事がある。
「思い出してくれた?久し振りだね~!こんなとこで再会するなんて、嬉しい偶然!」
「髪の色も髪型も変わってたから全然気が付かなかった!凄いね、その歳で文化荘に住んでるなんて。コンクールで入賞とかしてたもんね、波の華……だったっけ?あの受賞作、凄い綺麗な写真だったからよく覚えてるよ」
「見てくれてたんだ!ありがと。ココに来れたのは運が良かったんだよ。私、地方から出てきてたからさ。学生の頃……ってか今もだけど、お金無くて必死だったんだ。だから写真関連の仕事だったらなんでもやってて、お陰でここに住んでる料理家さんが出す料理本の撮影の仕事貰えてさ、その人のツテで紹介して貰えたの。卒業するちょっと前に引っ越したんだよ」
「なるほど……やっぱ凄いや」
「君は?創作活動とか順調?卒業制作の作品、私かなり好きだったよ」
「ありがとう……一応細々と続けてはいるけどお金にはなってなくて、アルバイトで生活費稼ぐのが精一杯。見ての通りフリーター」
「懐かしいなぁ、二年生の頃だっけ?初めて話しかけたの憶えてる?」
勿論……そう返すボクの脳裏には直前まですっかり忘れていた記憶が一部、鮮明に蘇ってきた。あれは確か講義までの休み時間、教室で推理小説を読み耽っていた時のことだ。
「あ、『反作用のレシピ』だ!面白いよねぇ、本来即効性の毒を重ね掛けで遅効性にしてアリバイ作るなんて」
「えっと、ごめん。ボクまだそこまで読んでないや……」
「えっ⁉︎やだうそ、ごめんなさい!」
「あっ、大丈夫!一応、着想元の事件は知ってるからなんとなくトリックは読めてたし」
「何それ逆に私そっち知らないかも、この本って元ネタあったんだ!」
当時、芸術というボンヤリとした枠で大学に集まった同級生達は趣味嗜好がバラバラでなかなかソリが合わず、上手くグループを作り損ねたボクは大学構内でも一人で過ごすことが多かった。そんな中、推理小説について深く語り合える人の存在は貴重で、そう感じたのは彼女も同じらしかった。それから何度か授業や休み時間、顔を合わせる度にボクらは推理小説の話題で盛り上がったのだ。
幼い頃から本を読み漁っていて一応マニアの自覚があったボクだが、彼女も有名どころからマイナー作品まで、負けず劣らずかなり広い範囲の推理小説を読んでおり、互角に話せる良い話し相手となった。
だが彼女は常に授業でも高い評価を受ける優秀な学生であり、同級生とはいえ凡夫のボクにとっては少し遠い存在でもあった。程なくして割と大きな写真コンクールで彼女が大賞を受賞したのをキッカケに、当時のボクは勝手に負い目を感じて彼女と関わるのを避け始め、三年の頃にはすっかり疎遠になってしまったのだ。
「推理小説の種明かしなんて、生まれて初めてされたからね」
「あの時はホントごめんね!知ってるタイトルだったから、つい……」
彼女とボクの差はどこで生まれたんだろう。そんなナーバスな思いが、ふと頭を擡げ始めた頃、さっきの男性が戻ってきた。
「連絡したよ、一先ず救急車が来てくれる。あと負傷者は下手に動かさないようにってさ……なんだ、君達知り合いなのかい?」
「へへ!大学同期~」
「初めまして、〇〇大学○期生の配達員です」
「こちらこそ初めまして、音楽家といいます。ところで倒れてる彼……脚本家は誰かに殴られたのかい?」
「どうでしょう。今のところは、何かで頭を打ったってことくらいしか……」
「もし殴った誰か居るとしたら、きっとリビングだよね!確かめようよ」
頭部の怪我ということもあって横たわる脚本家を碌に介抱することもできないボク達は、写真家の提案により三人で一〇六号室の中をあらためることにした。
二人によれば、屋敷の部屋の間取りは大体が共通で、玄関から幅約一メートル、長さ約三メートルの廊下がリビングに向かって伸びており、リビングの広さは約四・五平米であるという。そしてお風呂場やトイレのあるサニタリースペースが屋敷東側の一〇二、一〇四、一〇六、一〇八号室には廊下から入って右手に、屋敷西側の一〇一、一〇三、一〇五、一〇七号室には左手にそれぞれ存在している。
つまり大廊下を軸に向かい合わせの部屋が、鏡写しのような設計になっているのだ。そして全ての部屋において、大廊下に面するドア以外の出入り口はないらしい。一応リビングには最奥の壁に窓が二つ開いているものの、総て外からの侵入を防ぐ為の鉄格子で塞がれているので出入りは不可能だという。よって脚本家が誰かに殴られたとすれば、現時点で未だ一〇六号室の部屋のどこかに潜んでいるはずなのであった。
「武器とか用意しないと不味くないですか?」
「大丈夫大丈夫!人数で有利だし」
「下手に相手を刺激しないためにも手ぶらが一番さ」
「そういうもんですかね……」
事件には慣れっこだと豪語する二人に唆され、血溜まりを避けて脚本家さんを踏まないように気を付けて廊下を奥へと進む。倒れた椅子を乗り越えてリビングに入ると、中に人の気配はなかった。
「誰も……いない?」