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第四十三話 真相(2)

 手紙の内容は以下の通りである。


『誰かの大切な人になるというのはどれほど大変な事か、ボクらはよく分かっているね。それは自分が誰かを大切に想うことよりも遥かに難しく、とても尊い事なんだ。真に想い合える仲なんて、この世の中にそう多くはない。一般的なペアの殆どが、表面上の利害関係の一致を愛と履き違えているとさえ思うよ。ただ奴らは自身の愛し合ってる状態に惚けているから、真実の愛を求めるボクみたいな輩の事をバカにするんだ……そう、ボクは自分が愛されなくても、大切にしたいと思える人を見つけてしまった。前にボクを好きだと言ってくる料理家の話はしたよね。彼をぞんざいに扱ってしまうのも彼女が理由なんだ。あんなに愛される事を求めていたはずなのに……自分の気持ちと比較すると、どうしてもさっき書いた様な、低俗な好意にしか感じられない。それがどれほど純粋だとしてもね。こうなるともう、自己満足の域だよ。でも世界は結局のところ、自分の主観でしか観測し得ない。純粋さで比較するなら彼の想いは……そうだな、子供らしい純粋さだと思う。自惚れかも知れないがボクの想いはもう少し達観してるから、これも釣り合わないね。確認する勇気はないけど、ボクは彼女がただ共に過ごさせてくれることを愛だと思い込めるくらいには彼女の虜になっているし、実際それで良いんだ。ボクは何も求めない。ただ彼女の存在がどれ程のものか、それをボクに与えられた才能の全力でもって表現できれば満足だったんだ……しかし彼女はズルいよ。今回わざわざこうして赤裸々に自分の想いを書いたのは、彼女の存在に不穏な要素を感じたからだ。どうやら彼女は、周りの誰からも大切な人として扱われているようなんだ。思案した結果、きっとそういう才能なんだろうと結論が出た。他人から大切にされる、愛される才能……ボクらが捨てられたのは運が悪いんだと思ってたけど、多分違う。他人と比べても明らかに優秀なボクらだけど、きっとその才能だけが足りなかったんだ。彼女は、会う人全てを魅了する。そして皆んな、彼女を大切にしたくなる。そう考えたら、ボクはもしかすると一種の被害者なのかも知れない。怖いんだ。この数年、崇高なつもりでいたボクのこの気持ちが、ただ彼女の才能に影響されただけと思うと……でもその疑念を持ってしても、彼女を描くことを止められない。万が一、彼女に認めて貰えたら。万人からの愛情を受けながらそれら全てを受け流し、誰にも自らの愛情を与えることのなかった彼女から、真に想って貰えたなら。もうギャンブルと変わらないよ。これだけ注ぎ込んでしまったらもう、引き返せないんだ……』


 読み終わった時に浮かんだ言葉は、徒労。そして微かな……思春期特有の感情。言葉選び等から、確かに知性や精神年齢の高さを感じさせる文章ではあった。しかし逆に、他人と自分を比較したり気持ちの矛先を迷っている様子からは、まるで中学生のする片想いの様な、何処か未熟な印象を受けた。

「姉さんは文化荘に住み始める前から、モデルさんを描く事をライフワークにするって決めてたみたい。他のモチーフに全く魅力を感じなくなったって。一種の洗脳だよね。ずっと苦しかったみたいだよ、再現不可能な美を前にしながらの生活。毎日毎日、自らの表現力の限界に挑み続けて……天国と地獄って感じ?」

 写真家は戯ける様に笑ってみせた。ボクは必死に理解しようとするが、どうしても頭が追い付かない。彼女の語る内容は、確かに表現者にとってはごくごく身近な苦悩である。ただ今まで、そこまで思い詰めた経験が無いからか、自分の感覚とは乖離していて、どうしても結び付かない。そしてモデルの静かな呟きは更にボクを悩ませた。

「甘いわね……なまじ頭が良かった為に精神は早熟だったらしいけれど、そこから伸びなかったのかしら。誰にも愛を与えなかったですって?アタシが一番愛を注ぐ必要があったのは自分の才能よ。だからこそ愛された。その上で他の誰にも平等に接したわ……」

 マズい。相手を刺激する内容だ。もし怒らせて暴走したら……と考え一瞬ヒヤリとしたが、写真家から特に反応は無かった。モデルにしては珍しいボソボソとした呟き声は、対面にいる写真家の耳にまでは届かなかったらしい。一安心して声を掛ける。

「あの……モデルさん?」

「あら、失礼!あのコにそんな情熱的な一面があったなんて……アタシ、感動で泣いてしまいそうになるわ。彼女は芸術家としてのプライドに追い詰められた末に、自殺を選んでしまったのかしら?」

「いやいや、姉さんは流石にそこまで根性無しじゃないよ。ただ、ある一つの答えに取り憑かれちゃったんだ」

「答え?」

「『手繰り糸』の舞台があったでしょ?あの舞台の結末……憶えてる?クライマックスでモデルさんが、登場人物全員から愛の言葉を囁かれて求愛された時の返事」

「えぇ、勿論。――まずはっきりと言っておきます。アタシは誰の物にもなりません。皆さんの振る舞いを見れば、アタシの美しさがどうあっても皆さんの愛情を誘う事は疑いようの無い事実。それは謹んで認めましょう。しかし愛されたからといって、愛し返さなくてはならないなんて理屈はないわ。アタシは望んでこの美貌を持ったわけではなく、天から与えられただけに過ぎない。アタシは自由を愛していますの。ですから皆さん、どうかアタシに愛されようとしないでください。アタシはこの美しさを纏ってただ生きているだけで、誰かを誘惑したいわけではありません。仮にアタシのこの言葉で生きる希望を喪うという方がいらっしゃるのでしたら、それはアタシのせいではなく、その人自身の執着によるものだということを、しっかりと理解していただきたいわ――」

 舞台の台詞。そう理解して聴いていても、彼女の謳うマルセーラ*じみたその台詞は、彼女の生きた言葉としてボクの脳内に響いた。圧倒的な迫力。一方で写真家は、モデルの言葉が終わると余韻すら感じさせず静かに切り返した。

「そう、その台詞なんだよ。姉さんが死んだ原因は」

「何よ。どういうこと?」

 モデルは興を削がれたように食い下がる。

「姉さんは舞台でその台詞を耳にして、自分の行為があんたへの執着に過ぎないと気付いたんだ。そればかりか、何年もモデルさんを描き続けているうち、いつの間にかモデルさん自身の美しさを表現することを諦めている自分にも気がついた。姉さんはね、ずっとあんたのデスマスクを描き続けていたんだよ。そうして自分が作品を描く度、自分の中であんたを殺している事を自覚した。そしてその事実を、執着という言葉に結び付けたんだ。つまり自分がライフワークと信じていたものは、モデルさんを殺して自分のモノにしたいという独占欲の、代替行為に過ぎないと結論付けた」

 椅子に深く腰掛けてゆっくりと話す写真家の姿は、さながら犯人を前に事件の推理を語る探偵のようだ。ボクはもはや、ただ彼女の話を聞いていることしか出来なかった。常人に理解出来るはずがない。提示された画家の思考は極めて論理的な構築を見せながらも、明らかに展開は破綻している様に思えた。

「彼女は料理家に貰った大量の毒物の事を考えた。純粋な趣味、ただのコレクション。それを使えばモデルさんを確実に殺す事が出来る……この屋敷で起きる事件はほとんど自分の手で解決してきた。信頼もある。料理家は言いなり。ミスで毒物の付着した食器を使ってしまったと、事故に見せ掛ければ……彼は全てを察して、身を挺して庇ってくれるに違いない……」

 モデルさんがごくりと唾を飲む音が聞こえた。

「完璧な計画だよね、流石は探偵って感じ!けど姉さんは、心底モデルさんの事を愛してたんだ。揺れに揺れて、結局どうにも自分を抑えられなくなって。このままじゃダメだ、なんとかして止めなきゃって考えて……けど、モデルさんを美しいまま保存したい。それが自分の人生の目標だから。そうして悩み抜いて、結局は自分の時間を永遠に止める事にしたんだよ」

 淡々と話し続けていた写真家はそこまで語るとやっと、話すのをやめた。


《注釈》

マルセーラ――セルバンデス著『ドン・キホーテ』に登場する羊飼いの娘。類い稀なる美貌の持ち主で、作中で彼女に恋をした男性達は皆、彼女のつれなさからその想いを遂げられずに最後は自殺してしまう為に男殺しの娘と呼ばれた。マルセーラは自らの美しさを望んだものではないと語っており、生来から自由と自然を愛するが故に人気のない野山で暮らし、誰から口説かれようとも一度も振り向いた事が無かった。

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