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第三十八話 動機(1)

 “文化荘の殺人鬼”として世間を賑わせた料理家は、裁判の準備中で未だ拘置所にいた為に知人として面会を申し込む事ができた。


「面会時間は30分です」

 担当の職員の説明が終わり、刑事ドラマでお馴染みの透明な壁を挟んで料理家と対面する。あの日より痩けた印象。無理もないか……言葉を選び選び、会話を始める。

「面会に応じて下さってありがとうございます」

「いいよ。下手な記者の取材よりマシさ。小説にするんだって?何が聞きたいんだ?俳優殺しのトリックは新米警官にも細かく説明したぜ」

「えぇ。それに関しては彼から色々教えて貰いました。でも細かい点が納得出来なくて……まず、お聞きしたいのは脚本家さんの殺害に関してです。病室に忍び込んで毒物を注射したとありますが、打ち込んだ部位がくるぶしというのが疑問なんです。人目につかない様に犯行を行うなら、普通は点滴のチューブや首筋に打ち込むのでは?なぜわざわざ布団を捲って、足に注射しようと考えたんですか?」

「あぁ、それか……普通ってのは良く分かんねぇな。ただ昔見たサスペンスドラマで、くるぶしの注射痕は見つけ難くなるって事を聞いた覚えがあって、バレにくくしようと思ってそこに打ったんだ」

「なるほど……ありがとうございます。殺害の手口に関しての疑問はそれだけです。実際に起きた出来事の時系列もだいぶ纏まりました。ただどうしても、動機だけ……ボクの理解が浅いだけかも知れませんが、音楽家さんの最後の質問の答えも聞けてないから、具体的な核心が曖昧なので、しっかりと自分の中に落とし込みたいんです。改めてお聞きします。貴方が画家さんの死を、あの舞台に紐付けた根拠はなんだったんですか?」

「それは……どう答えるのが正解かな。遺書を読んだ、とでも言えば具体的な根拠になるのか」

「えっ!遺書があったんですか?」

「いや、例えばの話さ……遺書はないよ。すまないね、ここに来てから碌な物を食べてないから、うまく頭が働かなくてな。具体的……ねぇ。何から話そう。君は、誰かを好きになった事はあるかい?」

「は?」

 突飛な質問に思わず声が漏れる。料理家はボクのリアクションに構わず言葉を続けた。

「あの事件を起こした理由を物証とか、そういったものからアプローチしようとしてるならお門違いだ。だが明確な動機はあった。君が書くって言うからには、こっちとしても知っておいて貰いたいから話すんだが、万人に理解されるとは思えない。それでも良いのか?」

 料理家に見つめられ、ボクは静かに頷いた。例え理解の範疇を超えていたとしても、彼自身にとっての真実を知っておきたかった。

「どこから話すべきか……まず文化荘に住む事が決まったのは、モデルが管理人になるかどうかってタイミングだった。その頃の文化荘にはもっと、色んな面子が居たんだよ。今じゃ海外で大人気のストリートアーティストやら、占い師なんかも居たっけか……前の管理人の時までは、文化荘はその名の通り文化活動の保護と発展に大いに貢献していた。住人は気儘に自らの才能を発揮し、世界へ羽ばたいて行ったんだ。しかしモデルが管理人になってから、その実態は変わってしまった」

「変わったというと、どういう事でしょうか」

「住人が皆、彼女に熱を上げてしまったんだな。自由な表現の場であったはずが、モデルの評価を気にする様になった。彼女はあの館でまさに女王となったんだ。まぁ、言い方はキツいかもしれん。誰でも評価されたいと思う気持ちはあるだろうし、そういう象徴的な誰かを中心に愛憎渦巻く人間関係の中で切磋琢磨した方が、より文化的な……本来の芸術の気質には合ってるとも言える。彼女が文化荘に住んでから、彼らの作品は世間からますます評価されていた事も確かだ。俳優も脚本家も、全員が彼女に認めて貰いたいが故に切磋琢磨してたんだ」

「なんとなく……分かります。モデルさんの魅力。外見や振る舞いの美しさは勿論ですが、母性とでも言うのか、本能的に抗えない承認欲求のような……」

「流石、言語化するのが上手いな。本当にそうなんだよ、モデルの才能……俺様も彼女に魅了されていたうちの一人さ。彼女が海外旅行で屋敷を離れた時なんか、いつ帰って来るかと寂しがったもんさ」

 料理家は穏やかな目で語る。故郷の母親を思い出すような、温かい眼差しだ。

「帰国した彼女は、新しく文化荘の住人を連れて来た。それが画家だった。そして彼女との出会いが俺様の運命を変えたんだ。初めて画家に会った時の衝撃と言ったら、それこそ稲妻に撃たれたとでも言うのかな。彼女の漂わせる雰囲気、匂い……忘れられない。今でもこの鼻腔に残ってる」

 彼は今度はうっとりと、目を潤ませる。ボクは気付いた。彼の恋人。最愛の人。あの事件の日、円卓で音楽家に画家との関係を茶化されていた時、その反応はおちゃらけていてナンパな印象だった。しかし今、目の前で彼の語る言葉から伝わってきたのは純粋な想いである。紛れもなく画家こそが、彼の最も愛した人物だったのだ。

「驚いたのはな、彼女に逢うまで俺様はモデルへの感情がそういう、純粋な愛情によるものだと信じていたんだ。勿論、それまでの人生で適当な色恋はしてきた。だが俺様が人生でどんな時でも一番念頭に置いてたのは料理への情熱だった。だから普通の恋愛は二の次だったんだ。そしてモデルと出逢ってからは、人生を注ぎ込んだ料理の才能を振るって、彼女に喜んで貰えることが幸せに変わった。この人の為にもっと美味しい料理を……そんな風に、彼女に食べて貰える事が生き甲斐だと思い込んでたんだが、画家と対面した瞬間にそれが全部まやかしだったと悟ったのさ」

「なかなかに強烈な変化ですね。一般化するなら、新しく恋に落ちた事で直前まで好きだった人への興味が薄れたとか……そんな解釈でしょうか?」

「まぁ、そう受け取られるよな。客観的に見ても相違無い。悔しいがね。モデルの魅了は万人に通ずる、それはそれは強力なもんだ……しかし彼女のあの魅力的な振る舞いは全て、他者に向けられたものじゃないんだ。皆それに気付かずに好意を持ってしまう。彼女の愛を受けて、自分こそ選ばれたんだ、と思い込んでしまうのさ。だから誰もがそれに応えようとモデルに愛を注ぐ。確かに互いに愛し合えば成り立つのが恋愛さ。けれど、彼女が他人に振り撒く愛情は種類が違うんだ。そして俺様はモデルの魅惑を超え、画家の何かと通じ合った事でそれに気付けたんだ」

 彼の語りは益々熱を帯びた。この恋愛哲学が、一体どう事件と結び付くのだろう?

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