第二十三話 黒幕の可能性(2)
「えぇと、今回の事件のキッカケが画家さんの死に端を発するものだとしたら、彼女に関わりのある人物であれば、直接文化荘と関係がなくても黒幕になる可能性が想定できます。少なくとも画家さんの御家族には、彼女が文化荘で自殺した事が報されているでしょうし……」
「つまり画家の親族が黒幕ってことか!」
「それは無いな、画家は孤児なんだ」
料理家に対して鋭く反論を挟んだのは警部である。
「あ、そうなの?じゃあ親族の線は無しだな……どんまい、配達員さん」
「それはあくまで例えばの話です!ボクが言いたいのは、文化荘の関係者にしか考えられないと思われていた住人の才能を加味した一連の計画も、脚本家さんの台本があれば部外者にだって再現が可能だという事なんです。その観点から考えると現時点で必ずしも、黒幕がこの場に居る必要はないと言えます」
「なんでそんなこと分かるんだ?」
「まず俳優さんの部屋から見つかったこの台本ですが、俳優さんが死亡した段階で彼の部屋が捜査され、台本が発見される事は黒幕にも十分予測できるはずです。台本がそのまま部屋に残されているのが計画の内ならば、黒幕は我々に事件が舞台の再現であると把握させて、設定された様々な謎が台本から看破する様に仕向けている。きっと殺害方法を把握しただけでは犯人の特定に繋がらないようになっているんだと思います。つまり二つの事件には犯人のアリバイを成立させるタイプのトリックが使われている……よって黒幕は、事件の発生前に必要な準備を終えて、それ以降は自由に動いている筈なんですよ」
「なるほどな!それならわざわざ事件現場に居座って、容疑者になる危険は犯す必要ないよな……納得したよ」
「この台本自体がミスリードだった場合はどう考える?」
話を聞き終えた警部は、またもや鋭い質問を投げ掛ける。
「黒幕が何かしらの方法で脚本家の台本を手に入れ、それを基にして今回の犯行が計画された……そこまでは良しとしよう。だが俺達が読んでいるこの台本と、脚本家の書いた台本が同じだって保証はねぇだろう?この台本は黒幕が俺達に読ませる為に用意して、自分に都合の悪い箇所だけ書き換えた偽物だって可能性も十二分にあるぜ」
「台本がブラフの可能性も勿論考えました。そしてそれこそボクが、黒幕が今この場に居る必要が無いという結論に至った理由なんです」
「ほう、説明して貰おうか」
「まず台本の書き換えに関してですが、さっき皆で読み合わせたところ、舞台に登場する人物……ここに居る人達の挙動に関しては全員が完全に描写通りの台詞、行動を取っていた事が確認できました。つまり文章内容の精度が、この台本が脚本家さんによって書かれたものであると証明しています。具体的には俳優さんが死んでから、料理家さんの用意した料理を食べる所までが一致していて、台本では終盤で脚本家さんの無事が知らされた結果、快気祝いの料理が用意され、その後、脚本家さんの一人語りで終幕という流れですが、そこの差は無視して良いでしょう。もし仮にボクらの中に黒幕が居て、現在進行形で自分の犯行を把握されない為に台本を書き換えるとしたら、黒幕の言動だけでなくこの場にいる他の全員との掛け合いの整合性と予測の精度を保ったまま、台本を編集する必要がありますよね。そんなことが出来るのは脚本家さん以外に居ないでしょう」
「なるほどね。誰か一人に都合良く編集しようとしたら、その分だけ台本と現実の進行にも歪みが出てしまうってことね」
「その通りです。そして何より重要なのは、台本を下地とした場合、この事件は舞台が始まる前に完結しているという事です」
「どういうこと?」
「俳優さんの事件です。実際に体験していたボクらには脚本家さんの事件が発覚してから順にイベントが進行した様に感じられますが、黒幕からすればボクらの行動は総て台本に沿ってシナリオが進んだ結果に過ぎない。そして同じく俳優さんの自殺も、脚本家さんの騒動が発覚した時点で確定していた事だったんです。逆に言えば、俳優さんの死は彼自身のシナリオ進行に依るもので、ボクらの行動が何ら干渉し得ないものだったと言えます。つまりこの事件は、誰も俳優さんの取る行動に対しては能動的に働き掛ける事が出来ないようになっていたんです。黒幕でさえも……そう考えるといよいよ、黒幕側には現場に残るメリットがない。舞台の幕が上がりさえすれば全て計画通りに進む事件なら、容疑者として存在を示唆する必要すら無いですから」
「確かに筋は通ってるが……お前さんの説明は黒幕が外部犯である可能性を示しただけで、真犯人が現場に残っている可能性を否定するもんじゃないな。それに俳優の書き置きはどう説明するんだ?モデルさんも標的だと書かれているぜ。台本と違うだろ」
「そこがポイントなんです。そもそも俳優さんの言う黒幕とは、台本に沿えば存在しない架空の存在だったはずです。しかし唯一隠されていた書き置きに書かれた黒幕は、明らかに台本を越えた実在の犯人の存在を示唆しているように思えます。台本の俳優さんにそんな書き置きを残す描写はありませんから……そしてそこから考えられる可能性は二つ。一つは今日起こった一連の事件が本当にただのリハーサルだったのでは?というものです。黒幕が実在すると想定した場合、殺意の有無があやふやである事から思い至ったのですが、脚本家さんが不慮の事故で亡くなった結果、俳優さんも責任を感じて自殺した。彼が脚本家さんの死をきっかけに黒幕が実在しているという妄想に取り憑かれ、その妄想の推論っから、黒幕の動機を画家さんの自殺へと結び付けたとしたら、モデルさんの危険を案じたメモを黒幕にバレない様に隠して残す事は辻褄が合っています。この場合、ボクらはただ俳優さんの妄想の産物に怯えているだけになります。この事件にそもそも黒幕など居なかった。どうですか?」
「可能性の一つとしては、それも有り得るかも知れんな。本当にそうだとしたらどれだけ気が楽か……」
「案外、合ってるかもしれないぜ?今回の事件、黒幕とやらが二人を殺す意思が曖昧だってのは俺様も感じてたんだよ」
「ちょっと待って欲しいっす。その筋書きだと俳優さんの心境としては、黒幕の狙いを出来るだけ早くモデルさんに伝えたい筈っすよね?自分で言うのもアレっすけど、自分が隠されてた書き置きを見つけられたのは本当に偶然っすよ!すぐ見つけて貰う為にはもっと目のつく場所に置くのが自然だと思うんすけど……」
「えぇ、その通りです。それについて考えた結果がもう一つの方で、そっちは黒幕が強い殺意を抱いてこの場に居る事を肯定してしまう筋書きなのであまり想像したくないんですが……台本が黒幕によって改変されている可能性です。本当の台本には元々、俳優さんがモデルさんを守ろうと書き置きをする描写があったのかも知れません。そして黒幕は脚本家さんと俳優さんの事件を隠れ蓑にモデルさんにも危害を加えようとしていて、それを悟られない為に現場に残る台本から唯一、モデルさんに関しての記述だけを消し去ったのではないかと」
「ちょい待ち!さっきお前、台本の編集は出来ないって言ってなかったか?」
「オレ達との掛け合いの場面ではって意味だろう?俳優の実際の行動はオレらには確認のしようがないからねぇ。彼の一人芝居に関しての描写を改変されたら誰も分からないよ」
「あぁ!そういう事か」
「そうなんですよ、僕達が台本の整合性に関して信頼出来るのは、部屋の外の描写だけなんです」
「でもなんでそれだと、黒幕が強い殺意を持ってる事になるんだ?」
「先程も言いましたが、黒幕がモデルさんに関しての記述を隠したとすれば、モデルさんに危険の及ぶ可能性を悟られない様にする為だと考えられます。その場合、今回の事件の真のターゲットはモデルさんである可能性が高いんです」
「えっと……どういう事?」
「前の二人には確実に殺そうとする計画性が見られませんでした。そこからボクらは犯人には明確な殺意が無いと判断しましたが、それこそが目的だったとしたら。黒幕はこの中に居て、一連の騒動がイタズラに過ぎないと皆が油断したタイミングで確実にモデルさんだけを殺そうとしていたのではないかと思うんです」
「なるほどな!確かにそれなら、俳優の書き置きが本当に見つけ難い場所にあったって新米警官くんの疑問にも納得行くぜ。元々見つけさせようとしてなかったんだろ」
「じゃあさ、この書き置きが見つけられたのは本当に黒幕の計算外だったって事だよね?新米警官さん凄いじゃん!大手柄だよ」
「い、いやぁ……それ程でも無いっすよ。それよりその話だと本当にモデルさんが危ないじゃ無いっすか。自分、全力で警護に当たらせていただきます!」
写真家に褒められて照れ笑いを隠せない新米警官であったが、賞賛を受け止めつつ、まだ終わっていない事件に向けて気の緩みを引き締めようと必死だ。
「これはボクの想像なんですが、黒幕がモデルさんの殺害を計画しているとしたら、応援の警察の到着までにモデルさんを殺そうとしているのではないでしょうか?しかし書き置きが見つかってしまい、皆が一塊になっている今の状況では刺し違えようとしても難しい。前の二件でこれだけ周到な準備をして慎重に正体を隠している黒幕が、最後の最後で不確実かつ捕まるような危険を冒すとも思えません。今回は期を逃したと考えて、息を潜めるのが黒幕のスタイルに合っている様な気がするんです。万が一、これまでの二人に対しての慎重さが、モデルさんだけを大胆に殺す為の布石だとすると話は別ですが……」
ボクはこの場で聞いているかもしれない黒幕に向けての願いを込めつつ、恐る恐る発言してみた。皆、静かに頷いている。果たして本当に、この中に黒幕がいるのだろうか?
「モデルさんの安全に関しては安心してくれや。応援の到着まで、彼女の警護だけにはしっかり気を配るから……」
"ピピピピピ"
警部が喋り終わらないうちに、彼の携帯電話が鳴った。
「おう俺だ。そうか、わかった。くれぐれも宜しく頼む。あぁ、それから五年前に文化荘で亡くなった画家な。その親族や交友関係に関して、改めて調べておいてくれないか?頼んだぜ」
電話を切ると警部が安心したように告げた。
「山道の復旧作業、あと二時間足らずで終わるそうだ。推理ごっこはこれくらいにして、あとは警察に任せてくれ」
「俺様の車は?なんか言ってなかったか?」
「よく分からんが、ひしゃげた車の残骸は処理したらしい」
「ざ、残骸って……」
料理人はぐったりと項垂れた。なんとなく気の抜けたムードが漂う中、ボクは新米警官に耳打ちする。
「ところでこの台本にあるトリック、本当に実践出来ると思いますか?」
「計画的に自殺させるってヤツすか?どうすかねぇ」
「そっちも気になるんですけど、最初の密室トリックの方です」
「あぁ!アレは出来そうっすけど……どうかしたんすか?」
「出来れば、再現可能か検証してみたいなと思って。けどボクは一般人だから当然、許可なんて下りないだろうし……」
「なるほど!そういうことなら自分に任せて欲しいっす」
新米警官は自信満々に警部へ話をつけに行ってくれた。