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そうだ、私は実は秋が苦手だったのだ、と、もう夏のものではない空気に触れてはじめて気づく。


風の程よい冷たさと軽やかさを心地よく感じないことへの戸惑いと、この夏の間抱いていた甘い期待を意図せず失ったことへの虚しさに思わず立ち止まる。


「羽鳥さん?」森さんが私、自分だけ進んだ三歩分のコンクリート、そしてまた私という順に視線を向ける。


「ああ、ごめんなさい。」私はその三歩分を小走り四歩分で埋める。「もう夜はかなり涼しいですね~。」と、一番今話したくないはずの話をする。


暑いですね、寒いですね、もしくは、ちょうどいい気温ですね。


それ以外に何も話すことがない相手とするのに、最も会話が続きそうな話題。


「ね。やっと秋だね~。いきなりこんな感じになったから、今日はニット買ってくれるお客様も多かったよね。」


店頭にいるときと何ひとつ変わらない柔らかな笑顔で森さんは続ける。


「羽鳥さんは秋服何か買った?」


差し出してすぐ後悔した話題が一ターンで変わったことに心から救われる気分になって、「いや、まだなんです。森さんは?」と森さんの顔を見る。


「私はそれこそ昨日発売だったニットのグレーを買ったよ、あとこれ。」


黒のプリーツスカートのすそを掴んで嬉しそうに笑う。


艶やかでぱつっと顎のラインで切りそろえられた黒髪、服を邪魔しないリップが主役のナチュラルメイク、暗いトーンのネイル。


mmfのアルバイトに応募したとき、面談で伝えられた条件。


この人はこのスタイルが好きで、だからこのブランドを選んだのだろうか。それとも、mmfらしくいることが自分のスタイルなのだろうか。


「お似合いです。何を着てても言ってしまうと思いますけど。」


もうすぐ阪急の駅につくので、別れやすいように笑うだけで返事が済むような言葉を返す。


案の定、「ありがとう。じゃあ、お疲れ様です。」と暗めのオレンジブラウンに色づいたきれいな形の唇が笑って、mmfのショートブーツが左の方向を向く。


森さんは阪急京都線の淡路駅にお付き合いしている人と同棲していると言っていたはずだから、このまままっすぐ電車に乗って家へ帰るのだろう。


お疲れ様です、明日もよろしくお願いしますと軽くお辞儀をし、右の地下鉄御堂筋線へ歩き始める。


mmf。自立した女性を意味する”Make Myself Happy”を由来としたブランドで、二十代から三十代の女性をメインのターゲットにしている。

シンプルで、女性らしく。かつ、その中に、少しだけユーモアがあるようなデザインがインスタグラムを中心としたSNSで注目を浴びている。


特に、美容オタクで名が知れているモデル兼タレント・馬場瑠璃子をイメージモデルとして起用したときから。


昨日も、「三十代後半でこの肌はレベチ」という馬場瑠璃子のすっぴん写真の投稿をおそらく彼女のファンがリツイートしたものは五十万いいねを超えていた。それに伴って彼女のSNSのフォロワー数が増え、またそれに付随してmmfのフォロワーも五千人増えた。


この頃、イメージモデルの起用はブランドの存続において役割を過剰に果たしている気がする。あ


彼女のファンは、彼女の容姿のみでなく、トーク番組などにおける自立した女性の代表格のような発言や考え方に魅力を感じているようだ。たださっぱりした女性というわけではなく、二十代前半は男性に依存しがちなタイプだったという過去を持っていることから親近感を覚え、それなら自分もと馬場瑠璃子を具体的なロールモデルとし、「自立した女性」を目指し始める。


馬場瑠璃子が実際に依存がちな性格を克服し、今現在ファンが思い描く女性像である確証なんてどこにもないのに。


そもそも、そういう体質の人がきっぱりさっぱり己のそういうところとおさらばなんてことはあり得るのだろうか。わからないけれど、馬場瑠璃子がそう言うのであれば、あり得るのだろう。


別にmmfというブランドも、馬場瑠璃子というタレントも嫌いではない。mmfの洋服をかわいいと思うのでわざわざヒールで長時間立ちっぱなしという条件を呑んでアルバイトを始めたし、馬場瑠璃子が愛用しているという毎月一万円かかる美容液をもう二年以上使い続けている。




自立した女性。


真山くんが好きだと言っていたもので、私が最後までなれなかったもの。明日も一年後もきっと程遠く、密かに、でも確実に、私をあらゆる選択のタイミングで操縦するもの。


真山くんの好きな人になりたかったのか、それとも真山くんが好きだという女性像に共感し、憧れを抱いているのか、自分の核にもなり得るはずの「なりたい像」の根源さえわからないまま、その虚像だけが毎日遠のいてゆく。


後ろの信号に照らされた自分の影が私に重なって、膨らみ、消える。また、濃く小さいそれが私の足元に生まれる。


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