夏の待ち合わせ
電車から降りると涼しかった空間から一変、うだるような暑さが肌にまとう。
全身の毛穴から一気に汗が吹き出した。
遠くから聞こえる蝉の鳴き声が夏だということを強調し、体感的な暑さは増幅させる。
体を撫でていく熱を振り払うように階段を降りて駅構内に入り、改札をくぐった。
世間は夏休みということで、学生であろう子どもたちがあちらこちらにいて、私のそばを走り抜けていく。
暑さなんてものともしないような爽やかさは子どもたちにしか表現できないだろう。
駅の中にある小さなコンビニに立ち寄る。
たどり着くはドリンクコーナー。
重たい扉を開くと、冷気が流れ込んで熱がこもった体を冷やした。
これ、これ。
百円ほどで売られている水。これを二本手にした。指先がひんやりとし、水滴が肌につく。
レジでお会計を済ませた後、コンビニを後にした。
駅を出てあたりを見回す。
「ああ、いた」
安心しきった自分の声に思わず頬が緩んだ。
会うのはいつぶりだろうか。急に緊張してきた。
今日の髪型、変じゃないかな。メイクは似合ってるかな。服装だってかわいいって思ってもらえるかな。
期待と不安が入り混じって、心臓がドキドキする。
迎えに来ていた彼氏の車に乗り込む。
「おはよう」
彼氏の匂いが鼻孔をくすぐる。
普段通りの声で「おはよう」って返したけど、内心は全身で踊りたいぐらい嬉しかった。
穏やかな笑みを浮かべた彼氏の視線は上から下をさらっと動き、そのあと私の目を見つめていた。
彼はどんな気持ちなのだろう、今どう思っているのだろう。
自分の裸を見られているような恥ずかしさを覚える。
それから閉じられていた唇が開いた。
「可愛い」
文字数にすればたった四文字。
この四文字がどれだけ嬉しいか。
大好きな人に言われるこの言葉がどれだけ嬉しいか。
私の努力は報われたと実感できる。
オーディオから流れる恋愛ソング。スイーツのように甘いフレーズと曲調が私達の雰囲気を作る手助けにもなっていた。
余計な言葉なんていらない。
嘘でコーティングされた褒め言葉もない。
ブランド物で固められた服装でもない。
等身大の彼が目の前にいるだけ。
そのことがどれだけの幸福感を味わうことができるか。
私が大好きで、私のことを愛する人が存在しているだけで幸せだ。
例えるなら、真冬にあたたかいお湯に体を浸かった時以上の安心感と幸福感。
視線同士が絡み合う。
夏の暑さとは違う熱が体を温める。
彼の手が私の手と重なる。
彼の顔がゆっくりと近づいてくる。
ここが駅の直ぐそばだってことを忘れてしまいそうで。
ん? 駅の直ぐそば……?
「ちょ、っとまって!」
私がいきなり大きな声を上げるもんだから、彼はぎょっとした顔になる。
あーあ、甘い雰囲気が台無し。
「そういうのはあとで! とりあえずこれ、お水。暑い中運転してきてくれたから!」
彼から手を離し、バッグの中にしまっていたペットボトルを一本押し付けるように差し出した。
いきなりそんな行動を取ったからか彼氏は口の端から笑いを漏らす。
降参のポーズで両手を顔の横まで上げてから「ありがとう」と付け加え、ペットボトルを受け取った。
「ありがたくいただきます」
と笑い、彼は口の中に水を流し込んだ。 喉仏が上下に動き、男性らしさを勝手に感じてしまう。
それから少しの間談笑をして、ようやく車を動かし始めた。