おやすみなさい
以前のレジーナなら、お清めの沐浴を済ませた後は泥のように疲れて食事もそこそこにベッドへ倒れ込んでいたが、今は面倒なお湯の用意や気の張るお清めばかりか、食事の支度も後片付けもスクートが手伝ってくれるので、ベッドに入る前に大好きな物語を楽しむ事ができるようになった。
物語が好きと言っても、学校に行った事のないレジーナに読み書きができるはずもなく、挿絵のたくさんついた子供向けの貸本を借りて絵を見ながら筋書きを想像するのがせいぜいだった。
それが今ではスクートがちゃんとした小説を読んでくれる。
スクートにとっても、レジーナからお清めのお礼に自身の黒い毛を丁寧にブラッシングしてもらいながらの読書の時間は至福の時だった。
さっきまで部屋の真ん中に鎮座していた大きなバスタブは、レジーナが小屋の外の樽にゴミを捨てに行ったほんの僅かな間に石膏のライオンごときれいに片付けられていて、いつもの古ぼけたテーブルと、干し草のベッドに戻っていた。
黒い大きなイヌの姿に戻ったスクートは、小さなベッドにどっかり寝そべり、いつものようにレジーナにブラシをあててもらいながら物語の続きを読んでやる。
「『かくして、ジェラルダイン公爵令嬢は、七人の貴公子をお供に新たな冒険の旅に出ました。行く手には何が待ち受けているのでしょうか? それは誰にもわかりません。彼女達の挑戦はまだ始まったばかりなのです。おしまい。』」
「ああー、面白かった。ありがとう。」
レジーナは最後のページを読み終えたスクートの太い首に抱きついた。
「スクートは本当に頭が良いね。ちょっと見ただけですぐに字を覚えちゃうんだもん。まるで本物のジェラルダインと七人の貴公子がそこにいるみたいだったよ。」
スクートの口から語られためくるめく物語をうっとりと反芻しながら、レジーナはスクートの首に手を回したまま、顔をふさふさの背中に埋めた。
「へへへ。」
スクートは得意そうに鼻を上へ向け、しっぽをぱたぱたさせた。
主人のレジーナに褒めてもらえるのが何よりの幸せなのだ。
「いっぱいブラッシングしてくれてありがとう。そろそろ寝ようか。明日はせっかくのお休みなんだから、早起きして楽しいことをしようよ。」
「うん。」
レジーナがブラシをテーブルに置き、部屋の灯りを消してベッドに潜り込むと、
「きゃ。」
先ほどまでイヌの姿をしていたスクートが再び獣人の姿になっており、さっきレジーナがしていたように、太い左手をレジーナの華奢な身体に巻きつけた。
「だって、やっぱり抱っこされるよりする方が好きなんだもん。」
「で、でも、は、恥ずかしいよ。」
「何で? 自分だってさっきまでボクを抱っこしてたくせに。」
「そ、それは、わんちゃんの姿だったから。」
「言ってる意味がわからない。」
「でも、窮屈でしょう? こんなに狭いベッド……。」
「くっついて寝れば平気だよ。潰したりしないから心配しないで。」
「せっかくブラシできれいにしてあげたのに……。」
「うん、ありがとう。レジーナ、大好き。」
スクートは巻きつけた手でレジーナをきゅっと抱きしめ、
「ボク、疲れちゃったからもう寝ます。おやすみなさい。また明日。」
ほどなく、すうすうと寝息を立て始めた。
スクートの言う通りだ。
中身は同じなのに、なぜ、イヌの姿なら大丈夫なのだろう?
レジーナは眠い頭で一生懸命に理由を探したが適当な答えは見つからず、スクートの寝息に誘われるように、自身も眠りについた。
以前はどんなに疲れていても、眠りに落ちるのが怖かった。
ちゃんとお清めできているだろうか? 眠っている間に死霊に取り憑かれたらどうしよう。
そんなふうに考えているから、夢を見る時は決まって嫌な夢を見た。
それでも、翌朝起きてまた最初から惨めな一日を繰り返すのはそれ以上に嫌だった。
けれども、スクートと一緒に眠るようになってからは、悪い夢は全く見なくなった。
きっと、今夜はジェラルダイン公爵令嬢と素敵な冒険の旅に出るのだろう。
ジェラルダイン公爵令嬢を心から崇拝する七人の貴公子達、それに、親友の魔獣を従えて。
そして、どんなに良い夢を見ている時も、レジーナは朝が待ち遠しかった。
目を覚ましたら、
「おはようございます、レジーナ。」
そんなふうに笑いかけてくれるスクートにまた会えるのが待ち遠しかった。
お読みいただきありがとうございます。
皆さまのお目に触れ、一行でも読んでいただけるだけでとても幸せです。
どうか皆さまにも幸せな日々が続きますように。