36_修練進化_ナガト
チユの指導がスタートして三日が経過した。
ナガトは肋骨を一本骨折、全身に打撲、不眠、幻覚、幻聴を煩っていた。
体重は4kg落ち、血色は最悪のそれに近い。
朦朧とする意識、最後にまともに眠った日をナガトは思い出せない。
一瞬でも気を抜けばチユに強襲され部屋に戻される。部屋に戻されれば質問を問いかけられ30秒いないに何かしらの回答を出さないと殴られる。
口の中は血の味、食事もまともに取れていない。
ナガトは一度、椿宮師団の領地を抜け出して野宿を試みたが、数時間でチユに発見されボコボコにされて連れ戻された。
チユの行動の意味からなにまであらゆることが謎でそれでいて確実にナガトを精神肉体共に追い込まれていた。
「ねえ、今どんな気分?」
振り返るとにこやかにチユは声を掛けてくる。どこにいても。
「最悪です」
「正直ね」
「嘘をつく気にもなれません」
チユは手を二回叩く。
「ナガト、あなた面白いくらい素質ゼロね。役立たずのポンコツ、これじゃあ丙種どころか10等級にすらなれないわよ」
「……そっすか……やっぱ姉ちゃんようにはいきませんね」
「そうかしら? あなたとフソウは同じよ」
「何言ってるんですか……」
チユは三回手を叩く。
「ゆっくり考えるといいわ。答えは楽なところにはないけど簡単なことだったりするから」
チユは手をヒラヒラさせながら去って行った。
正確に言えば姿を見せなくなっただけで隙あらばナガトを襲撃できる配置についているだけに過ぎない。
(ゆっくり考える……)
ナガトは地面に座り込む。同時に眠気が押し寄せてとうととする。船を漕いだ瞬間にチユに殴られる記憶がフラッシュバックし眠気以上に周囲への警戒が勝る。
集中力も限界を迎え、ただの木さえもチユに見える。
(今考えるのは良くない。良くない方向に俺が招いた)
判断を下すのがあまりにも遅かったかもしれない。そう思った瞬間、あらゆることがどうでも良くなってしまいそうだった。
(いや、諦めるな……まだ一歩も進んじゃいないんだ)
ナガトは言い聞かせる。そうしている間は心が持つような気がしたからだ。
(これもチユさんの作戦? だとしたら何故?)
チユの行動、言動は疑問が残ることが多かった。まず今、どんな意図でナガトを追い込んでいるのか理由は一切不明。
(何にも教えてくれなきゃわからねえよ……)
ナガトは立ち上がる、少し体を動かして頭をスッキリさせようと思いつく。
が、めまいを起こして膝から崩れ落ちる。
「はいはーい、そろそろかなと思ったけど」
チユが影から表われてナガトの首根っこを掴んで体を支える。
「ありがとう……ございます」
「立てる?」
「大丈夫です」
「諦めた方がいいんじゃない?」
(諦める?)
(そう言えば何を諦める? チユさんに指導を受けること?)
(いや違うな……)
「俺は何を諦めればいいのですか?」
「この試験よ」
「……あの」
「何かしら?」
「試験課題は何でしょうか?」
「私の欲しい回答が得られるか。かしらね」
「…………どうして教えてくれないのですか」
「聞かれなかったから」
「いや、だからと言って!」
「それが私の特技だし、お仕事だったからね」
前にも聞いたことのあるセリフだった。
ナガトは脳内でピースが組み合わさっていく。
チユの目的、行動、言動、それら全てに合点のいく理屈を――。
「チユさんは工作員を育成するための素養が俺にあるかどうか試していたのですね」
チユは手を二回叩く。
「違うわよ」
「え、違うのか……」
せっかく腑に落ちる理屈が説明できると思ったがその鼻っ柱を折られてしまった。
(じゃあ、理屈が合わなくなる。敵地に単独で潜入し任務をこなす精神力、知識をチェックする試験だと思ったんだけどな……)
確信を持っていたことがこうも堂々と違うと言われるとナガトはショックだった。
違うわよ――。
このセリフに妙に引っかかりがナガトの内心で浮かび上がる。
(違うわよ……違うわよ……ん?)
「全然違うわよ。あなた少しは素養があると思ったけど今のところちょっとやる程度かしらね」
(チユさんとの会話を思い出せ――)
才能が無いなら努力しなさい――。
(……これかな)
「あのチユさん」
「何かしら?」
「俺には才能がありません。ですが素養はあなたの下でなら俺でも身につけられますか?」
チユは三度手を叩く。
「もちろん、出来るわよ」
「じゃあ、教えて下さい」
「うーーーん、まぁ、試験は赤点ギリギリ回避かしらね。サービスして合格にしてあげるわ」
チユはニコッと笑う。
「……よろしくお願いします」
チユは手を二度叩く。
「短い付き合いになりそうね」
「そうですか?」
チユは三度手を叩く。
それから懐からナイフを一振り取り出す。
「受け取って。強くなりたければ」
「はい」
ナガトはナイフを受け取ると、チユもまたナイフを取り出す。
「今から教えることはあなたに初めて教えることであり、最後に使うことになるであろう技よ。それから今後、私のことは師匠と呼びなさい」
チユの猛烈な修行が幕を開けた。




