35_修練進化_ナガト
ナガトは目を覚ますと見知らぬ部屋の見知らぬ良い匂いのするベッドに寝かされていた。
「ヴッ……」
「随分ボコボコにされたわね」
「え、どなたさん?」
頭には丸みのある獣耳が生えた綺麗な女性が椅子に座ってナガトを見下ろしている。
「私はチユ、今日からあなたの教育を任されたわ」
「カナメさんからですか?」
「ええ、そうよ」
「ああ、そうですか……俺は――」
「大丈夫、自己紹介しなくて。ナガト、年齢は二十歳過ぎ、性別は男、体重は60kg丁度、身長165cm、血液型はA型、家族構成は両親は死亡、お姉さんは死にかけかしらね?」
初めて会ったにもかかわらずナガトの情報が筒抜け、寒気するほど確度の高い情報にナガトは驚きを隠せなかった。
「あ……え、そう、です?」
「ふふ、だいたいのことは全部知っているから安心して」
「詳しいのですね」
「ええ、それが特技だし私のお仕事だったからね」
「だった?」
「今は最前線からは退いているの。まぁ定年退職みたいなものかしら?」
「頑張った人ということですか?」
「そうね、その認識で良いわ」
ナガトは体を起こして正座になると、ゆっくりと頭を下げる。
「これからよろしくお願いします」
素直なナガトの言葉にチユは少し驚く。
「ええ、よろしく。まぁ、どうせあなたも三日も持たずにギブアップするのでしょうけど」
チユはにこやかに不穏な一言を放つ。
「え?」
チユは二回手を叩く。
「じゃあ、訓練は明日から始めるわ。それまで準備をしておくように」
「はい、わかりまし――」
チユは三度手を叩く。即座に懐に隠していたナイフを取り出すと目の色を変えて殺気帯びた刃をナガトに向ける。
「ここが戦場ならあなたは死んでいる。ここが敵地なら情報吐き出させるためにあらゆることをされる」
切っ先がナガトの首元にピタリと張り付く。
「才能が無いなら努力しなさい。甘えは許されない、あなたが進む道は感染者としてこれから数多くの人の上に立つことになる。その実力を示し続けなければならない。諦めるなら今ここで諦めるのが吉よ。この程度のことが理不尽に思えるのなら私の指導についていく素質は皆無、違う人に指南してもらうか、研究所に帰ってただお姉さんが奇跡を起こして復活することを毎朝毎夜祈っていると良いわ」
目も言葉も皮膚が破けそうなほど冷たい。
チユはナイフを懐に収める。
「……」
ナガトは呆気にとられて言葉を失う。
「目では無く、言葉と行動で示しなさい」
「あの……」
「何かしら?」
「訓練は明日からで合っていますか?」
チユは「ふーん」と言葉の間を繋ぐ。
それから二回手を叩く。
「ええ、明日からね。今日は部屋に戻りなさい」
「わかりました」
ナガトはベッドから降りて自室に帰る。
(すげえ強烈な人だな)
ナガトは最近出会った女性陣のせいでチユの異常性について何も感じなくなっていた。
自室へ向うために廊下を歩く。
後ろからドアの開く音が聞こえる。
振り返った瞬間、ナガトは足を払われて顔と腹に何かがめり込む。
「ガ――ッァァ!」
地面に顔面から激突する。背中にはおぞましい殺気が立ち込める。足で地面を蹴り上げてハンドスプリングの要領で腕を弾ませて体勢を整えながら距離を取る。
だが、ナガトは足を掴まれると強引に壁に打ち付けられる。
もはや立ち上がる気力するら残っていない。首根っこを掴まれ部屋に戻される。
さっきも見た天井をナガトはぼんやりと眺めている。
体中がズキズキと痛む。
そこでようやく理解する。
チユの訓練は想像を絶するほど困難が待ち構えていることに。
だが、ナガトはまだ気付いていなかった。もっともこの状態でそう考える方が不自然だろう。
本当に訓練は始まってさえいないことに。




