23_鼓動継承_アイリ
シルバーベルはアイリにとって楽園そのものだった。
たったひとつの嘘で住人はアイリを感染者に虐げられた象徴として崇め奉り始め、今では聖女様と呼ぶ者まで出始めていた。
「聖女様」
「聖女様」
「聖女様」
何度もなんとも響きの良い言葉が並ぶ。
「さて皆様、私は以前感染者に、口にするのも憚るようなことをされたというのはご存じですね?」
言うなれば彼ら彼女らはアイリの信者ということになるだろう。
(悪い気はしませんね)
「私は以前、感染者の男と暮らしていました。それはそれはとても……とても怖い思いをしました」
信者達は騒ぎ始める。アイリにとってはすでにこの流れは慣れている。
元は教会であった建物、ステンドグラスの光がアイリを包みより神々しさを演出する。
「私はこの話を聞いてくれる非感染者の皆様のことを嬉しく思います。この痛みは感染者を知るわけも無く、今もなお、善良で直向きに生きている非感染者を虐げていることでしょう」
また信者が騒ぎ始める。
「そうなる前に、善良な非感染者を我々は救わねばなりません。それこそが、私が生き残り、今も尚、息をし続けている運命であると自覚しています」
歓声が聞こえる。アイリは幸福な気持ちになる。
だが一点の闇が差し込む。
(私の秘密を知っているナガトはまだ生きている……彼を葬ってしまえば私の嘘は真実になる)
「ですので、どれだけ感染者の死骸を積み上げたとして貴き非感染者を救わねばなりません。我々は感染者に立ち向かわなければなりません」
心地よい、酔いしれるほどの歓喜の声、狂気を孕んでいる自覚も無い勇猛さが人々を駆り立てた。
「まずは、私を追いやったナガトを倒しましょう。私が囚われているのは奴が生きているからです」
(私一人ではナガトを倒す事が出来ない。ならばこそ――)
「皆様、戦いましょう。救いましょう。救済しましょう非感染者が非感染者のために」
アイリの目は静謐に冷静に淡々と驚くほどに、狂気の色で澄み渡っていた。
「アイリ様」
「何かしらクラウン」
クラウンは十代後半の男の子で、過激な趣味に目覚めた悪辣で残忍な性格に歪んだ。
もっとも、アイリとクラウンは相互利益があるため手を組んでいる。
「そのナガトという男、見つけたよ」
「場所は?」
「君影研究所だよ」
「君影研究所、ですか」
(たしかあそこは停戦協定を結んでいる組織の一つ、ナガトが新たに所属したのかそれとも私に君影研究所所属であることを隠した? それならシルバーベルの状況も知っているはず。であれば逃げ込んだと考えるのが妥当かしら?)
「クラウン、ナガトを我らが神の前にてその罪を洗い浚い告白してもらいたいのだけど?」
「ええ、もちろん。もしも抵抗する場合は?」
「神の代わりに誅伐を」
「御意のままに」
(よく言うわ。殺したいだけのサイコパスのくせに)
クラウンは一礼をしてネックカバーを持ち上げて黒いパーカーのフードを深く被る。
(でもまぁ、彼なら上手くやってくれるかしら。感染者殺しのクラウンとその手下なら)
アイリはにこにこと張り付いた定型的な笑顔を信者に向ける。
「さぁ皆様、戦いに備えましょう」
その一言で集会を終える。
誰もいなくなった教会でアイリは一息つく。
「やぁアイリ」
「司祭様」
白い髭に優しげな表情の壮年の男性が声を掛ける。
「相変わらずの感染者嫌いだね。私としては中立中庸でありたいのだけど」
「ですが、少なからず感染者に恨みを持つ者はおります。その方々のガス抜きをしなければなりません」
「確かにそうだが、最近の君の発言は目に余るところがあるよ」
「そうでしょうか?」
「あまり物騒な事ばかり言ってはいけないよ」
「次回から気をつけます」
「それならいい。わかっておくれ」
(この男がいなければシルバーベルの派閥はひとつにできる……ああ、それなら――)
アイリは静かに微笑む。司祭は勘違いをして納得した顔をする。
(この男も消してしまいましょう。感染者の犠牲になって下されば、みんなの意思をひとつにまとめられる。なんて、なんて素晴らしいのでしょう)
「司祭様、クラウンが私を痛めつけたナガトを捕まえてくれるそうです。ここで全ての罪を話していただきましょう。そうすれば感染者がいかに恐ろしいかわかっていただけます」
おぞましいことにアイリは狂気を宿せば宿すほど――
誰もが惹かれ一目見ただけで恋い焦がれ、心が囚われてしまうほど、美しくなる。




