157_英雄顕現_ヘラクリス
足が重い。
腕も上がらない。
全身が痛い。
「全盛期のようには動けないな」
自分を笑う。
ジェネレーターはとっくに焼き切れてしまい、ただの盾とソードスピア成り立てた道具を振う人間。
(やるしかない……か)
相手は手の内を知り尽くしている身内、増援も揃いつつあり状況は最悪だった。
(感染者になってから随分と体力が落ちたな)
諦観の色が自分の中にあると気付く。
(何を弱気になっているんだろうか)
まだやれる。
いいや――。
まだこれからだ。
土を蹴る、盾を構え衝撃に迎え撃ち。その上でソードスピアの一閃を放つ。
「ぐっ! 本当に手負いかコイツ!」
「|Vromoaggloi《来いよブリカス》」
スラムにいた頃を思い出していた。空腹と悪意が渦巻く。だが生きることに諦めなかったあの頃を。
敵の弾丸がヘラクリスの鎧を弾く。貫通はしていないものの衝撃で内出血を起こしている。
「Gamoto!」
心臓が酷く高鳴る。
動きすぎというわけではない、明らかに何かの異常を知らせている。
(失血……、何が起って――)
前へ進む度に鼓動は強くなる
(何か、おかしい)
全身の痛みがすっと消える。
それどころか、体が軽い。
「何が起って――」
呼吸をする度、腕を振る度、盾で攻撃を受ける度に高揚感が自分を支配する。
「なんだ、急に動きが!」
「気をつけろ! 相手は戦士競技のチャンピオンだぞ!」
「流石にヤバイ、パワードスーツを使う!」
そんな声が聞こえた。
今はどうでもいい――。
闘争、闘争、闘争、闘争、闘争、闘争――
「戦え、戦え」
戦局が目からも、耳からも、鼻からも、皮膚からもわかる。
無人制御の装甲車が突撃する。
大口径のレーザーカノンを撃ちながら、そのままヘラクリスに突撃する。
(今なら何でもできそうだ)
ヘラクリスはソードスピアを地面に突き刺すと筋力補助がとっくに切れた手を前に出す。
衝撃と爆発音にも似た衝突が響く。
無人制御の装甲車はそのタイヤを空転させている。
「嘘だろ――」
特殊部隊の人間でさえその光景を見るのは初めてだった。
ただの人間が、装甲車を片腕で持ち上げ、その上で悠々と前に進んでいた。
それどころか、まるでベースボールの用にぽーんとぶん投げてしまった。
味方は自分一人、相手は精鋭のイギリス軍、武器も防具もジェネレーターが焼き切れ使い物にならない。
完全に勝ちから遠ざかっていた。
だが、この土壇場で。
否、この土壇場だからこそ。
もしも神がいるなら、戦の神がいたのなら。
ヘラクリス、彼女にその寵愛を与えたのだろう。
ヘラクリス、それはギリシャの大英雄にして戦の神ヘラクレスに由来する。
そして、名は体を表すかのようにヘラクレスは人類最強を勝ち取った。
そしてレブルウイルスはその彼女におあつらえ向きな生物をベースにくれてやった。
その生物には様々な亜種が存在する。
リッキー――。
エクアトリアヌス――。
セプテントリオナディス――。
オキシデンタリス――。
トリニダーテンシス――。
ブリュゼニ――。
パスコアリ――。
タカクワイ――。
モリシマイ――。
トゥクストラエンシス――。
レイディ――。
バウドリー――。
彼女の与えられのが原名亜種。
名はヘラクレス・ヘラクレス
鞘翅目コガネムシ科カブトムシ亜科オオカブト族オオカブト属ヘラクレスオオカブト。
約1300種の名だたるカブトムシたちの中で最強と聞かれたとき、まず真っ先に名が挙がるであろう種。
人類最強と甲虫最強をレブルウイルスが繋いだ瞬間だった。
スクラップにされる無人兵器、薙ぎ倒される兵士。
いよいよ追い込まれたイギリス軍特殊部隊はついに最新鋭のパワードスーツ兵を投入した。
「今なら――」
盾を地面に突き刺すと、両手を前に出し歯をむき出すほどに口角を上げる。
「潰せるな」
異質な狂気、酷く落ち着いて、それでいて最高の気分だった。
戦士競技では味わえない死と生の狭間、殺し殺される恐怖と歓喜に溺れる。
パワードスーツ兵の攻撃を受けてなお痛みより先に攻勢を取る。
選りすぐりのエリートでさえ、距離を詰められるにつれ恐怖の声が上がる。
「さぁ英兵たち! まだヘラクリスは健在だ!」
拳を握り込み放つ。
強化合金のプレートが衝撃と共に砕け散り、内部の肉を震わせた。
いや、震わせるという表現は適切ではない。
爆ぜるというのが最も相応しいだろう。
「あり得ねえ! 全盛期のヘラクリスの水準を遥かに超えている!」
この時代に、たった一人それも素手相手に特殊部隊は後ずさりする。
「まさかこれが……感染者の力か」
ヘラクレスオオカブト、カブトムシ類全般に言えるが力という点では昆虫の中でもトップクラスの座につく。
条件さえ整えば、自重の1000倍近くのものを持ち運ぶことができると言われている。
単純な話、今のヘラクリスは片腕で軍用戦車を持ち上げられるほどの腕力を持つ。
その上に彼女自身が培った経験と生まれ持ったセンスが相乗効果を生みだす。
彼女の精神は最高潮に達していた。
全能感に支配され闘争の奴隷になるのは時間の問題だった――。