118_決裂流出_チユ
チユの自室にナガトが入ってくる。
「予定通りね」
「お久しぶりです」
チユは空いている椅子に視線を向けてナガトを座らせる。
「今日はテーブルも用意しているんですね」
「ちょっと作業があったから」
「そうですか」
もちろん嘘で、自分が縮んでいるのを隠すためにテーブルで全身像を遮っているだけに過ぎない。
椅子にクッションを置いて底上げして更に誤魔化す。
「さて――」
「あの、師匠」
「どうしたの?」
「なんか小さくなってません?」
「気のせいじゃないかしら?」
「……? そうですかね?」
「んー、あっ、今日はメイクを変えてるからそう見えるのかもね」
「そう……かな?」
「じゃあ本題に入るわよ」
「うっす」
「今回の潜入調査は散々だったわね。走り出しは良かったけどだんだん情報を掴めなくなったということはこちらの存在に勘付かれたってことよ。まだまだ爪が甘いわね」
「返す言葉もございません」
「まぁでも証拠隠蔽は上手くやったようだしこちらの実体は掴めていないと思いたいわね」
「たぶん……大丈夫だと思います」
「今は祈るしか無いわね」
「はい」
「研修の方は上々みたいだったようね。アンナから聞いているわ」
「あれもかなりギリギリでした」
「合格は合格よ。最終学歴中学中退のナガトにしては良くやれているわ」
「ウイルスのせいで学校なんて通えなかったですからね」
「今じゃ大学レベルの勉強よ」
「二年で何年分の勉強をしたんでしょうね」
「正式な医者になれるのは早くて三年後ね。ナガトの場合、骨折や外傷などの怪我が多い場面に出くわす可能性があるしそこら辺を重点的に指導するように頼んでいるわ。次は外科の研修だから頑張ってね」
「励みます」
「話は以上よ。あー私も医学生時代は大変だったの思い出してきた」
「え、師匠も医者だったんですか?」
「医師免許は医大じゃないと取れないのよ。だから医大に入って並列で色々やることになってね」
「へ、並列?」
「司法試験と医師試験、それから色々ね」
「弁護士と医者になれるってことですか?」
「そうよー、こう見えて私ハイスペックだからね」
「人間の限界を突破してません?」
「あなたの師匠はとても凄いひとなのです!」
「……師匠、なんかだんだん話しのIQが下がっていません?」
「そんなことない」
「悪ふざけするときはこんなもんですかね」
「失礼します。お食事お持ちしました」
天竺のスタッフが食事を運んでくる。
「ここのテーブルにお願いします」
「かしこまりました」
次々と料理が乗せられていく、それに比例してナガトの表情が僅かに硬くなる。
「ドイツ料理ですか」
「試験合格祝いよ」
「どうしてドイツなんでしょうか?」
「ふふ、なんでかしらね?」
ナガトは表情にこやか料理を喜んでいる素振りを見せる。
(表情を隠せるようになったわね。普通の人じゃわからないレベルね)
「食べても?」
「ええ、良いわよ」
ナガトは素知らぬ顔でソーセージにかぶりつく。
「そう言えば夜通し歩いて着たのだから疲れているでしょう? 食べ終わったら今日はゆっくり休みなさい」
「…………」
「どうしたのかしら?」
「やけに今日は優しいなって」
「普段から優しいわよ」
「…………?」
「ところで靴が随分と綺麗ね」
「流石に泥だらけの靴で部屋に入るわけにも行きませんからね」
「その割りにはエンジンオイルがついているわよ」
「おっと? どこかで付いたんでしょうか。車の往来もそれなりにありますからね」
「そのオイル、臭いからして車のオイルには思えないけど? おかしいわね?」
「さぁ? 俺にはオイルの違いなんてわかりませんし」
「ねえナガト」
「なんでしょうか?」
「私が知らないと思っているの?」
「何をですか?」
チユはにっこりと笑顔を顔に張り付かせる。
「…………セレネに飛行機を運転してもらいました」
「ふふ……知ってる」
「でしょうね! ドイツ料理が出てきた時点でもう諦めてますよ!」
「誤魔化すのもう少し上手くなりなさい」
「はーい……」
「ナガト」
「はい?」
「美味しい?」
「美味しいです」
「そう……それは良かった」
チユはザッハトルテを切り分けて一口食べる。
「クリスマスにはシュトーレンを食べるのよね。ドイツの文化じゃ」
「用意しますか?」
チユは首を横に振る。
「食べたくないのですか?」
「そうじゃないわ」
ナガトは首を傾げて、それから料理を次々胃袋に収めていった。