逆転
村長は青い顔で項垂れる。
昨夜、村が窮奇によって襲われた。今まで窮奇は村の中までは入ってくることはなかったが、昨晩になって突然、村の中に現れ、1軒の家が壊滅した。そこには王家の宇軒直属の部下たちも泊まっていたが、一人残らず窮奇の腹へとおさまってしまった。
「迂闊でした。今まで村内へ窮奇が入ることはなかった。村の家々には太子を祀る祭壇もあると聞いていたので……。祭壇を無視してでも村内に入って来られるほど力が強かったとは……」
徐家の浩宇は頭を抱えた。
窮奇を追い詰め翌晩には倒す事さえできるだろうと安心していた夜更け、やたらと騒がしいと思った一向が外へ飛び出した時には後の祭りだった。人々が泣き叫ぶ中、あの奇妙な赤子の鳴き声を響かせ、月を背に飛んでいた窮奇の口からは人の手がはみ出ていた。すぐさま兵を集めて倒しにかかったが、空中戦のできる者は道素の力を持っている者しかおらず、取り逃してしまった。
「まずはなぜ村に入って来られたのかを調べるべきではないでしょうか」
呉家の梓豪は村の地図を眺めて言った。
本来、妖魔というものは道観や祭壇のある家を襲うことはできない。この村に道観はないが、各家々に祭壇があるという。まさか襲われた家は祭壇がなかったのだとすれば相当危機感が薄い家だ。窮奇騒ぎで村内は慄然としているのに祭壇を設けないなど、食ってくれと言っているようなものだ。
「……そうだね。まずは祭壇に何か異変がなかったか、家の風水も調べた方がいい」
宇軒の目下にはうっすらとクマができている。青白い顔をしながら調べる事項を整理していく。
清蘭は宇軒の姿に心が痛んだ。宇軒は国の王家の血筋でありながら身分を気にせず、自身の部下を大切にする人だ。梓豪によると今回襲撃された家に泊まっていた兵の中には普段から宇軒と仲の良い兵がいたのだという。危険な仕事をしている以上、兵がいつどうなるか分からないことは宇軒も理解しているはずだ。それでも人の死というものは、残さられた者にとって、大きな衝撃となる。宇軒とは出会って日は浅いが、辛い心中であることは察せられる。清蘭は宇軒のためにも必ず窮奇を討伐しようと思った。
襲撃された家は村の中では大きい方だ。5〜6人ほど兵士たちを泊めていたはずだ。清蘭は血の匂いの立ち込める家の中へと入る。家具は村長の家ほど豪華ではないがしっかりとしたものが使われている。廊下を歩き、次の部屋を見ると、祭壇部屋があった。その祭壇は不思議なことに太子の絵が描かれている掛け軸が逆さに飾られている。
「祭壇部屋だというのに空気が重い。何だか変だ」
他の部屋には浩宇が調べ物をしているはずだ。浩宇に報告すればこの逆さの太子の掛け軸について何か分かるだろうか。清蘭はなんだか嫌な気がして廊下を走り浩宇のいる別部屋へと急ぐ。今回の窮奇事件についてあの逆さの祭壇に何か秘密が隠されているかもしれない。
「浩宇様、少し見ていただきたいものがあります。どうかこちらの部屋まで足をお運び頂けないでしょうか」
「清蘭、これは調査だ。異変の報告について、そこまで畏まる必要はない。すぐに行こう」
廊下を歩きながら清蘭は浩宇に逆さの太子の絵について話す。浩宇は熱心に耳を傾け、驚いた顔をした。
「逆さの太子の掛け軸だと?!それは本当か!!」
「はい。この部屋の祭壇です」
浩宇はまず祭壇を後方から全体を見た。その後、装飾具や掛け軸、その裏の壁まで事細かに調べている。どうやら何かあるようだ。
「清蘭、逆さの意味を知っているか」
「いいえ、分かりません」
「逆さというのは効果が逆転するということだ。この太子の掛け軸が逆さに飾られているということは……」
「妖魔避けの逆……妖魔集めの効果があるということですか!」
清蘭はサッと血の気が引くのが分かった。もしこの家の村人が分からず掛け軸を逆さにしていたのだとすれば、恐ろしいことが起こっていたということになる。そこで清蘭の頭の中にふと、村長の祭壇が浮かんだ。あの祭壇は正しく掛け軸が正しい向きになっていた。妖魔に襲われることはないだろう。
「そう言うことだ。すぐにこの掛け軸がいつから逆さにされていたのか調べるぞ。清蘭、お前はまず宇軒様や梓豪にこのことを伝えてくれ」
「はい!」
清蘭は村長の家へと走る。宇軒と梓豪は村長の家で村人から聞き取りをしているはずだ。村の家々を通りすぎていく中で不意に扉の開いている家の中が見える。その家の中には逆さの太子の掛け軸が飾られていた。清蘭はぞっとして立ち止まる。もし、次に窮奇が出るとすればこの家の可能性が高い。清蘭は首を振ると村長の家へと急いだ。