前夜祭
森の中を馬を連れて歩く。清蘭は馬上の浩宇の命で、道素の力を使い、周囲を探索しているが、何も感じない。村と異なり、異様な寒気がなかった。
「何もありませんね。窮奇が出にくい昼間に歩いているとはいえ、何もない」
「そうだな。窮奇がいればそれなりに気配がするものだが……」
そこは至って普通の森であり、月光差し込む夜に窮奇が出るとはとても思えなかった。
「この森には住んでいないんじゃないかな。どこか別の場所にいて、夜だけ出てくる……狩場の扱いならおかしいことじゃないよね」
今日からは王家の宇軒と、呉家の梓豪も合流している。
「だとすると、村が一番怪しいが、村での被害はない。宇軒様、森の捜索範囲を広めてみてはいかがでしょう」
梓豪は周囲の警戒をしながら言った。
「うーん。そうだね、迂闊に捜索範囲を広げて人員が手薄になることは避けたいから、1日おきに場所を変えて捜索をしよう。妖魔相手では、道素の力がなければ倒すことができない。一般兵で犠牲をあまり出したくはないな」
森の出口からは農作物が豊かに実る畑が見える。この村は数十年前に大旱魃に遭い、農民が飢え死んだと聞く。今はその面影もないほどいつも豊作に見舞われる村だ。
「では、明日は西の森に行ってみますか?」
浩宇が馬上で地図を開くと提案する。今いる東の森では窮奇被害が一番深刻で、それと比べると被害の少ない西の森は捜索が後回しになっていた。
「そうだね。明日は夜が明け次第、西の森に向かう。場合によってはそこで窮奇と戦闘になることもあるから、引き続き警戒を怠らず、体制を整えておいて欲しい。今日の捜索はここまで」
宇軒の掛け声で、各々、村にある宿泊先へと戻っていく。一般兵は数人ずつ、村人の家に泊まっている。一方で貴族である浩宇や梓豪、宇軒は村長の家に泊まっていた。清蘭は道素持ちということもあり、要人警護のために村長の家に同伴していた。
村長の家は広く、朝夕交代で村長の家の中を見回りをする。その中で、清蘭は太子の祀られる祭殿を見つけたため、見回りの際は必ず祈りを捧げるようにしていた。
村長の家にある祭壇はひときわ豪華で、金箔のあしらわれた香炉に、金の装飾品が飾られている。掛け軸には一等美しい太子が描かれており、思わずうっとりと見惚れてしまうほどだ。ここまでの祭壇がありながらなぜ道観を建てないのか不思議だった。
数十年前に道観で祈った者が亡くなる。それならばこれほど祀っている村長も危険なはずだ。それが命を落とさずに生きている。数十年前の事件は太子に祈りを捧げることが問題なのではない。道観という建物が原因なのだろう。
清蘭は何か引っかかるような気がした。まるで意図的に道観で祈りを捧げることが悪とされるような事件に感じたからだ。この村には何か秘密があるのかもしれない。この消えない薄寒い気配の謎が窮奇に繋がっているようにも思えてくる。時間のある時に浩宇に話してみるのも良いのかもしれない。
清蘭は祈り終わると部屋を後にした。
西の森は東の森と比べ、明るい。これは西の森が王家の領地に続いているからであり、隣国との国境である東の森は防衛機能のためにも鬱蒼としているのである。西の森には果物になる樹木も人工的に植えてあり、村の子どもたちがよく遊びに入るらしい。ここ1ヶ月は子どもたちは森に入ることを禁止されている。既に数人、子どもが西の森で窮奇の餌食になっており、これ以上被害を増やさないためだ。
「西の森は6名、窮奇に襲われており、うち4名が子ども。4人で遊んでいた時に窮奇に襲われたそうです」
浩宇は宇軒に今までの調査の報告をした。子どもの以外の被害者は子どもを探しに行った夫婦が2人被害に遭い、この森では窮奇によってひと家族が殺されている。
「酷いね。遺族はさぞや辛いだろう」
宇軒は悲壮な表情を浮かべた。
西の森にも特段変わったところはない。窮奇被害があったと知らなければ、ただの森である。まさかこの森でそのような残酷な事件があったなど、誰も想像しないだろう。
「窮奇の手がかりは全くと言っていいほどない。本当に窮奇が出るのか」
梓豪は、森の様子から窮奇が出たということが信じられないようで、一般兵たちに少し離れて捜索をしても良いと命令を下している。
「女、子どもが遊べるような森だ。窮奇さえ出なければこんなことにはなっていなかった」
浩宇は梓豪に言う。
「赤子のような鳴き声も聞こえませんし、ハリネズミのような毛もない。牛の歩いた跡もない。痕跡がここまでないと、窮奇はこの森を去ったと言うことでしょうか」
清蘭は地図を確認し、改めて東の森を詳しく探すべきかと浩宇に言おうとした時だった。風にのって微かに赤子のような鳴き声が聞こえた。
「今のは!」
梓豪の掛け声で一向に緊張が走る。辺りにはさっきとは異なり異様な空気が流れていた。窮奇かもしれない。みな恐る恐る一歩を踏み出した。