怪しい噂
王家別館に移ってから数日が経った。清蘭は朝から夕方まで浩宇に道素の力の扱いを習っている。道素の力は丹田辺りにある霊力の多さでどれだけ使えるかが決まるのだと言う。霊力は生まれ持った才能とある程度の努力で大きくできるのだそうだ。
「もっと丹田に集中しながら霊力を練るんだ。そうしないと力に厚みが出ない」
人生で初めて力を練るということをしたが、なかなか体に負担がかかる。集中力も削れるため毎日、死んだように眠る日が続いている。
「浩宇様、例の件、動きがありました」
春蕾が浩宇の側に寄り耳打ちをした。
最近、王家領地近郊の郊外である噂が流れている。森の中を歩いていると赤子の鳴き声がして、心配した者が近づくと物の怪に襲われ食い殺されるのだと言う。王家から徐家へ調査の命令が出されるのも時間の問題だ。そうなると清蘭も近いうちに出陣命令が下されるかもしれない。それまでにもう少し力を使えるようにしなければならない。
「少し外す。清蘭は術の修行を続けろ」
窮奇、物の怪はそう呼ばれている。見た者によると牛のような見た目にハリネズミのような尖った毛が生え、赤子のような鳴き声を出すという。迂闊に近づけば、飛びかかられ食い殺されるのだそうだ。王家領地内でも既に数十名が被害にあい、亡き者となっている。そのため、近頃は夜の他領への往来を禁止する命令が領地内に出されていた。
春蕾が徐家兵士たちに窮奇の説明をする。とうとう王家から調査及び討伐の命が降った。今回は物の怪である可能性が高いため、修練度の高い兵士や道素の力を扱える者たちの少数精鋭で動いていく。
「清蘭、お前は俺について、物の怪討伐班として出る。今までの修練を忘れず、気を引き締めてとりかかれ」
浩宇は険しい表情で言った。今回は王家と呉家も道素持ちや修練度の高い者を集めて出陣する。兵士たちの緊張感が賊討伐の時とは違う。清蘭はそのピリピリとした雰囲気に言い表せない不安を覚えた。
「清蘭は物の怪討伐は初めてだよね。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」
後ろから穏やかな声が聞こえてくる。王家の宇軒だ。
「宇軒様!」
清蘭はすぐさま恭しく頭を下げた。周りにいた兵士や浩宇もすぐさま頭を下げる。
宇軒の後ろには呉家の梓豪も控えていた。
「浩軒、宇軒様が情報共有と作戦会議をしたいとおっしゃっている。応接間に来い。あと、そこの清蘭とやらも一緒に来るように」
梓豪は淡々と言った。
「徐家のみんな、物の怪討伐は前回の賊討伐と違ってとても危険だ。修練を怠らず備えてほしい。それから、命最優先で動いてほしい。よろしく頼むよ」
宇軒は手を振り、梓豪を連れてその場を後にした。
窮奇の調査は徐家では主に春蕾が行っている。被害にあった家の者や、周辺の森の状況について聞き取りを行うなど多岐に渡る。
「浩宇様、妖魔は主にこの周辺で出ており、被害にあった者に似通った共通点は男性というもの以外ありません」
「被害者に男が多い……森の街道を使い、郊外に出るのは男がほとんどだ。それでは共通点があってないようなもの。喰われた女の被害者の方に何かなかったのか」
「特にこれと言ったものはなく、引き続き調査をしていきます」
ここは王家領地でも隣国との境に近い村である。窮奇の被害者の多くがここの村人で、隣国に物を売りにいく際に通る街道で襲われていた。浩宇は部下を連れ、梓豪や宇軒よりも先に現地入りをしている。春蕾に合流し、更に情報を集めるためだ。
「清蘭、お前は何か感じ取ることができるか?」
「何か、とは何でしょう」
この村は一見、普通の村に見えるが、清蘭は薄寒い感覚がしていた。言葉では言い表せない、何かかが潜んでいるように思える。これが窮奇の気配なのだろうか。
「この村はおかしい。おそらく、窮奇以外に原因がある。清蘭と俺はこれからそれを探る。道素持ちでなければ、気付けないだろうからな」
「窮奇が原因ではないのですか?」
「ああ。おそらくな。それを村人が話すかどうか……」
村長の家は徐家ほどではないものの豪華な家で、他の村人の家と比べても一眼見てわかる造りをしていた。応接間につながる廊下には何も不審なところがないが、村の中で一番、寒気がする。
「ようこそお越しくださいました。徐様、どうぞおかけ下さい」
村長は恭しく頭を下げる。浩宇は恐らく村長がいつも座っているだろう豪華な椅子を勧められる。
「今回きたのは他でもない、窮奇についてだ。春蕾からおおよその話は聞いているが、他にも聞きたいことがある。この村では何か神を祀っているか?見たところ道観もないようだが」
「この村には道観はありません。数十年前まではありましたが、先の災害にあい壊れてしまいました。それからは各々が家で祈りを捧げています」
村長は困ったような顔で答えた。道観がなければ神を祀ることができない。妖魔が村に寄り付きやすくなってしまう。
「なぜ道観を修復しない?」
「はい……それが、道観は昔から幾度に渡り修復を繰り返してきました。しかし、その度に壊れてしまったと言います。それでも数十年前までは建っていたけですが。数十年前のある日を境に、道観で祈った者が次の日には亡くなっているということが起こりました。みな最初は信じていませんでしたが……それが続き、ちょうど道観に雷が落ち、焼け落ちたのでそれ以降誰も道観を修復しようとはしません」
「そのことは王家に相談をしたのか?」
「いいえ、道観が焼け落ちてからは問題がなかったので……」
「そうか……」
浩宇は腕を組み、深く何かを考えているようだ。清蘭は静かに村長の話を紙に写すと、不可解な点はないかと何度も読み返すのだった。