道素の道
風の音が日々鋭くなるにつれて、試合の日もどんどん近づいてきている。清蘭にとって初めての試合は、未知でプレッシャーのかかるものだ。訓練場を限界のスピードで走り、へとへとになって水瓶から柄杓で水をくむと一気に飲み干した。
道素の力は肉体の強さによっても変化する。組み手など体術の経験のない清蘭は致命的だ。一般兵は体術が得意であり、武器も扱える。その攻撃を避けるためには体術を身につけるほかにない。風を操る清蘭は多少であれば空に浮かび、その攻撃を避けることもできるが、それが試合の間にずっとできるかと言うと、そうではない。早急に体術を身につける必要があった。
「走ってばかりでは体術は身につかないぞ」
今日の体術指導は梓豪にしてもらうことになっている。1日おきに浩宇と梓豪の交代での指導で、どちらもスパルタだ。そのおかげで清蘭も基礎的な体術は短期間のうちに身につけることができたが、その代わりに連日、筋肉痛だ。
清蘭は砂埃を上げながら、梓豪に飛びつく。最近は、実践の体術指導が多く、毎日組み手をしている。その度に清蘭は地べたへと転がされ、砂だらけになる毎日だ。
訓練場にある大きな木の下には、訓練をしている一般兵たちが集まり、涼みながら清蘭の訓練を眺めている。その中には冷やかしの目や、明らかな嫌悪が含まれていた。
「ほら立て。一般兵より劣っていれば、お前は他の兵から認めてもらえないぞ」
今まで窮奇討伐では一人でも多くの道素持ちの兵が欲しい状況であったため、分からなかったが、近頃、一般兵たちからの清蘭の当たりが強い。それは、浩宇や梓豪、宇軒など清蘭が貴族たちから声をかけられることが多く、出世をしたい一般兵からすると目障りな存在だからだろう。
「……わかっています」
清蘭はここで働くことを望んだわけではなかった。浩宇に頼んだはものの、本当は兵としての働きではなく、下人のような掃除や洗濯などの下働きを求めていたのだ。まさか道素の力を使って、兵力としてその力を振るうことになるとは思ってもみなかった。
今は亡き伯母の言葉が脳裏に蘇る。誰も寄りつかない荒屋で居住まいを正した伯母は、一族の頭首らしく毅然と言った。
「清蘭、あなたは道素の力を簡単には扱ってはいけません。あなたの命が本当に危ない時のみ使いなさい。これはあなたにふりかかる災いを避けるためなのですよ」
今まさに伯母の言いつけを破っている。それでも、ここでの生活を捨てて、今までの下働き生活に戻ることはできない。日は浅いものの、清蘭にとってこの生活は良いものだった。だから。
「梓豪様、もう一度お願いします」
今日も実践訓練は続く。
東雲の空にはまだ月が浮かび、空気が全身を刺すような冷たをもって、浩宇の体を冷やしてくる。そんな中でも、汗はじわりと滲み出てきて、体を濡らす。一振り、また一振りと剣を振る。浩宇にとって剣術訓練は一日の集中力を高めてくれる時間だ。剣の切先まで神経を使い、剣と体を一体化させる。この瞬間、今まで頭の中にバラバラになっていた思考が一つにまとまるような感覚がする。
もうすぐで試合が始まる。特別な理由で宇軒は試合に参加しないが、梓豪はこの試合にいつも出ては優勝を掻っ攫っていく。浩宇は梓豪に一度も勝てたことがない。今年こそはと何度思っただろうか。
「いつも浩宇は早いね」
宇軒が剣をくるくると回しながら近づいてくる。相変わらず剣舞と剣術で鍛えた手首の柔らかさと器用さはいつ見ても嫉妬をしてしまう。試合には出ないものの、宇軒も浩宇より剣術、道素の力の扱いは上手い。
「宇軒様にいずれ勝つためには、この時間から練習をしないと勝てないでしょう」
「そんなに謙遜しなくても、浩宇は十分に強いよ」
宇軒は手に持っていた手拭きを浩宇に投げ渡す。すぐに乾いた手拭きで顔を拭うと、体に熱が籠るような気がした。
「今年こそは梓豪に勝ちます」
「そうだね。ここ数年、この領で一番強いのは梓豪だ。それでも毎年、浩宇は成長しているよ」
試合は一般兵たちもそうだが、道素持ちにとっても重要なものだ。道素持ちの力を誇示し、改めて兵たちに畏怖のの念を植え付けることで、領主や自身の主を自覚させるためのものだ。だからこそ、生半可な気持ちで挑んでは帰って威信を落とすことになる。
「今年は清蘭も参加するけど、大丈夫かな」
「清蘭の親は亡くなったと言っていました。もしその話が本当であればろくに道素の力を習わず別れた。だからあいつにとって今、初めて道素の力の扱いを習っているのでしょう。そのことが一般兵に伝わればいいのですが」
「試合は所詮結果次第……こればかりは清蘭の努力を信じるしかないね」
朝焼けの空に鳥たちが翼を広げ羽ばたいている。試合はとうとう明後日に迫っていた。