戻ってきた日常
寝返りをうつと痛みが走る。清蘭は筋肉痛と傷の痛みに悶えていた。
窮奇討伐後、すぐに気を失った清蘭は、無事壊れていない村人の家に運び込まれていた。特にこれといった、命に関わるような状態でもなかったため、体力が回復するまでは安静にするように言われているのみである。
それに比べ、浩宇が重症であり、今も医術を持った兵たちが治療中らしい。宇軒や梓豪も重症ではないものの、かなりな傷や体力の消耗をしているらしく、どこかの村人の家で安静を言い渡されているそうだ。
村人の家には正面を向いた太子の掛け軸が飾られている。あの後、宇軒の説得により村人はみな太子を逆さから戻したという。今回の件について窮奇の発言から、村長が重要な参考人として拘束されたらしかった。宇軒や梓豪が回復次第、尋問が始まるだろう。
窓の外には青空が広がり、村全体の空気が澄み渡っている。もうこの村が妖魔に襲われることはないだろう。
数十年前、この村は旱魃と疫病により死人が絶えなかった。王家領でありながら、領主からの救援も来ず、この村は見捨てられたも同然だった。もう誰もが諦め、死を待つのみだった。当時の村長の息子は自分が病に侵されながらこの村をどうにか立て直すことはできないかと、頭を悩ませていた時だ。村に珍しい客人が訪れこう言った。
「この村の先の山に、窮奇という妖魔がいる。それと契約を結べばあるいは、この村を立て直すことも夢ではないかもしれない」
息子は言われた通り、山にわけ入り窮奇を見つけ出した。
「契約をしてほしい」
「人間風情が我に何の用だ。契約なんぞ結ぶ気はない。このまま食ってやろうか」
「生贄を出そう。だから、話を聞いてくれないか」
「では、道観で熱心に祈っている人間を2、3人、殺して持って来い。そうすれば話は聞いてやらんこともない」
それは月明かりのない新月の夜のこと。息子は、熱心に雨が降るように道観に祈っていた3人の信者を殺した。証拠を残さないためにも道観に火を放ち、死体を引きずって山を登る。
「言われた通り殺して連れて来ました。話を聞いてくれないか」
窮奇は死体をバリバリと頭から食べると、ニヤリと怪しい笑みを浮かべた。
「聞こう人間、お前は何を望む?」
「この先の村はもう何年も旱魃と疫病が絶えない。何とかならないか」
「それを叶えたら、何を我に払う?」
「俺の命ではだめか?」
窮奇は高らかに嗤い、息子を馬鹿にした。
「それでは足りんなぁ。旱魃を抑えるだけでどれほどの人間が生き延びられる?たかだかお前の命をもらったところで対価がつりあわぬなぁ」
「それならどうすればいい……俺に払えるものはこの命くらいしかない」
「そうよなぁ。それであればこれはどうだ。数十年、村の豊穣を約束しよう。その代わり、村の半分の命をもらうこと、逆さの太子を祭るようにすること」
「半分の命だけでなく、太子を逆さにするなんて!村を滅ぼす気か!」
「なに、大丈夫よなぁ。我が豊穣を約する以上、他の魔に襲われることはない。それともこの条件を蹴って、みなで滅びるかのぉ」
息子はおおいに迷ったが、村を救う方法はそれしか思いつかなかった。
「わかった。約束しよう」
「そうそう、道観は修復してくれるな。道観はあるだけで厄介ぞ」
「わかった」
そうして数十年が経ち、息子は村の村長となった。
宇軒は村長の自白を黙って聞いていた。その横では梓豪が紙に要点をまとめて書いている。
「道観の祈ると人が亡くなり、修復のたびに壊れていたのは何故だ?」
「はい。それは二度と道観を作らせないために私めが、人を殺し、道観を焼いていました」
村長の言葉に清蘭は背筋が凍るような気がした。この村長は妖魔と契約するだけでなく、人殺しを繰り返している。到底許されることではない。いくら村を守るためとは言え、人として侵してはいけない境界を超えてしまっている。
「それで、今年がその約束の年だったと言うことか?」
村長に質問をしている浩宇は手を握り締め震えている。その目には怒りが浮かんでいた。
「はい」
「ではなぜお前は太子を逆さにしなかった?村人たちには逆さにしていただろう」
「そ、それは……私めには村を守っていく責務があります!まだ死ぬわけにはまいりますまい」
「ふざけるなよ」
浩宇は包帯の巻かれた腕を振り上げ、村長を殴ろうとする。
「浩宇、止まれ。彼は法で裁かれるべきだ」
宇軒の言葉で浩宇はピタリと止まり、後ろに下がった。浩宇は少し不満そうな表情を浮かべているが、宇軒の命令には大人しく従っている。
「まず、数十年前のことは領主の一族として謝罪をするよ。すまなかった。一方で今回の件の原因を引き起こしたとして、村長、君は重罪だ。捕縛して然るべき法で裁くから覚悟するといい」
宇軒は毅然とした態度で言った。兵たちに村長を連れていくように命じる。兵が村長を連れ、部屋を後にすると、机に肘をついて頭を抱えている。
「これからあの村の復興はどうしますか?」
宇軒は梓豪に聞かれると、「うーん」と言ってからしばしの間固まった。
「今回の件はもう僕、考えたくない。色々と起こりすぎてて、どうしたらいいか分からないよ」
今回の件については、王家も無関係ではない。宇軒は領主として早急に村の立て直しに追われるだろう。それでも。
「とりあえず、みんな無事に生きててよかった。村の復興もあるけど、まずは帰ろうか」
宇軒は疲れた表情で微笑んだ。