空間魔導師、天使を拾う
地面を打ち付けるほど降りしきる雨の中、たまたま通りすがっていた路地裏にて〝それ〟は落ちていた。
六枚の黒い翼を持ち、泥に塗れずぶ濡れの状態で地面に横たわる女性に俺は僅かに困惑した表情を浮かべながらこう呟いた。
「えぇ……」
◆
忍足御影、年齢16歳、高校生、彼女いない歴=年齢────そんな俺に対する周囲の認識ははっきりと言って〝日陰者〟だろう。
目立たず成績は常にど真ん中。部活に入っていなければ特に目立った功績を残しているわけでもなく、自分的には個性的な名前だと思っていはいるのだが、何故か誰の印象にも残らない。
そこにいるのに気付かれないというのは日常茶飯事で、そんな俺とも仲良くしてくれている友人でさえ度々存在を忘れる始末。
故に陽キャと呼ばれる部類の連中に絡まれる事も虐めを受けることもない穏やかな毎日で、俺自身もそういったトラブルは極力避けていた。
だと言うのに今、目の前にそんなトラブルの種になりうる存在が転がっている。
翼が一対であったならば天狗か翼を持つ種族のどれかであると思えただろう……しかし目の前に横たわっている女性の翼は何度確かめても六枚ある。
つまり天使族……それも高位に立つ天使だろう。
何故、そんな天使を前にして冷静でいられるのか?
それはこの世界がそういう世界であるからだ。
周囲を見渡してみれば通りには俺のような人間の他に犬の頭を持つ奴や、猫のような耳と尻尾を生やした奴、そして耳の長い奴が何食わぬ顔で歩いている。
そういった世界なのだ。この世界は。
しかも〝魔法〟なんてものも存在し、現代科学と併せた〝魔法科学〟や〝魔法工学〟なんてものも存在するこの世界では、そういった者達の存在もごく当たり前の事であった。
さて、この世界についての話はこれくらいにしておいて、今は目の前に転がっているこの天使をどうするかを考えなければならないだろう。
はっきり言って俺は面倒事は超がつくほど嫌いだ。
成り行きややむなく面倒事を背負うのはまだいい……だが自ら面倒事に足を突っ込もうなどとは毛ほどにも思っていない。
それこそ蟻……いや、ミジンコ……違うな……プランクトン程にも思ってはいないのである。
しかしこのまま見捨てておくのも寝覚めが悪い話ではある。
「はぁ〜〜〜〜……」
俺は盛大なため息をつくと、やれやれといった様子でその女性を背負い、家へと帰ったのであった。
そして家へと到着し、女性を背負う俺の姿を見るなり何か見当違いの事で黄色い声を上げている母親に女性を押し付け部屋へと戻る。
そしてぐっしょりと濡れた制服を乾かしながらこれからどうするかを考えていた。
するとそんな時に勢いよく足音を鳴らしながら部屋のドアをこれまた勢いよく開ける奴らが現れた。
「「おにぃ!あの人誰?!」」
声を揃え、俺の事を〝おにぃ〟と呼ぶ二人の少女は俺の妹達である〝御陽〟〝御夜〟だ。
二人は母さんに介抱されているだろう女性を見て興奮気味のようだ。
だとしてもノックも無しにいきなり入ってこないで欲しい。もっと言うならドアが痛むので勢いよく開けないで欲しい。
まぁとりあえず我が妹達が早く答えて欲しそうにめちゃくちゃ詰め寄ってくるので、さっさと答えることにしよう。
「ずぶ濡れで倒れてたから拾っただけだ」
「拾ったって……おにぃ、犬や猫じゃないんだよ?」
「人間に対して〝拾った〟とは言わない……」
どうやら我が妹達は歳を経てツッコミの腕を上げたようだ。
流石は俺の自慢の天才姉妹だ。
「おにぃ……変なところで私達を天才扱いしないでくれるかな?」
心を読むなと言いたい。
一人で変に感心し、うんうん頷いている俺に御陽がジト目でそう異議を唱えた。
もう一度言う、勝手に人の心を読むな。
「まぁそんな事はどうでもいいとして……結局あの人は何なの?」
「見ての通り天使だが?」
「あぁ……うん……ごめん……言葉が足りなかったよ……」
ちゃんと質問の意味は理解してるから落胆すな。ほんのお茶目な冗談だろが。
「冗談なんて求めてない。こっちは真剣に聞いてる」
だから勝手に人の心を読むなと……まぁいい、確かにちゃんと説明してやらんと話が進まんしな。
やれやれまったく……手のかかる妹達だ。
「誰のせいかな?!かな?!」
「陽ねぇ……おにぃの言葉にムキになったら負け」
ひでぇ言い草。
いや、まぁ……普段の受け答えがこんなだからそう言われても仕方の無いことなんだろうけども。
「はぁ……学校の帰りに路地裏通ってたら倒れてたんだよ。放って置くことも出来ねぇし、とりあえず連れて帰ってきただけだ」
成り行きを説明してやると、途端に二人の妹達は信じられないものを見たかのように目を見開いて俺を凝視していた。
まさに〝開いた口が塞がらない〟を体現したかのように口を大きく開けている。
「なんだよ?」
「おにぃが自ら面倒事に首を突っ込むなんて……」
「陽ねぇ大変……明日はきっと雹が降る……」
失礼だな?マジで振らせてやろうか、お前らだけに。
妹達の失礼な物言いに若干不機嫌になりつつも、俺はそのような事をした理由を述べた。
「うるせぇな。あのまま死体となって発見されたとあっちゃ寝覚めが悪ぃだろ。それに人助けすると後々自分に帰ってくるってもんだぜ。マジで面倒事だったら容赦なく放り出すけどな」
「私達のおにぃながら最低だね」
「でも、これがおにぃだから」
「よーし!その言葉は〝頭にたんこぶを作って欲しい〟って意思表示だな?待ってろ、今すぐにでもお望み通りたんこぶ作ってやるからよ」
失礼極まりない事を言う妹達に、俺は拳の節を鳴らしながらゆっくりと立ち上がる。対して妹達は逃走へと移るが、そこは魔法が日常となった世界……直ぐに〝空間魔法〟でドアの前に空間の壁を作り逃走を阻止する。
一歩一歩、拳を振り上げつつゆっくりと近づいてゆく中、二人は表情を引き攣らせながら俺を見ていた。
「え〜と……おにぃ?いたいけな女子中学生に暴力を振るうのは私、ちょ〜っとどうかな〜と思うの」
「大丈夫、これはれっきとした生意気な妹への躾だ」
「おにぃ。おにぃはかっこいいし、それに優しい。だからその拳を下ろして欲しい」
「ちゃんと下ろすよ?まぁ、〝下ろす〟つっても〝振り下ろす〟んだけどな」
「「ひっ────」」
小さな悲鳴を漏らす二人の頭に振り下ろされる拳。
小気味のいい音が鳴り、二人はゲンコツを受けた頭を抱えてその場に蹲った。
「ふぉぉ……」
「うぅ……」
「なにも尊敬しろだなんて言わねぇが、あまり失礼な事は言うんじゃねぇぞ」
傍から見れば妹に暴力を振るう兄のように見えるかもしれないが、割とこれがいつものやり取りだったりする。
妹達は俺の事を慕ってくれているし、俺だって二人の事を可愛く思っているのだ。
いや……妹達に関しては〝慕っている〟という言い回しには僅かな語弊があるのだが……。
「それにしても、あの人の事はそういうわけだったんだ」
「良かった……てっきりおにぃの彼女さんなのかと……」
「いやいや、どっから〝彼女〟なんて言葉が出てくるんだ?」
「「だってお母さんが……」」
「あぁ……」
妹達が言わんとしていることは直ぐに分かった。
おおかた、あの母親が女性の事を俺の彼女だと遠回し的に言うような真似でもしたのだろう。
我が母親は今でも恋愛ものの本やドラマ、映画が大好きだ。
そのお陰でもあるのか今でも父さんと仲睦まじ……いや、今どきの若いカップルでさえもドン引きしてしまうかのようにラブラブである。
母さんは父さんに首ったけで、父さんも母さんに一途。
そういや前に父さんの同僚から面白い話を聞いたっけな?
確か父さんの後輩の女性が父さんに惚れたのか必死にアプローチをかけたが惨敗。ヤケになって今度は誘惑し始めたのだが、父さんに〝俺の妻の方が色気がある〟と言われて二度目の惨敗を喫したらしい。
確かに子供の頃から〝母さんを泣かせるような事をしたらどうなるか分かってるんだろうな?〟などと実の子供にかけていいものでは無い脅しをかけられてたな。
御陽も御夜も母さん大好きで、俺も母さんには頭が上がらなくて……我が家は母さんを中心に回っていると言っても過言では無い。
はてさて……そんな母親にあの女性の事をどう説明したらいいものやら。
それにしても、例えあの女性が本当に俺の彼女だったとして、部屋に突撃してくるほどのことなのか?
「もし彼女だって言ったとして、お前らには関係ない話じゃね?」
「「関係なくないよ!」」
二人が声を揃えて言う。
「あの人がおにぃの彼女さんだったら……」
「だったら?」
「消してたかなぁ……(物理的に)」
「消してたかも……(社会的に)」
「やめなさい」
そういや我が妹達は〝超〟が付くほどのブラコンだったと、俺は今になってその事を思い出す。
いったい何がきっかけだったのかは知らないが、何故か二人は超ブラコンの妹達へと成長した。
今でも風呂に入ろうとすれば一緒に入ろうとしたり、寝ようと思えばベッドに潜り込んでこようとする。
前にしっかり鍵をかけていたはずなのに、朝目が覚めたら両脇で添い寝していたのを見た時には数分間思考が停止した。
まぁそんな妹達の事である。もしあの女性が俺の彼女だった場合、絶対に人には到底お見せすることが出来ない血生臭い事をしてのけるだろう。
(そうなったら、校舎裏の惨劇の二の舞だなぁ)
〝校舎裏の惨劇〟────それは二人の妹達が校舎裏にて同時に告白された時の事である。
俺が通う〝国立桜杜魔法学園〟は小学校から大学までの一貫校であり、その中で俺と妹達が在籍している〝東京校〟の他に札幌、仙台、名古屋、京都、広島、高知、福岡、そして沖縄の九つの姉妹校がある程のマンモス校である。
故に友人に教えられその告白の現場へと向かったわけだが、妹達に告白していたのは初等部でも有名なサッカー部のキャプテンと野球部のキャプテンであった。
女子達からも人気でいつもラブレターや告白を受けているというが、まさかその二人が我が妹達に告白するとは思ってもいなかった。
まぁそれで成り行きを見届けていたのだが、妹達は断る理由として〝おにぃみたいな人が好きだから〟と言い放った。
兄を引き合いに出されては二人も黙ってはいられない……せめてもの強がりだったのか、それともそう思っていたからなのかは分からないが、二人は妹達の目の前で、
「二人のお兄さん?あぁ、あのパッとしない奴……」
「は?お前らの兄貴なんてダッセェじゃん。俺の兄貴はお前らの兄貴の事〝陰キャ〟だっていつも馬鹿にしてるぜ?」
などと言い放った。
その瞬間────
「「は?」」
底冷えしそうな声音で声を揃えたあと、最初に動いたのは姉の御陽であった。
御陽は二人の……男性の象徴であり、とても大切なモノであり、そして男性にとって最大級の弱点でもある部分を勢いよく蹴り上げた。
それはもう……見事に。お陰で見ていたこっちも思わずその部分を抑えてしまった。
次に動いたのはもちろん御夜……御夜は股間を抑えて悶絶する二人に、大人でも泣き出しそうな程の罵詈雑言を二人に浴びせていた。
まぁ、小学生に馬鹿にされたのは腹が立つが、それ以上に御陽の一撃必殺の蹴りと完全にオーバーキルな御夜の口撃に二人の事が可哀想になっていた。
まぁ、それが〝校舎裏の惨劇〟の全容なのだが、その日以降、その二人は御陽と御夜を見るなり逃げ出すようになったらしい。
憐れだ……。
余談が過ぎたが、とにかくあの女性が目覚めたら二人が暴走し出す前にお帰り願うことにしよう。
ところで……。
「いつまでもそこにいられると着替えられねぇんだが?」
「「気にしないで。見たくているだけだから」」
そんな事をほざく二人を部屋からつまみ出すと、俺はため息をつきながら部屋着へと着替えるのだった。