爬虫類っ子っていうのも可愛いと思う。
(……これ、俺が触った瞬間に孵化しそうだな)
称号『世界樹の祝福者』を持つリィトがこの卵に触ることで、この卵は孵化するだろう。
ウンディーネ神殿の封印を解いたときと同じだ。
この封印を解ける力は、リィトにある。
──ただ、他の土地から持ち込まれた、正体不明の卵という点では躊躇してしまう。
たとえば、古代に生息していたという強大な力を持った火炎竜が生まれてしまって、せっかく作り上げたトーゲン村を焼き払われてしまうかもしれない。
もう最悪だ。
古きよきファンタジーのプロローグは主人公の村が焼かれるところからはじまるとはいえ、一からどころかゼロから作り上げた村がうっかりミスで全焼とか、笑えないにもほどがある。
(うずく! 俺の右手が……っ!)
なにが生まれてくるのか。
興味がないわけではない。
ただ、万全の体制を整えたいというのが正直なところだ。
「少なくとも、リコが起きるまではな」
リコが眠っている状態で卵に触るのは避けたい。
「リィト~っ!」
「ミーア、来てたのか」
「特別ラベルの果実酒の発注、なんと前回の五倍ニャッ!」
「そりゃすごい」
発注書を掲げて、目を輝かせているミーア。
秋の書き入れどきを前に、ガルトランドとトーゲン村を行き来する生活をしている。
魚人族たちのおかげで、特急竜車を使わなくても海路で行き来できるようになった。今までよりも片道二日ほど行き来にかかる時間を短縮できたのは大きな収穫だ。
商人にとっての二日間は死活問題だ。
商談は日々猛スピードで進み、一日でも早い納品が約束できるほうが戦場を有利に戦える。
「……船酔いは大丈夫なのか?」
ガルトランドとトーゲン村を繋ぐ船旅も数回目。
魚人族がモーター代わりになって小舟を押してもらう旅に、最初はグロッキー極まりなくなっていたミーアだったが。
「大丈夫ニャ! ついでに毛玉を吐けばおっけーニャ」
「なにもOKではないのでは……」
めずらしく、みんなが勢揃いしている。
世界樹の若木の根元で丸まって眠るリコ。
リコを守るように寄り添う、もふもふのヌシ。
その近くに作られた牧場では、ポチ──フニクリ村からやってきた牧羊犬になった狼型モンスターが、牛たちを穏やかに追いかけ回している。ベンリ草で編まれた首輪に生い茂る緑が眩しい。
「わふっ、うぉん!」
トーゲン村にやってきてからというもの、すっかり穏やかな性格になったポチ。気性の荒さを加速させる性質の火属性の魔力が飽和していたところに、対極となるウンディーネの魔力が加わったことが原因だろうと推測できる。
水辺には魚人族。ぷぎゅぷぎゅと鳴きながら走り回っているのは、農業用水を引くための水路の手入れをしてくれている。
川の小魚を捕まえようとマンマが転んだところを、魚人族たちがぷくくと笑いながら助けている。
「いや~、のどかだなぁ」
なかなか思い通りにはならない自然と触れ合うことで、ミーアやマンマが都会でため込んだストレスも軽減しているようだ。
(個人的には、もっと癒やしスポットというか、娯楽スポットがあるといいんだけどね)
若干の眠気を感じながらのどかな風景を眺めていると──
「ぐるるっ」
突然、鋭い眼光でポチが立ち上がった。
それと同時に、少し大きくなった小ヌシたちが尻尾を立てて警戒している。
リコの隣で眠っていたヌシも立ち上がり、牙をむいている。
「……? どうしたんだ」
花人族たちと一緒に農作業をしていたアデルが、異変に気付いて駆け寄ってくる。
【ハイ・テイマー】の称号持ちであるアデルのそばに、もふもふ二匹がやってくる。
アデルが二匹のうなり声を耳にして、「えっ」と小さく声をあげる。
同時に、ナビが索敵を完了した。
「──報告。川下から敵性反応が接近しています。数は百から百二十、魔力反応は十二、魔導師と推測……」
「いや、それ……待てよ、ガチじゃないか!」
兵力百二十人。
魔導師十二人。
中規模地下遺跡の制圧の標準的な兵備だ。
「あの旗は!」
川下から進軍してくる小隊の旗印を目にしたアデルが息をのむ。
「……クレイグ辺境伯」
はためいているのは、ジュリアン・クレイグの旗印。
場所を知られないように細心の注意を払っていたはずのトーゲン村に攻めてきたとは、いったいどういうことなのか。
「海から……ってことは、まさか──」
「み、ミーのせい……っ!?」
海路を使って、ガルトランドの中心地とトーゲン村を行き来しているミーアとマンマ。おそらく、そこをつけられたに違いない。
「執念深いにもほどがあるだろ……っ!」
リィトは世界樹の若木を振り返る。
眠っているリコを動かしていいものかどうか、リィトは悩む。
村を見回す──ジュリアン・クレイグの進軍によって、この豊かになった村がどうなってしまうのかを想像する。
(……わざわざこんなところまで攻め入ってきたってことは……ロマンシア帝国から指令があるはずだ)
ガルトランド自治区との友好関係の確立は、対魔百年戦争で内部の経済も生産力もボロボロになっているロマンシア帝国にとっては死活問題といえる。
そんな中で、ジュリアンが独断でこんな場所まで進軍することはありえないはずだ。
ロマンシア帝国から、なんらかの許可を得た行軍である可能性が高い。
……おそらく、リィトがアデルをたぶらかしているとか、あるいは、謎の卵を強奪したとか、そういった理由でもって。
「……まずいな、これ」
攻め入った先の村を、軍隊がどうするか。
そんなことは、少し想像すればわかる。
「ど、ど、どうするのニャッ」
「ふにゃあ……これ、大スクープでありますにゃっ、で、でも」
ギルド所属の猫人族ズが、不安げにリィトを見上げる。
魔物との戦いを巧妙に避けて、百年間の平和を享受していたガルトランド自治区──細かな問題こそあれ、ロマンシア帝国よりもはるかに先進的で自由な土地に生きてきた彼女たちを守らねば。
「……でも……」
リィトが『侵略の英雄』と呼ばれていた理由。
それは、彼の魔導の性質によるものだ。
植物というのは、世界でもっとも侵略性の高い生き物だ。
どんな軍隊にも破ることのできない堅牢な城壁も、木の根が張ってしまえば数十年後には森の中に沈んでしまう。
木の根はゆっくりと、しかし、確実にすべてを破壊する。
そして、一度破壊された建物や石は決して元通りにはならないのだ。
つまり。
「……俺が戦えば、どっちにしてもトーゲン村が……」
また一から作り直すことはできるかもしれない。
けれど、数ヶ月を費やして、少しずつ、みんなで作ってきたトーゲン村はもう戻らないのだ。
「リィトさまっ!」
リィトがじっと黙りこくっていると、フラウの声が響いた。
「……フラウ?」
「わるいひと、帰ってもらいますっ」
花人族たちを従えてフラウが立っていた。
「えっ……」
「これ、ししょーが、言っていました!」
フラウがいつも抱えている、人族語の辞書。
その最後のページにあるのは、世界各地を旅している伝説の魔導師であり、リィトの師匠である人の署名。
そして。
フラウがめくった、辞書の最初のページにはこう書いてあった。
──戦いとは、なにかを守ること。
見慣れたくせ字。
かつてリィトが言い聞かされたのと同じ、師匠の座右の銘。
それでも。
なにかを守るために戦う、ということがピンとこないままにリィトは生きてきてしまった。ただ、自分が強い力を持っていることがわかったから戦う──それがリィトのあり方だった。
けれど、今は違う。
「この村、まもりますっ」
「……ああ、そうだね」
むふん、と勇ましい表情をしているフラウたちに、リィトは胸が熱くなる。
フラウだけではない。
花人族と魚人族たちが勢揃いしている。
さらには──、
「リィト様、この子たちが……」
アデルの両脇に、狛犬のように控えているヌシとポチがぐるぐると唸っている。足下にいる子ヌシたちもやる気満々だ。
「それに、戦うじゅんび、できてますっ!」
「えっ」
フラウがむふんと胸を張る。
「どうして……?」
のどかで、外敵の心配のないトーゲン村の住民たちが、突然の出来事にも狼狽えずにいる理由。それは──
「ふにゃ~……やはりわがはいの仕入れた情報は正しかったであるか」
「ミーの仕入れも完璧ニャッ! 傭兵ギルド御用達の投石器もほれこの通り!」
「にゃふっ。情報とは戦なり、戦とは情報にゃりっ!」
「ミーたちだって、戦えるのニャッ!」
ミーアとマンマが、むふんと胸を張る。
「ミーア、マンマ!」
ギルド自治区ガルトランドに生きる猫人族。
リィトの開拓と冒険に散々付き合ってくれる、よき理解者。お互いの利害関係の一致があってはじまった、トーゲン村と彼女たちの付き合いだけれど。
「……いや、俺に言ってよ」
「ふにゃ? 言えばきっと、わがはいたちを巻き込まないようにしたである」
マンマが、またもむふんと胸を張る。
二段階むふんにより、もはや天を仰いでいるマンマである。
「ここを大切に思っているのは、リィトだけじゃないってことニャッ」
リィトは集まってきた全員を見回す。
花人族は、家族単位の集団──コロニーごとに集まって、すでに戦う準備を進めている。
魚人族たちも、輪になってずいずいと踊っている。彼らの作戦会議なのだろう。
「……はは、なんだよ」
ジュリアンの軍がやってくるまで、数十分。
リィトの植物魔導を使わずとも、勝てる道筋はある。
こうなればリィトがやるべきことはひとつ。
誰ひとり、村人が傷つくことのないようにするだけだ。
──大切な人とこの場所を、守るために戦うだけだ。
◆
フニクリ村にあった卵。
高位魔力生命体の存在していた時代の遺物であると伝えられているが、待てど暮らせど孵化しない。フニクリ村から持ち出すと、生命反応が消えそうになる。
……対魔百年戦争のせいで伝承は途切れ、ただただフニクリ村に安置されている謎の卵として扱われるようになってしまった。
管理を怠った結果、リィト・リカルトにその卵を譲渡してしまったという失態を報告したジュリアンは、一計を案じた。
卵を持ち去った、リィト・リカルトは宮廷から追放された身。
アデルは第十一帝国騎士団名誉団長として長期の地方偵察……と銘打って、リィトと行動を共にしている。
「さぁ、謀反を計画する不届き者の本拠地を叩くぞ」
リィト・リカルトをロマンシア帝国に仇なす謀反者──帝国の秘宝を「強奪」し、アデリア姫をかどわかした魔導師――として仕立て上げ、ロマンシア帝国中枢からの直々の指令を受けて、ジュリアンはこの地へ派兵することに成功したのだ。
「……む?」
秋のはじまり、夏の終わりの朝にはふさわしくない、濃霧が立ち込みはじめる。
急激に悪くなった視界に舌打ちをしつつも、ジュリアンは兵を進める。
たかが、村ひとつ。
滅ぼすことは簡単だ。
「……情報ギルド『ペンの翼』から仕入れた情報によると、村人は数人の人族だけとか」
「ふん、村とも呼べぬか──だが、そやつらが危険因子であることには変わりはあるまい。猫人族がいかに怠惰といえど、その程度の情報は持っているのだな」
ガルトランド自治区では猫人族が、人族相手に商売をしていることを知った。怠惰で、わがまま。そんな猫人族相手に取引をすることははばかられたが、長毛種の猫人族の記者は、どうやらギルド一番の敏腕とのことだった。
「待っていろ、リィト・リカルト──」
ジュリアンが連れてきたのは、火を操る魔導師のなかでも一流の十二人。
信頼できる情報筋によれば、リィト・リカルトの植物魔導にも弱点がある。
実際に、火を操るモンスターが多く出没する地下遺跡では『侵略の魔導師』──が攻略に有効ではなかったという報告を受けている。
つまりは、いかに魔導により操られた植物といえども、炎には勝てないようだ。
「霧などどうでもいい、火を放て──」
腕利きの魔導師十二人が呪文を唱え、あるいは地面に魔法陣を展開する。
遠隔地から炎魔導で攻撃をする、という卑劣かつ王道をゆこうとするジュリアンの耳に悲鳴が響いた。
「うわあぁああぁ!」
「なんだ!?」
魔力によって灯った火が、消えている。
熟練の炎魔導による火は、ただの水では消えぬはず。
それこそ、より高位の水魔導でしか──
「ぶふっ」
ジュリアンの顔面に、冷たい水が炸裂した。
鼻の穴に水が入り込み、キンとした痛みにむせかえる。
「なんだ!?」
「こ、これは……水鉄砲です!」
「はああぁ!?」
先導隊から、さらなる悲鳴があがる。
「う、うわぁぁ!」
「くさい!」
飛んでくる泥の塊……ではなく。
牛の糞だ。すごい勢いで投げ込まれる牛の糞に、クレイグ辺境伯軍の士気がくじかれていく。
これは、いったいどういうことなのか。
「り、リィト・リカルト──ッ!」
ジュリアンは吠えた。
◆
「やった、撤退していくニャッ!」
ミーアが飛び上がって、歓声をあげる。
誰も傷つかないためには、ジュリアンたちの軍をトーゲン村に近づかせないこと。リィトたちは、徹底してそのための戦いをした。
ウンディーネの契約者であるリィトが呼びかけると、ウンディーネはこの地の守護者の一柱として顕現し、クレイグ軍の周囲に濃霧を発生させてくれた。
霧も水のうち、である。
さらに川沿いに進軍してくるところへ、川の中を縦横無尽に泳ぎ回る魚人族が水鉄砲で攻撃する。水の中において、人族が魚人族に勝てるはずもない。
リィトがベンリ草でバリケードを築いた。
そのバリケードの中に入り込んだ花人族たちが、ミーアの仕入れてきていた小型投石器で牛の糞を投げつけていく。
こちらの戦力を見誤っていたのか、クレイグ軍は大混乱に陥っていく。
「よし、これなら──っ!」
大将は見晴らしのいい場所に陣取るのがセオリーだ。
本来は東の山の中にでも陣を築くのがよいだろう。
けれど、リィトの中には、トーゲン村から離れるという選択肢はなかった。
少し小高くなっている、世界樹を植えた場所。
そこに陣取って、戦況を見極める。
おそらく、クレイグ軍の撤退はまもなくだ。
対魔百年戦争は、まったくもって話の通じないモンスター相手の講和なき消耗戦だった。
けれど、ロマンシア帝国側の軍が敗走するときのパターンは限られている。
混乱と戦意喪失だ。
いかに優れた指導者と、練度の高い兵が揃っていたとしても、戦意をくじかれればたちまち烏合の衆になる。
「このまま帰ってくれればいいんだけど」
世界樹の根元で、卵を抱いて眠るリコ。
彼女をここから動かしていいかどうか判断がつかないところだった。
このままジュリアンたちが撤退してくれることを願う。
正直、彼らが撤退したあとにさらに大きな勢力が攻めてくる可能性もあるが、時間さえあれば手の打ちようがある。
マンマが情報ギルド『ペンの翼』としてジュリアンたちの動きを掴んだり情報を錯綜させておいてくれたように、パンチやキック以外での戦い方もできるのだ。
「精鋭兵が入り込んだようです、いってまいります!」
「アデル、くれぐれも気をつけろ」
「はい、リィト様──お任せを!」
ヌシとポチを連れて、アデルが飛び出していく。
アデルをただのお姫様扱いはしたくない。いや、しないとリィトは決めている。彼女はいつだって、誰かのために戦う騎士だ。
戦況を見極め、守りが危うくなったところに植物魔導で局所的な支援をする。
世界樹の周囲には、非戦闘員──年老いたり、幼かったりする花人族と魚人族が身を寄せ合っている。
(このまま、うまくいけば)
ふと。
リィトは違和感を覚える。
(あれ、ジュリアンは……?)
総大将の姿が、ない。
リィトがジュリアンの姿を探すのに集中している、そのときだった。
「ナビ、索敵を!」
「敵性反応、一。近いです!」
魔導関連の現象が手に取るようにわかるスキル『探羅万象』を持ったナビの索敵精度がこの程度ということは。
魔力反応が低く、かつ、戦闘能力が高いことの証左だ。
まずいかも、と思ったとき。
「きゃああ!」
みなをまとめていたフラウの悲鳴が響く。
「しまった!」
「リィト・リカルトッ! 返してもらうぞ、我が領地に任された秘宝!」
ジュリアンが花人族たちを蹴散らし、世界樹の根元に眠るリコの腕を掴んでいた。
ジュリアンが骨がきしむほどの強さでリコの腕を掴む。
それでも卵を手放さないリコに、ジュリアンがいらだち右腕を振り上げる。
「リコ、危ない!」
ベンリ草を使った植物魔導にはどうしても発動までにラグがある。
ジュリアンが今繰り出そうとしている人類最速の攻撃、それはビンタだ。
リィトはなりふり構わずに、リコを庇って飛び出した。
ばき、と。
鈍い音が響く。
「……いっで」
侵略の英雄。
そんな物騒な名前で知られるほどに、自らが危険に晒されることなくすべてを蹂躙してきた。
だから。
こんな、シンプルな打撃を受けるなんて久々だ。
それこそ、この世界で過ごした幼少期以来なのではないだろうか。
「……こんな小さい子になにをするんだ」
「邪魔をするな、殺すぞ」
幼い女の子に手を上げるなどありえない。
この卵が何であろうと、そんなことが許されるはずもないだろう。
「なあ、この卵はいったいなんなんだ。そんなに執着するなら返すから」
「ふん、叩き壊してやりたいくらいだ……ただの戯れ言のようなおとぎ話に振り回される身にもなってほしい。こんな卵が──」
その時だった。
リィトが庇ったリコが、ぱちりと目を開ける。
「リコ……?」
むくりと起き上がったその気配が、いつもと違うことに気がついてリィトは息をのんだ。
(な、んだ……この魔力量……っ!)
まるで巨大な山だとか、あるいは広大な湖だとか。
そういった、古くからの魔力をため込んだ場所──得てして地下遺跡が発生しやすいパワースポットと同じかそれ以上の魔力を、たったひとりの小さな体にため込んでいる。
いや。
ため込んでいるのではない──生み出している。
「……とうさまに、なにをしている」
リコが、小さく呟く。
いつものあどけない表情ではない、氷のような無表情。
まるで神かなにかの化身のような、リコのオーラ。
★挿絵⑦
そんな存在を目の前にして、そして、敵意を向けられれば──
「ひっ……」
巨大狼ことポチに襲われたどころではない。
脂汗と震えが止まらない様子のジュリアンは、尻餅をついたままずりずりと後退していく。
「いとしごは、わたさない……ここから、たちさりなさい」
謎の卵を抱きしめて、静かにリコはジュリアンに命じた。
「うぶっ」
顔面蒼白になったジュリアンが、口元を押さえながらあとずさっていく。
村を見れば、ジュリアンが連れてきた兵士たちも散り散りになっている。十二人の魔導師たち(牛糞まみれ)が呆然としてこちらを見上げている。
それはそうだ。
規格外の、常識外れの魔力量を宿した女の子。
そんなものが目の前に存在するなんて、要するに片手で軽トラを持ち上げる小学生を目撃したようなものだ。幽霊よりも恐ろしい。
──敗走。
ジュリアンたちは逃げていき、トーゲン村に平和が訪れた。
「…………勝った」
リィトは、呟いた。
腕が震えている。
大地を蹂躙する植物魔導を使わずに、大切なトーゲン村を守りきれた。
それはたぶん──。
「リィトさまっ!」
「とうさまっ」
「……フラウ、リコ」
ぎゅっと、リィトに抱きつく二人。
遠くでは、アデルたちがこちらに手を振っている。
雲に隠れていた太陽が顔を出す。
「……我が契約者よ」
日に照らされる世界樹の木漏れ日のもと、ウンディーネが顕現する。
高位魔力生命体であるウンディーネの本体は、世界樹がまだ不完全にしか復活していないこの世界において、魔力の節約と補充のために普段はウンディーネ神殿で眠っている。
「わらわの対となる存在が目覚めるぞ──」
「え?」
リコが卵をリィトに差し出す。
ウンディーネ神殿で起きたのと同じように、リィトと一心同体の存在である人工精霊ナビが──淡い、赤い光を纏う。
その光の発生源は、リコの抱いている謎の卵。
赤い斑点と底に浮かび上がった文様が光り、ナビの手首に出現した腕輪と共鳴する。
『……世界樹の加護、発動』
硬質なナビの声が響き、スキル『探羅万象』が発動する。
感覚が、拡張する。
リィトは感じた──ウンディーネとは違う力が、流れ込んでくる。
相棒であるナビが、宣言する。
『命令者、世界樹の祝福者。対象──火精霊起動』
「う、わ……」
卵が割れて、中からまばゆい光がほとばしる。
その場にいた全員が思わず目をつぶる。
光が収まって、目を開けるとそこには──。
「ぴっきゅ?」
とても幼い男の子が座り込んでいた。
その頭には角が生えて、下半身は赤いトカゲのよう。
お尻からはムチムチの尻尾が生えている。
「ふにゃ……これは、竜人族であるか?」
竜人族といえば、強大な魔力と戦闘力を有した少数種族だ。めったに他の部族の前には姿を現さず、なかば伝説の存在となっている。
半人半竜の姿である、と言われているが……この子は違う。
スキル『探羅万象』を発動する。
強大な火属性の魔力を帯びていた。
「……火精霊……!」
ウンディーネの言っていた、対となる存在というのがそれか。
ナビの首元にはウンディーネの宝玉、腕には火精霊の宝玉。
そして。
「──称号【火精霊の保護者】を獲得しました」
「ほ、保護者」
「新規スキルの獲得は未確認──今後、火精霊の存在安定化にともない出現するものかと」
なるほど、わからん。
リィトは大きく息をついた。
ジュリアンと帝国側の今後の動きは気になるところだが、まずは今日という日が守られたことを喜ぼう。
「ぴっぎゅー」
にぱっと笑った火精霊は、も……っのすごく可愛かった。
ほっぺたつやつやの、尻尾もちもちの少年。
あまりに可愛い。
◆
要するに。
世界樹の復活によって、ウンディーネが復活。
ウンディーネの復活によって、その対となる火精霊の魔力がフニクリ村近くで活性化。それにより家畜であった牛が魔物化した。
それが、リィトの出した結論だった。
火精霊が復活した今──トーゲン村には、ある癒やしスポットが出現した。
「ぴきゅっ」
「……我が同胞イフリートよ、さようにわらわの水を湧かすではない」
「ぴっきゅぅ♪」
「はぁ、もう……幼子というのは無邪気なものです」
ウンディーネと火精霊の力がぶつかり合うところに、温泉が湧くようになったのだ。
猫人族たちのためのトーゲン村の癒やしプログラムが増えたのだった。
「かぽーん、だにゃ……」
「ああああ……癒やされるニャ~……」
「ふぅ……筋肉がほぐれていきます……これはトレーニング後に最適……」
露天風呂でほかほかになっている女子たちから目を背けながら、リィトも温泉を堪能する。
抜けるような青空。
露天風呂。
畑を吹き抜けてくる風から香る実りの匂い。
「はー……最高……」
遠くでは村人たちのはしゃぐ声が聞こえる。
「とうさま」
「ぬわあぁっ!?」
神出鬼没の美少女、世界樹の精リコ。
火精霊の卵が孵化して以降、さらに木が生長している。
もはや立派な樹木となった世界樹。
トーゲン村には、世界樹の生み出す空中魔力と、精霊たちの生み出す水と火の魔力が満ちている。
二つの対極にある魔力が存在することで、より魔力が安定化しているようだった。それにともない、リコも長い時間眠り込むことなく、ひとりの少女として生活している。
「こっち見るなって、ほら」
リィトはリコの視線から必死に体を隠す。
核心部分には布は巻いているけれど、照れるのだ。
「とうさま、ありがと」
にこ、と微笑むリコ。
ただ、それだけを言って、リコは駆けていく。
その先には、フラウと子ヌシたちがじゃれ合っている。
青空に枝を伸ばす世界樹が揺れている。
「……はは」
可愛い子どもたちに、もふもふたちに、農地に、精霊たち。
まだまだ、わからないことが多い世界の仕組み。
トーゲン村には、リィトが夢見た穏やかな時間がある。
「俺、スローライフ満喫してるな……」
リィトは空を見上げて、魔力豊富な温泉に肩まで浸かりなおした。
◆
ロマンシア帝国、中心部。
枢密院の評議会は「あーあ」という空気に包まれていた。
「……つまり、クレイグ卿。霧の向こうに、水でできた美女を見た者が続出したと」
「はい」
「卵を持ち出したのは、リィト・リカルト。その卵には紋章が浮かび上がっていた……というのだな」
「はい、その通りです……」
「伝承の通りか──まさか、そんな」
すでに、ロマンシア帝国各地の観測台からは魔力のバランスが変化、あるいは崩壊しているという報告があがっている。
ガルトランド自治区内に、高濃度の空中魔力が観測されたという噂も──……。
「まったく、あの男は──我が帝国に必ずや連れ戻せ」
枢密院の最高意思決定者。
ロマンシア帝国第七代皇帝、ル・ロマンシアが呟く。
長期の領地視察から帰ってきてみれば、懐刀と思いかくまっていた『侵略の英雄』はなぜか追い出されていた。
なんということか。
ロマンシア帝にとって、リィト・リカルト奪還は悲願である。
長期の視察旅行という名目で城をあけているお転婆姫のことも気に掛かる。第六皇女という弱い立場でありながら、もっともロマンシア帝と気が合う娘なのだ。
兄たちに結婚の圧力をかなり強く受けていた、というアデリア親衛隊もとい近衛兵の報告もある。
彼女の処遇については思うところがあるロマンシア帝であるが、皇帝といえども城内のパワーバランスに下手に逆らうことはできない。
「……はぁ」
頭が痛い。
ロマンシア帝は大きく溜息をつく。
「ああ……休暇がほしい」
心も体も安らぐような、そんな桃源郷はないだろうか。
外の風景を真四角に切り取った窓から青空を眺め、ロマンシア帝は遠い目をするのだった。