本当に怖いのは野生動物だと思う。
楽勝とはこのことである、とはマンマの記事の書き出しだ。
『ロマンシア帝国のモンスターハントの実情』という企画の取材のために、今回は情報ギルドの気鋭の記者、マンマが同行している。
そんな話、鎖国政策の成功で都市部にほとんどモンスターがいないガルトランド自治区で需要があるのだろうか……とリィトとしては思うのだが、思えば隣国の生活事情というのは人気コンテンツなのかもしれない。
前世でも、某隣国の生活事情なんかのネット記事はついつい読んでしまったリィトである。
船旅ののちに、フニクリ村の近くの森は湿った木々と獣の匂いに満ちていた。
野生化、もとい魔物化した牛たちの捕獲作戦中のリィトたちである。
「これ、記事になるのかにゃあ?」
目の前の光景を眺めながら、マンマが溜息をついた。
魔物化した牛たちとの派手な戦闘を期待していた様子のマンマにとっては、つまらない──というか、撮れ高のなさすぎる光景だ。
なんといっても、魔物化した牛たちがアデルの登場と同時に大人しく服従のポーズをとっているのだから。
「絵面が地味にゃ~」
「そこはマンマの腕で盛ってもらって……」
アデルの新スキル「ハイ・テイマー」の効果は絶大だった。
本当に、歩くだけで牛が向こうから寄ってくるのだ。
アデルは牛たちの言葉を理解し、村に戻ってきてほしいと話せば二つ返事でよいと言ってくれるのだ。
「んっも、んっも!」
ちなみに、これが牛たちの二つ返事である。
ちょっとした嘶きにしか聞こえないが、アデルは嬉しそうに牛たちの頭をなでる。
「んぶもぉ~♪」
アデルのような動物会話スキルを持っていないリィトにもわかる。
あれは、「ご満悦~♪」とかそういうことを言っているのだろう。
アデルの白い指になで繰り回され、顔をぎゅっと抱きしめてもらっているのだ。帝国騎士団に存在するアデル姫親衛隊の面々が知ったら阿鼻叫喚だろう。
「ふにゃあ……せっかくの取材にゃのに、これじゃただのお散歩にゃ……」
「な、なんだか申し訳ございません」
「いや、むしろ助かるよ。アデル」
正直、到着から数日かかる仕事だと思っていた。
前回の上陸はゲリラ的にうまくいったけれど、その際に領地の作物をまるまるオリーブの木に置き換えるという所業を働いている。
場合によっては──というか、どう考えても侵略行為なのである。
(怒られる前に、ここを立ち去りたい……っ!)
アデルも同伴である。
ふった女と、ふられた男。
この世でもっとも揃ってはいけないものだ。
「それにしても、牛が子猫のようだにゃあ……でっけぇ子猫にゃ」
猫人族的に「子猫」ってどういう感情で発している言葉なのだろうか──などと考えながら、リィトはそわそわと落ち着かない。
「よし、そろそろ戻ろうか」
「はい! 残りの牛さんたちは、みなさんが連れてきてくださるそうですよ」
「めっちゃ手懐けていらっしゃる……」
筋力と人徳。
もしかして、このお姫様は最強なのではないかしら。
リィト・リカルトは、うら若き第六皇女の底力に震えた。
部下を動かす──あらゆる中間管理職が悩んでいることを、容易にやってのけるアデルであった。
「……?」
「どうした、アデル」
「いや、この子たちが……『助かった』と言っているのです」
「助かった?」
「……山に……怖い、ものがいる……?」
称号【ハイ・テイマー】のおかげで、アデルが動物言葉を交わすことができるようになったとはいえ、相手はやはり動物だ。使える語彙に限りがある。
「……こいつらの天敵になりえる、モンスターが?」
詳細は不明だが、できれば対処しておいたほうがフニクリ村にとってはプラスだろうが……。
もっしゃもっしゃと草を食べている牛たち。
でっかい角に、鋭い眼光。
魔物化しているとはいえ、アデルによってテイムされてしまえば、のどかな農村の風景と変わらない。
活火山の地熱のせいで山の頂上にいくにつれてはげ山になるが、このあたりには下草が生えているし、ちょっとした雑木林になっている。
野生化、かつ魔物化した牛たちは、この草を食べて暮らしていたようだ。
家畜としては、のんびりまったりと農作業に従事したり牛車を引いていたりする彼らが、ムキムキのマッチョ牛になっている──どこか、バキバキに鍛え上げられた肉体を持つお姫様を彷彿とさせなくはない。
「それにしても、牛が魔物化なんて聞いたことがなかったな」
大迷宮、と呼ばれる大規模な地下遺跡の近くでは野生動物がそこから漏れ出る魔力の影響で魔物化することはあった。
「火属性の魔力の影響……って言っていたよな、ナビが」
だとすると、その「怖いもの」という謎の存在も、魔力の影響を受けているかもしれない。
リィトは考える。
「んもっ」
スキル『探羅万象』で、牛たちの魔力を探る。
なるほど、たしかに火属性の魔力を纏っている。
だが、出所は?
たしかに、火山などの大規模な自然物が帯びている魔力というのはある。かつての世界に満ちていた空中魔力の残滓のようなものだ。
……だが、動物を魔物化するほどの力があるとは思えない。
「……ってことは、地下遺跡がこの近くにあるってことだよな」
フニクリ村には小規模なモンスター発生の報告がある、とアデルが言っていたし──。
「精霊神殿の跡地が地下遺跡……元は、ここもウンディーネみたいな精霊が存在していたってことだよな」
そこが魔力の発生源ということか?
急に魔力が活性化した、ということは──もしかして、ウンディーネが復活したことと、なにか関係があるのだろうか。
(ってことは、魔物化を食い止めるには地下遺跡を叩くしかないけど……面倒だな……)
もう、そういうレイドバトル的な不毛な戦いとは手を切りたいのだ。
もしも地下遺跡が原因だとしたら、浄化とか封印とか一切考えずに、植物魔導で巨木を上から生えさせて物理的に埋めてしまおうか。
もう、ただの残党処理。雑でも許されるはずだ。
そんなことを考えていると、演算をしていたナビが呟いた。
『分析結果報告……牛たちの魔力反応、以前よりも薄まっています』
「え?」
ナビが空中に顕現し、リィトに耳打ちをする。
別に誰が聞いているわけでもないし、普通に話してくれればいいのだが。ナビは時折、むやみやたらに距離が近いことがあるのだ。
「……魔力の発生源が消えてる、ってことか?」
(……フニクリ村にあった魔力の発生源が、なくなった──って……あっ)
海の向こうのトーゲン村。
そこのシンボルとなりつつある世界樹の根元に作った小屋で、すやすや眠っている美少女を思い出す。
世界樹の精霊である美少女リコが抱いて眠っている、ヨッ●ー じみた大きな卵を思い出す……。
「もしかして、あの卵が……?」
可能性としてはありえる。
周囲を魔物化するほどの、強大な魔力──その発生源があの卵だというのなら、リコが大量の魔力をあの卵に注ぎ込んでいるのも納得できる。
失った魔力を、注ぎ込む。
あの卵が孵化するのに必要な分の、大量の魔力を──。
(これは、いよいよ早々に帰ったほうがいいな)
あの卵のそばを離れるのは、得策ではなかった。
さっさと雌の牛を連れ帰って、卵の様子を見に行きたい。
絶対に面白い。
「ふにゃ、リィト……とんでもない顔をしているにゃ」
「え?」
「眉間にしわを寄せながらニヤニヤしてるにゃ……」
「そ、そうかな」
「そのお顔をされているときには、まもなく名案が浮かぶときなのです」
アデルが胸を張って誇らしげに言う。
「え。そんなイメージ?」
「はい、リィト様が一番楽しそうにされているのも、そのお顔をされているときです」
「……悪ぃ顔にゃ~」
「えっ」
うぷぷ、と笑うマンマ。
楽しそうにメモ帳にペンを走らせている。
紙が貴重な世の中なので、ものすごいチマチマとした字だ。なお、老眼鏡もない世の中である。
「ちなみに、それってなに書いているの?」
「にゃふ、リィトの言行録にゃ」
「げんこーろく」
「ゆくゆくは、トーゲン村がビッグな一大勢力になったら、わがはいがリィトの伝記の執筆者になるのにゃ」
「なるほどなー」
ちなみに、この世界ハルモニアでは紙が希少なこともあり図書館や貸本が本の流通の主になっている。
おそらく、マンマが伝記を執筆したとして、印税的な儲けには乏しいのではないだろうか……とは思う。
それでも書きたいと言ってくれているのは、ありがたい。
だが、紙の大量生産ができれば──いつか、衣食住が満ち足りたら、やってみてもいいかもしれない。
ああ、のどか。
牛たちをフニクリ村に戻したら、雌牛をより分けて数頭いただけばミッションコンプリートだ。
──そのとき。
「……緊急報告、マスターっ!」
「ナビ?」
リィトの中で休眠していたナビが、切迫した表情で顕現する。
「異変を察知。……フニクリ村に、敵性反応があります!」
「えっ」
フニクリ村には、花人族たちがいる。
フラウを中心にして、一家族から二家族ほどの花人族が今回の旅行には同行していて、村人にオリーブの手入れを教えているはずだ。
よい実の選び方から、ついてしまった虫の追い払い方まで、懇切丁寧に教えてくれている。
フラウの通訳もあれど、花人族たちのボディランゲージはフニクリ村の人々に通じていた──主に子どもに。
子ども特有の謎コミュ力でもって花人族たちとダンシングコミュニケーションをとる光景は、かなり微笑ましかった。
敵性反応、という言葉に心臓が冷たくなる。
このあたりに、危険度の高いモンスターがいるわけではないが──絶対に、誰も傷ついてほしくない。
せっかくのスローライフだ。
きな臭いイベントなんて、まっぴらごめんだ。
「参りましょう、リィト様!」
リィトに先駆けて、アデルが走り出す。
ここは彼女の守るべきロマンシア帝国の領土、そして、彼女の仲良しであるフラウにも危険が迫っている。
「にゃっ! ちょ、ちょぉ、待ってくれにゃあ~っ」
日頃の運動不足と寝不足のせいで、とてて、と走ってよろめくマンマ。
怪我も危険もなさそうなことを確認して、リィトは踵を返す。
むしろ、戦闘に不慣れなマンマはこの場所にいたほうが安全かもしれない。
牛たちはすっかりおとなしくなっているし、村に起きている脅威は未知だ。
ならば、ここで待っていてもらうのが得策だろう。
「急がないとっ!」
アデルが強く地面を蹴る。
地面がえぐられるほどの脚力。
「うおおおおおっ!」
「うわ、そんな……木をなぎ倒すのはちょっと! いでっ!」
最短距離を駆け抜ける──そのために、アデルはフニクリ村までの直線距離にある木々をなぎ払いながら駆けていく。
強靱な筋肉があろうが、木の枝や葉っぱは生身のアデルの皮膚や髪の毛を容赦なく傷つける。
「……こういうときこそ、頼りにしてくれればいいんだけど」
リィトは小さく呪文を呟く。
植物魔導師にとって、森はテリトリーといっても過言ではない。
「っ!? これは……木々がわたしを避けてくださる!?」
「それだけじゃない……さっ!」
木の根っこを編み上げて、舗装する。
ベンリ草を編み上げて、トロッコを作る。
──車輪は舗装された道を、一気に駆け下りていく。
「乗れ、アデル!」
「はいっ!」
トロッコに乗って、山を駆け下りる。
◆
一方その頃、マンマは震えていた。
……なんで。
なんで、置いて行かれねばならないのだ。
情報ギルド『ペンの翼』の敏腕記者を、背後に置いていくなんて。
「ゆ、ゆるせにゃいっ」
運動不足の猫人族では、きっとリィトたちには追いつけない。
植物魔導を使って、なんか森をねじ曲げてるし。謎の乗り物を作ってるし。
どうにか追いかけなくては。
スクープを逃したくない。
しかし。
どうにかして、追いつこうにも猫人族の小さな体躯で、しかも運動不足で徹夜続きの新聞記者では追いつけない。
「……お?」
むしゃり、むしゃり、と美味しく草を咀嚼する牛とマンマの目がぱっちりと合う。
「…………もぅ?」
「……いくにゃ」
マンマは立ち上がる。
そして、アデルにテイムされた牛たちに、大演説をはじめた。
「そこの牛たちよ! 立ち上がれ! お前らの主人を助けるにゃ!」
「んも?」
「魔物化だかなんだか知らにゃいが、そんなに強そうになって草むっしゃむっしゃしてて、恥ずかしくないのかにゃ!?」
熱弁するマンマを、じっと見つめる牛たち。
ゆっくりと、牛が立ち上がる。
集まってきた牛たちと、マンマと牛たちが見つめ合う。
「んも」
「ふぎゃ!」
一匹の牛が、マンマの尻尾をモグモグと食んだ。もふもふのしっぽを、草と間違えたのだろうか。
ぞわわ、となってしまったマンマだが、そんなことで諦めたりはしないのだ。
◆
「懐かしいなぁ、この感じ……っ!」
とんでもない速さで山の斜面を駆け下りるトロッコの上で、リィトは呟いた。
火山由来の砂利の影響も受けず、木の根っこでできたレールを猛然と走るトロッコ──懐かしい。
トーゲン村となる土地に到着したときにも、トロッコに乗っていた。
あのときは、たしかブレーキが壊れて……。
「……あっ」
忘れていた。
ブレーキをつけるのを。
(……まぁ、最悪、ベンリ草を車輪に絡めて止めればいいか)
ムチウチに気をつけなくてはいけないけれど、それはそれ。
「……ん? なんの音だ」
トロッコの車輪の音に交じって、なにか轟くような音がする。
リィトは首を傾げた。
まるで、太鼓のような、集団でなにかが爆走しているような。
「マスター、後方確認を」
ナビの声に、リィトはゆっくりと振り返る。
──マンマは強い。
ウンディーネの神殿でも、猫の本能むき出しに生き抜こうとしていた。
ふわふわの可愛い見た目の猫人族──ロマンシア帝国では愛玩種として扱われていた彼らのたくましさは、ミーアとマンマが教えてくれた。
──そういうわけで。
「ふにゃあぁあっ」
ドドドド、という地響きに一同が振り返る。
「そ、そこのけ! そこのけにゃっ!」
マンマは自ら、謎の技術で牛たちを焚きつけて、リィトたちを猛追していた。
地響きの正体は、大挙して押し寄せる牛たちだ。
先頭を走る牛の背中に、血走った目をしたマンマが乗っている。
「えっ」
「うにゃああ、事件現場に記者を置いて行くにゃんてっ! 許さないにゃっ」
「う、うわああ」
追いかけてくる牛。
逃げていくトロッコ。
「んもぉおぉ~~~っ」
「ふにゃああ」
「うぎゃああああ」
麓にあるのはフニクリ村。
敵性反応の正体は──。
「クレイグ辺境伯!」
リィトたちの目撃情報を得て、フニクリ村に駆けつけたジュリアン・クレイグ辺境伯だった。
仁王立ちで全力で格好をつけている。
「アデリア殿下、これはゴキゲン麗しく……えっ、その乗り物はいったい!?」
「トロッコですっ! どいてどいて!」
「ぬおおおお!?」
猛スピードで突っ込んでくるトロッコに、ジュリアンは唸る。
鍛え上げられた肉体と戦場で鍛えた反射神経によって、トロッコの進路から待避する。
「つ、ツノが燃えている!?」
リィトたちの乗るトロッコの後ろの、魔物化した牛の群れ。
その角に、火がともっている。
「興奮によってツノに火が……っ!?」
トロッコに乗ったまま、リィトは振り返って息をのむ。
背後の圧がすごい。とんでもない迫力だ。
大作インド映画の見せ場感がすごい。
火牛の計、なんていうのも有名だし、優しいイメージに反して牛というのはかなりアグレッシブである。
というか、あれだ。
闘牛のほうの牛だ、これ。
リィトは「ひっ」と息をのむ。
後ろを振り返ったまま、じっと牛の群れを見つめているアデルの表情はうかがえない。
けれど。
その瞳が、使命感に燃えていることをリィトは知っている。
「マンマさんと牛さんたちを助けませんと」
アデルは小さく呟いた。
──一方。
迫り来る脅威に、フニクリ村はパニックに陥った。
「なんだあれ!」
「あいつら、魔物使いなのか!」
「まずいぞ、作物が!」
農業の指導にやってきていた花人族たちが、大慌てでオリーブ畑へと駆けていく。植物を守ることが、彼らの最優先事項。
「待避だ、待避するぞっ!」
ジュリアンが自分の兵たちに指示を飛ばす。
「ひどい、村の方たちはどうするのですか!」
ジュリアンの退避行動を遠目に見ていたアデルが唇を噛む。
「アデル! やめろっ!」
「えっ?」
「唇、噛みちぎるぞ! 揺れるしブレーキかけるから!」
「は、はい!?」
本気で心配をしているリィトである。
トロッコは揺れるし、このあと急ブレーキをかけるし。
アデルが戦いの中で負傷することに関しては、彼女が選んだ道である。だから、リィトがなにか口を出すのはお門違いである。
しかし、揺れるトロッコで唇を噛みちぎってしまうという悲しい事故は避けられるなら避けたほうがいいに決まっている。
「心配してくださるのは嬉しいのですが、その、そこを心配されるところでしょうか!?」
「えっ」
「……少々アレですが、的確なご指示かと」
猛スピードで岩の斜面を駆け下りるトロッコの上で交わされる微妙に緊張感に欠ける会話──それを打ち切ったのは、アデルだった。
「牛さんたちの言葉が聞こえません……興奮で我を忘れているようですわ」
トロッコの上に、アデルが立ち上がる。
「あ、アデル!?」
「止めてあげませんと……っ!」
こうなっては、アデルはもう止まらない。
それは知っているけれど。
「いやいや、危ないって!」
「リィト様、村のことは頼みますわね!」
猛スピードのトロッコから飛び降りるアデル。
「ふにゃ!?」
牛の背中に乗っているマンマの悲鳴。
爆走する牛の群れのなかに、アデルの姿が消えていった。